小学校のほうから、私立中学受験希望者に対して、
『小学校で記入する調査書など必要書類を各中学で貰ったら、
11月中に小学校に持って来るように・終業式までに渡すから』
という主旨のプリントが配布され、
なんて親切な小学校なんだと感心してしまった。
私は、2学期最後の保護者懇談のとき依頼するほかないのかと
ずっと思い込んでいたのだ。
で、改めて各中学の願書など入試関係書類を全部出してみたのだが。
プロテスタントのA中学と、カトリックのB中学は、
書類の年月日記入欄も記入見本もすべて西暦となっており、
一方、例の共学中学は、西暦でも元号でも選んで書けるようになっていて、
私が心酔しているC中学に至っては、最初から「平成」と印刷されている、
という違いがあることに、気づいた。
うーーーむ。
なんだか、こんなところにも、学校の体質が透けて見えるような(^^ゞ。
こういう意味では、私自身は、あんまり一貫した人間でないので、
是が非でも西暦!いや元号でなければ!という趣味は、ない。
高校卒業までの年代に関しては、まず頭に浮かぶ基準は昭和で、
英語をやり出してからは西暦がかなりハバを効かせるようになっていて、
今はもはや、頭の中が、基本的に西暦になっているように思う。
でも公文書の正式なスタイルは、やはり元号が主流だろう、
という価値観も、私の中に同時に存在している。
なぜって、娘の誕生年に関しては、「平成7年」というのだけが、
非常にしっかりと私の頭に刷り込まれているからだ。
これは今までの、娘に関する様々な手続き書類が、
基本的にすべて元号だった、という証拠ではないか。
御陰で、今回ほぼ初めて、西暦を要求される願書を前にして、
大変心許なく、平成元年=1989年をもとに、筆算して確認したぞ(^^ゞ。
ちなみに、私の中で明らかなことは、
ポゴレリチ関係の出来事は西暦でしか語れない、ということだ。
彼はヨーロッパ拠点の人で、関係資料も全部西暦なのだから当然だ。
ポゴレリチのショパン・コンクール落選事件は、昭和55年、
などと考えると違和感に震えてしまう(^^ゞ。
一方、主人によれば、カープ初優勝は、断固、昭和50年なのだそうで、
1975年などと西暦で言われるとフニャフニャで我慢ならないとのことだ。
このあたりの、局所的な一貫性は、
結構、日本ならではの現象ではないだろうか(^_^;)。
そういえば舅は、西暦どころか平成すらダメで、
なんでもかんでも昭和に換算して、
「三年後は昭和78年じゃから合計で・・・」
等々と、無理矢理な計算をしていたものだった(--#)。
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