転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



実家母が白内障手術を終えて3年と数ヶ月、
右目の視力には満足しているそうだが、
左目が見えづらくなり、近くのものでもぼんやりする、
どうでもいっぺん、診て貰わなならん、
と母が訴えるので、手術をして貰った眼科に久しぶりに行った。

……と書けば1文で終わりの話だが、母に受診させるためには、
ホームにその旨を事前に申し出、介護タクシーを手配し、
念のため眼科にも予め電話をして受診予定を伝え、
診察券を探し、……と、まず準備だけでも手数が要った。
それから、この眼科はいつも待ち時間が1時間半とか2時間とかなので、
本日は私が朝から、大雨の中、タクシーで某ホームに出向き、
まずホーム詰め所に普段から預けてある保険証その他と診察券を受け取り、
再びタクシーで眼科に行き、私だけで受付を済ませて、
母本人は、昼ご飯が済んでから12時半頃に介護タクシーで来る、
という段取りにした。

激混みの待合室で待つこと1時間半、車椅子でやって来た母は、開口一番、
「ほんまに出る直前になってから、やれ昼の薬を飲めじゃのなんじゃのと」
と文句を言った。
毎食後に薬を飲むのはいつものことで、
きょうに限って急に要求された話ではなかったのだが、
母は自分が気ぜわしいので、それを煩わしく感じたらしかった。
「飲んだら空いた袋を回収するて、職員さんがウルサいねん。
ほんなもん、どうでもええと思うんやけど」
と母はまだ文句を言っていた。
服薬に間違いがあったらいけないのだから、
飲み終わった薬の袋を回収して確認するのも、当然のことなのだが、
母の中では、自分のそのときの気分の通りにならないことは、
すべて施設のほうの対応が柔軟でない、ということになっている(^_^;。
しかも、結局、
「ややこしぃて、もう、昼食後の薬を飲んだかどうかようわからん」
と母は言った。
「出るときになって、薬がどうじゃこうじゃと急かしてからに」

それから母は私を改めて見て、
「ほいで、私は、今日はなんでここへ来たんやったっけ」
と言った。
左目が見えにくいから受診したい、と言い出したのは母のほうだったのに。
御蔭で私は、今月4日しかない休日の1日をこうやって費やしているのに、
別に来んでも良かったんかいorz

母が呼ばれて視力検査に行っている間に母のハンドバッグを見たら、
母の姓名および「6月27日昼」と印字された薬一包が入っていて、
果たして母は、昼の薬を飲み損なっていたことがわかった。
私はそれに付箋を貼り
「6月27日 昼に飲み忘れて、バッグに入れたままにしていました。
眼科に来てから気づきました」
と書いて、保険証等と一緒にしてポーチに入れた。
これはホームに戻ると、また詰め所で預かられることになっているので、
仮に私が口頭で報告する機会が得られなかったとしても、
職員さんが薬袋とこのメモを発見して下さったら、伝わるだろう、
と思ったのだ。

視力検査から戻って来た母にもそれを見せて、
「薬、ここにあったからね。後で飲もうと思うて持って出たんやね」
と言ったら、
「ああ良かった。あった、あった。安心した!」
ととても喜んでいた(^_^;。なんのこっちゃ。

診察のほうは、左目の加齢黄斑変性が進行しているとのことで、
残念ながら老化が主な原因であり、積極的な治療方法はない、
と言われた。
サプリの中に、いくらか効果が認められているものもあるので、
現状維持と右目の発症を予防するために、試してみても良い、
とも言われ、一応、サンプルを戴いて帰ることになった。
サプリなので後日、私が代理で来ても出して下さるとのことだった。
経過観察のため、本人の次回受診は1年後、となった。

それからまた介護タクシーさんをお願いして、母と私とで乗り、
ホームまで戻った。
母は待ち時間のほぼ全部が終わってから来たので、
本人の外出時間そのものは1時間ほどで済み、午後1時過ぎに帰着した。
居住フロアに行くと、幸い、詰め所にスタッフのチーフさんがいらしたので、
受診の報告をしがてら、昼の薬を見せたら、
「だったら、今まだお昼だから、飲みましょう!」
とのことで、その場でコップのお水を用意して下さり、
詰め所の前で母は薬を飲んだ。

部屋に戻ると母は、
「ああ、安心した。薬も無事、見つかったし。きょうは良かったね」
と上機嫌だった。目のことは割とどうでも良くなったらしかった(^_^;。
留守番していた父だけが、
「あんた、ちーたぁ、休みんさい」
と私に言った。まったくじゃ(^_^;。
ちなみに父は、昼寝ばかりしていると足腰が弱るので、
ドアからベッドまで、本人曰く『片道20歩』を毎日何セットか、
意識的に歩くようにしているそうだ。
足が萎えたらいけんけぇ、と父の自覚そのものは間違っていなかった。

90歳夫婦は、つまり、本日も変わりなかったorz

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