京都さんぽ4、琵琶湖湖畔の坂本から比叡山を目指し京都に下りた
琵琶湖湖畔の坂本は織田信長の家臣・明智光秀が育てた石の街です。
数年前に大河ドラマで注目を浴びたが、それまではほとんど無名の町だった。
ジャーン
JR湖西線と京阪電気鉄道石山坂本線の比叡山坂本駅は離れています。
5分は歩かないけどそれなりの距離はあった。
二つの駅をこの鳥居がある大通りがむすんでいます。
坂本の名の通り大通りは坂道で、登っていくと比叡山方向です。
比叡山ロープウエイの駅があります。
坂本は知る人ぞ知るぐらいの町です。
織田信長が明智光秀に命じて比叡山を焼討させて、坂本の町も破壊させた。
ところが明智光秀は信心深い方だったので、主人の織田信長の命で破壊したが、その後この地の統治を命じられた。
そして明智光秀は信心深い人間だったので、自分が破壊した坂本を自らが尽力を尽くして復興させた。
こんな小さな町なのに立派な石垣が随所に残っている。
残っているというよりも坂本の町は石垣でできているとさえ言えます。
無名の町なのにエラク由緒ありそうな鳥井や石垣で囲まれた家々。
なにか不思議な雰囲気を感じる町です。
もっとも、本能寺の変のあと明智光秀は秀吉によって滅ぼされて、その後は明智光秀の居城があった坂本の町は歴史から抹消された。
その怨念を石垣をぬってそよぐ風からビシビシ感じられます。
私はあまり霊感を感じないぼんくらだけど坂本の町からは、、、その時に滅ぼされた比叡山の僧とや坂本の町民の地底からのざわめきが感じられます。
坂本には死者を感じる不思議な雰囲気があります。
主に対して謀反を起こし、主を殺した明智光秀の居城に坂本はなった。
それで、歴史上抹殺された町・坂本なのか?
前回、坂本に行ったのは15年前になるのかもしれない。
同じようなピーンと張った空気を感じました。
秀吉を祭った神社もある。
何故なんだろう?
坂本に石積みが多いのは、伝説の石組み集団の「穴太衆」がいたからです。
戦国時代以前は土塁の堀と城郭が多かったが、織田信長が坂本の穴太衆をつかい安土城を築いてからは、日本全国のお城の石組みを穴太衆が手掛けた。
優秀な穴太衆が坂本に存在していたから明智光秀は、ここの統治を織田信長に申し出たんじゃないかと思います。
坂本の統治は織田信長の気まぐれじゃなく、明智光秀の発案だったんじゃないかな。
それくらい穴太衆の技術は高かった。
穴太衆が組む石垣は野面積といって、自然石を使って組むので表面は平らじゃない。
だけど重心のとり方が絶妙なので地震などには石をきれいに加工して組む「打込みハギ」などより崩れにくい。
坂本の坂道を登っていくと比叡山へのケーブルカー駅に出ます。
琵琶湖湖畔の坂本から比叡山をケーブルカーで登って、京都側にロープウエイとケーブルカーで下りました。
京都さんぽ1、京都一乗寺
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京都さんぽ4、坂本から比叡山に
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