館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

女房の初沖縄その3(観光客有名どころなのだ)。

2012-04-09 06:39:06 | 旅は続く
さて、記事が冷めないうちに・・・・

行ってしまいましょうよ!

ね・・・・





3日目。
本日は、観光・・・・そして、午後は、タップリの自由時間の日程。

沖縄も大正時代に始まる「軽便鉄道」が那覇を基点に、糸満や嘉手納まで伸びていたが、連合国軍の上陸で爆破され、朝鮮戦争の物資の不足でレールがスクラップにされ・・やがて、基地で分断され・・と、無くなっている。
今は、空港から首里までモノレールが走る。

はじめて、俺も乗ってみた。車窓からの眺めは、こんなに良いかと、結構驚き。
これからも、使うに違いないと確信した。

ホテルに近い「美栄橋」から「首里」終点までのった。



本日。首里城。俺は2度行っているので、1時間半後に待ち合わせと決めて、行きたい場所に向かった。



守礼門まで案内し、僕はそこから、登らず右手へまっすぐ。「真珠道」と名のついた、新しい坂・・それを暫く下ると、「金城石畳」を散策したのだった。
初めての場所は、やっぱり楽しい。




首里王朝の栄えた数百年、首里城から国場川の真玉橋に至る長さ4km総延長10kmの官道であった真珠道の一部・琉球王国尚真王の治世である1522年にその建造が始まったという。第二次世界大戦の沖縄戦で真珠道の大半は破壊されたが、金城町に現存する238mの区間が首里金城町石畳道としてその姿を現在に伝えているのだった。


琉球石灰岩の平石が敷きつめられたままで、沿道には近世以前の石垣も多く現存するという。沖縄県指定史跡で、日本の道100選の一つ。

NHKドラマ「ちゅらさん」の撮影地で、使われた民家など現存する。



生活用水の確保は、島では貴重で、水分を多穴質の石灰岩は溜め、又、地中にしみこみ湧き水として、潤す。そんな先人の知恵が、途中にある、共同井戸の跡に見てとれる。
沖縄はどこでも、水場・井戸は大事にされている。そして、神の宿る場所と、されている。




道を少し首里城方面に曲がると、樹齢200年を超える「アカギ」の大木が見れる。
そばに立つと、すごい迫力、そして少しなにやら神々しく・・・



待ち合わせの時間・・・女房から携帯「今から首里城内で、琉球舞踊が見れるって!見に来ない?」

見ただよ。写真「若衆こてい節」な。




首里城の広大な敷地を貫く、日本軍が首里城の下に地下壕を掘る。陸軍第32軍総司令部が置かれ、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、首里城は見る影も無い破壊を受ける。やがて、この軍は、南部へ移動し(逃げて)あの、痛ましいひめゆりに象徴される民間の人々の惨状を生むのだった。



次は、「識名園」・・中国からの冊封使(さっぽうし)を接待した庭園・別荘。この中国から琉球国王に承認を受ける関係が、貿易の発展と、治世の保証であった。やがて、1609年の薩摩の侵攻と共に、この貿易の甘い汁は薩摩に持っていかれ、琉球の苦悩が始まるのだった・・・
中国風の美しい庭園で、まったり出来ます。




昼は、僕の一押しの店「ちら小(ちらがぁー)」に行った。ほとんど観光客は知らないし来ないが、昼時は、席待ちとなる。
ゆしどうふ・そして写真の「煮付け」を食べさせたかった。本来トンカツやなので、トンカツも旨い・そばもんまい!



その後那覇に戻り、午後は、すべて自由時間とした。

僕は、いつもの「ロマン書店」という、あやしい古本・中古CD/中古レコード・古物・ガラクタと並ぶ店に行く。山之口漠さんの詩集・バーズ、ロビーロバートソンのCD・沖縄本など購入。

ホテルに戻り、昼ね・風呂・マッサージなどでマッタリであった。

女房達は、買い物とやはり、ホテルで昼寝などしたらしい。



夜はゆりは、昼間の食べすぎで、ホテルで韓流に浸るとのこと。

女房は本場のゴーヤチャンプルが食べたいというので、小桜。
絶妙の味付け。
満足のようだった。

この後女房と別れて、僕はちょっとはしご。

タンパラヤで、1時間ほど呑んだ。

こうして3日目が終わった。(短いはずなのに、長かったような・・・すまん)
コメント (8)
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