この日記に幾度か登場している、私の父方の祖母、
つまり「パンスーの祖母」は、明治33(1900)年の生まれであった。
出身は、本人いわく「ほむら」とのことで、これは、
旧・安芸郡仁保(にほ)村の本浦(ほんうら)を指している、
と、いつぞや私は父から解説して貰った。
その「ほむら」の方言なのか、祖母の個人語だったのか不明だが、
今にして思うと、祖母の言葉は一般的な広島弁とはやや異なっていた。
本人のハンドルネーム(違)となった「パンスー」にしてもそうだが、
母音にも子音にも不思議な交替があったのだ。
「パンツ」は「パンスー」、
「スカート」は「スカーツ」、
「風邪」は「かで」、
「ひきずる」は「ひこじる」(←これは広島弁としてアリ)
私の記憶の限り、別に構音障害などはなく、滑舌は良い人だった。
更に、私などが使ったこともない変わった語彙を持っていた。
「地元の生まれでない・よそから来た人」のことを「旅のもん」、
「丸刈りの男の子」のことは「あおぼうずぅ」(←妖怪ではない)。
中でもキワメツケは、
ずんばい (高低アクセントは「 ̄___」
祖母は、「耳が遠い人」のことを「ずんばい」と言った。
それを幼かった私は文脈から学んだ。
「あのばばさんは、はぁ、ずんばいじゃけ」
「七十じゃに、しわくちゃあでのぅ」
などと、祖母が近所の高齢者の悪口を言うのを聞いたからだ(爆)。
「人のことを『ばばさん』じゃ言うて、自分もええトシじゃろうが」
と長男である私の父にたしなめられると、祖母は言ったものだ。
「自分のことぉ考えよったら、人のことなんか言わりゃあせん!」
それにしても、「ずんばい」とはどこから来た言葉なのか。
私は長い間それを疑問に思っていた。
村では、祖母以外でこの言葉を使う人に出会ったことがなかったし、
父も親戚も、ほかの誰もこういう言い方はしていなかったからだ。
それが昨日、不意に解決した。……と思う。多分。
昨日、祭の後片付けをしていて、総代さん同士がやりとりするときに、
少し離れたところにいる仲間に、総代長さんが「おーい」と呼んだら
聞こえなかったらしく向こうからは返事がなく、
「無理じゃろ。あんには(=あの人は)、ずんぼじゃけ」
と、こちら側にいた総代さんの一人が言ったのだ。
ずんぼ!!
その響きに私の両耳がぴん!と立った。
この発音には、覚えがある!
そうだ、かのずんばいは、ずんぼから来ていたのだ!
これだ、これだ!!
ずんばい→ずんぼ→つんぼ、……サベツ用語とちゃうんか!!!(爆)
「つ」音が訛って「ず」音に変化するのはわかる。
両者は調音点が極めて近い。
しかし語尾の「ぼ」が「ばい」になるって、どうなん!!
なんで二重母音に!?
ちなみに祖母は、「匂いがわからない」状態のことを
「鼻(はな)ずんばい」とも表現していた。
香道では、香りを「嗅ぐ」と言わずに「聞く」と言うから、
耳も鼻も鈍ったら「ずんばい」なのは、なんだか理屈に適っているような(汗)。
何を隠そう、祖母自身が蓄膿症のため匂いがよくわからない人で、
「わしゃぁ三十で大かでぇ(=大風邪)ひいてから鼻ずんばいんなってのぅ」
とよく言っていた。
30歳当時の酷い感冒をきっかけに慢性副鼻腔炎になり、
以来、嗅覚障害が改善しなかった、ということらしかった。
「はぁ、何を食うても大根みとぅな味しかせん」
(=もはや、何を食べても大根のような味しかしない」
という台詞も、幾度か聞いた。
夕食時、母の作った料理を前にヘーキでこういうことを言うので、
家族一同、げんなりしたものだった(^_^;。
祖母は、1996年、満95歳でみまかった。
亡くなる前々日まで、元気に畑に出て農作業をしていた。
人間、嗅覚を失ったら長生きできないとか、
自分の歯を維持するのが長寿の秘訣とか、
世の中ではいろいろなことを言うようだが、
祖母は30歳で「鼻ずんばい」になり、
同じく三十代から「そうは(=総入れ歯)」になったにも関わらず、
寿命のほうはビクともしなかった。
もはや「ずんばい」は土の中、と私の記憶の中にしか、ない。
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