翌朝は、珍しく足腰が痛かった。
台所仕事には慣れているつもりだったが、人の指示…
特に行き当たりばったりの気まぐれで仕事を振られ
余計な筋肉を使ったみたい。
しかもタダ働きとくれば、痛みが増すような気がする。
しかしこの日は、早出を要請されていた。
予定より1時間早い9時出勤だ。
前日が予定通りに行かなかったため
お客様に料理を出す12時には到底間に合わないからである。
そうなってしまったのには、明確な理由があった。
料理教室の開催前日、真っ先に食器を出して
二つある作業台の一つを潰してしまったからだ。
すると残り一つの作業台しか使えなくなり
切るのも、食材や料理を置くのもそこしか無くなる。
作業台の上は物でひしめき
何をするにも物をどこかへよけてからでないと進まない。
そして皆が作業台を取り囲んで仕事をすることになるため
人の交差すら難儀。
2人からせいぜい5人程度の少人数を相手に
細やかな接待をするのが懐石料理というもの。
調理場の我々を含めた30人分弱の料理を作るのは
先生も初めてだとおっしゃっていたが
いつもの習慣で食器を先にお出しになったのだ。
予定通りに進まないのは、こういった手順の問題なのであった。
ともあれ、身体のあちこちに湿布を貼った私は
昨日と同じく迎えに来てくれたマミちゃんの車に乗り込み
重い足取りで再び会場へ赴いた。
「今日も労働…」
「次は誘われても絶対断ろうね」
車中で話していると、マミちゃんが思い詰めたように言った。
「ねぇ、今日来るお客さんて、食べるだけなんじゃろ?
その人らの会費は半額の5千円じゃん。
座って食べてお金は半額なら、そっちの方がいいよね」
「うちもそう思うよ」
「私らは倍のお金出して働くって、おかしいんじゃないん?」
「しょうがないが…誘いに乗ったうちらが悪いんよ」
「うちらってさ、どこ行っても働かされるよね」
「うちらのようなおバカさんは、そういう人しか付き合ってもらえんのよ」
「かわいそうじゃね、うちら」
「ほうじゃね」
価格設定に疑問は残るが、これも経験。
はるばる東京から来る二人の旅費と宿泊費を捻出するには
物好きな田舎のお人好しからぼったくるしか無いだろうよ。
お客の方も、5千円の会費に見合った料理が出てくるなんて
夢にも思わない方がいい。
大半は旅費宿泊費と講師代に回される。
お寺に到着して、また働いた。
本番が近づいた先生は、昨日にも増して気が立っているみたい。
が、それも今日で終わり。
あとあとまで語り草になるネタを拾ったと思えば
これは良いイベントである。
やがて昼が近づき、人が集まってきた。
大半が70〜80代のおばあちゃんだけど
とっても期待しておられるご様子なのは、華やいだ服装でわかる。
その人たちに、また先生の自己紹介、そしてお経と講話が終わったら
いよいよお食事会の始まりだ。
これから、ごはんを盛るところ。
平たい皿は、《鯛の昆布〆》
昆布〆は、鯛を前日から昆布で巻き、ラップにくるんで冷やしておいた。
同量の酢と醤油に浸しておいた海苔を添えると
醤油をたらさなくても刺身が食べられる格好。
汁物は、ちぎった海苔にカラシを一滴たらした味噌汁。
味噌はもちろん、自然醗酵のもの。
が、昆布〆のワサビは市販のチューブだった。
自然を食すというコンセプトは、どうなっとるんじや。
作法としては、ごはんと汁の一回目が終わったら
向付(むこうづけ)、つまりなま物に箸を付ける。
最初にごはんと汁を先にいただくのが鉄則で
食べ終わったら、ごはんと汁のお代わりを補充する。
《碗盛…レンコン饅頭》
レンコンとトロロ芋をすりおろし、ヒジキとニンジンを混ぜて蒸したもの。
《焼物…イワシのオーブン焼き》
生のイワシの開きに大葉を乗せ、梅味噌を塗って巻いてある。
お客様には、これが一番好評だった。
味、姿ともにわかりやすかったからだと思う。
《煮物…冬瓜(とうがん)のあんかけ》
湯で煮た冬瓜に、鶏ミンチのあんをかけたもの。
《八寸…サーモンの油漬け・栗きんちゃく》
懐石料理って、私の推奨?する手抜き料理とは
一番遠い所にあると思っていた。
しかし、これは見事な手抜き料理じゃないのか。
なぜならサーモンの油漬けは通販だそうで
それをスダチの上に乗せただけ。
レインコートの生地みたいな
水分を通さない懐紙(かいし)に置かれ、もはや皿すら無い。
ちなみに懐紙は、二つに折った折り目の方をお客様に向ける。
一緒に座って食べるように言われたが、懐石料理はお給仕が頻繁。
椅子を温める暇は無い。
料理は一品ずつ、次々に出さないといけないし
味噌汁は2回、ごはんは3回つぎ直す。
本当の懐石料理は、もっと頻繁なつぎ直しがあるそうだけど
立ったり運んだり配ったり座ったり食べたりを繰り返していたら
昨日に引き続き、胃がおかしくなった。
《菓子…じょうよ饅頭》
食後のお抹茶と饅頭が終わると、お客様は満足してお帰りになった。
夕方まで後片付けをして、ようよう終わり。
いや〜、どんなすごい料理に出会えるかと思ったけど
普通のおかずだったというのが正直な感想よ。
が、ダシ巻き卵のコツだけは掴んだ。
初日の賄いでレンコン饅頭の下ごしらえをしたんだけど
卵の白身を使ったので黄身が余り、それを消費するために卵を足して
先生がダシ巻き卵を作ってくださったのだ。
わたしゃダシ巻き卵はよく作るんだけど
時間が経ったら卵焼きからジャブジャブとダシが滲み出て
皿が水浸しになるのが悩みだった。
あれはあらかじめ、砂糖と塩で味付けしたダシに片栗粉を入れて混ぜておき
それを生卵と合わせたら、時間が経っても水気が出ないのね。
さすがプロ。
これを知り得ただけでも、参加した甲斐があった。
重労働に身を挺してゲットした、一生役に立つコツだ。
もっと色々知りたいのは山々だが、我々に次は無い。
《完》
台所仕事には慣れているつもりだったが、人の指示…
特に行き当たりばったりの気まぐれで仕事を振られ
余計な筋肉を使ったみたい。
しかもタダ働きとくれば、痛みが増すような気がする。
しかしこの日は、早出を要請されていた。
予定より1時間早い9時出勤だ。
前日が予定通りに行かなかったため
お客様に料理を出す12時には到底間に合わないからである。
そうなってしまったのには、明確な理由があった。
料理教室の開催前日、真っ先に食器を出して
二つある作業台の一つを潰してしまったからだ。
すると残り一つの作業台しか使えなくなり
切るのも、食材や料理を置くのもそこしか無くなる。
作業台の上は物でひしめき
何をするにも物をどこかへよけてからでないと進まない。
そして皆が作業台を取り囲んで仕事をすることになるため
人の交差すら難儀。
2人からせいぜい5人程度の少人数を相手に
細やかな接待をするのが懐石料理というもの。
調理場の我々を含めた30人分弱の料理を作るのは
先生も初めてだとおっしゃっていたが
いつもの習慣で食器を先にお出しになったのだ。
予定通りに進まないのは、こういった手順の問題なのであった。
ともあれ、身体のあちこちに湿布を貼った私は
昨日と同じく迎えに来てくれたマミちゃんの車に乗り込み
重い足取りで再び会場へ赴いた。
「今日も労働…」
「次は誘われても絶対断ろうね」
車中で話していると、マミちゃんが思い詰めたように言った。
「ねぇ、今日来るお客さんて、食べるだけなんじゃろ?
その人らの会費は半額の5千円じゃん。
座って食べてお金は半額なら、そっちの方がいいよね」
「うちもそう思うよ」
「私らは倍のお金出して働くって、おかしいんじゃないん?」
「しょうがないが…誘いに乗ったうちらが悪いんよ」
「うちらってさ、どこ行っても働かされるよね」
「うちらのようなおバカさんは、そういう人しか付き合ってもらえんのよ」
「かわいそうじゃね、うちら」
「ほうじゃね」
価格設定に疑問は残るが、これも経験。
はるばる東京から来る二人の旅費と宿泊費を捻出するには
物好きな田舎のお人好しからぼったくるしか無いだろうよ。
お客の方も、5千円の会費に見合った料理が出てくるなんて
夢にも思わない方がいい。
大半は旅費宿泊費と講師代に回される。
お寺に到着して、また働いた。
本番が近づいた先生は、昨日にも増して気が立っているみたい。
が、それも今日で終わり。
あとあとまで語り草になるネタを拾ったと思えば
これは良いイベントである。
やがて昼が近づき、人が集まってきた。
大半が70〜80代のおばあちゃんだけど
とっても期待しておられるご様子なのは、華やいだ服装でわかる。
その人たちに、また先生の自己紹介、そしてお経と講話が終わったら
いよいよお食事会の始まりだ。
これから、ごはんを盛るところ。
平たい皿は、《鯛の昆布〆》
昆布〆は、鯛を前日から昆布で巻き、ラップにくるんで冷やしておいた。
同量の酢と醤油に浸しておいた海苔を添えると
醤油をたらさなくても刺身が食べられる格好。
汁物は、ちぎった海苔にカラシを一滴たらした味噌汁。
味噌はもちろん、自然醗酵のもの。
が、昆布〆のワサビは市販のチューブだった。
自然を食すというコンセプトは、どうなっとるんじや。
作法としては、ごはんと汁の一回目が終わったら
向付(むこうづけ)、つまりなま物に箸を付ける。
最初にごはんと汁を先にいただくのが鉄則で
食べ終わったら、ごはんと汁のお代わりを補充する。
《碗盛…レンコン饅頭》
レンコンとトロロ芋をすりおろし、ヒジキとニンジンを混ぜて蒸したもの。
《焼物…イワシのオーブン焼き》
生のイワシの開きに大葉を乗せ、梅味噌を塗って巻いてある。
お客様には、これが一番好評だった。
味、姿ともにわかりやすかったからだと思う。
《煮物…冬瓜(とうがん)のあんかけ》
湯で煮た冬瓜に、鶏ミンチのあんをかけたもの。
《八寸…サーモンの油漬け・栗きんちゃく》
懐石料理って、私の推奨?する手抜き料理とは
一番遠い所にあると思っていた。
しかし、これは見事な手抜き料理じゃないのか。
なぜならサーモンの油漬けは通販だそうで
それをスダチの上に乗せただけ。
レインコートの生地みたいな
水分を通さない懐紙(かいし)に置かれ、もはや皿すら無い。
ちなみに懐紙は、二つに折った折り目の方をお客様に向ける。
一緒に座って食べるように言われたが、懐石料理はお給仕が頻繁。
椅子を温める暇は無い。
料理は一品ずつ、次々に出さないといけないし
味噌汁は2回、ごはんは3回つぎ直す。
本当の懐石料理は、もっと頻繁なつぎ直しがあるそうだけど
立ったり運んだり配ったり座ったり食べたりを繰り返していたら
昨日に引き続き、胃がおかしくなった。
《菓子…じょうよ饅頭》
食後のお抹茶と饅頭が終わると、お客様は満足してお帰りになった。
夕方まで後片付けをして、ようよう終わり。
いや〜、どんなすごい料理に出会えるかと思ったけど
普通のおかずだったというのが正直な感想よ。
が、ダシ巻き卵のコツだけは掴んだ。
初日の賄いでレンコン饅頭の下ごしらえをしたんだけど
卵の白身を使ったので黄身が余り、それを消費するために卵を足して
先生がダシ巻き卵を作ってくださったのだ。
わたしゃダシ巻き卵はよく作るんだけど
時間が経ったら卵焼きからジャブジャブとダシが滲み出て
皿が水浸しになるのが悩みだった。
あれはあらかじめ、砂糖と塩で味付けしたダシに片栗粉を入れて混ぜておき
それを生卵と合わせたら、時間が経っても水気が出ないのね。
さすがプロ。
これを知り得ただけでも、参加した甲斐があった。
重労働に身を挺してゲットした、一生役に立つコツだ。
もっと色々知りたいのは山々だが、我々に次は無い。
《完》
体痛けりゃ割り合わぬ
途中で気が付いても後の祭りでお疲れ様でしたが、
ダシ巻き玉子のコツがつかめてよかったですね。
後難もなさそうで、不幸中の幸いです。
行ってみないとわからないものですね。
ダシ巻き卵のコツだけは、得した気分です。
料理は一生ものなので、不本意の中にも
こういう発見があると嬉しいです。
特にダシ巻き卵はよく作るので、お得感が大きかったです。
ねぎらいのお言葉、ありがとうございます。
料理の手順を習うどころでないのに倍の料金て…手際はお寺で鍛えられたお二人のほうがよかったのでは。お寺のほうが手の込んだ料理ですし
大昔、学生の部活でお茶を習っていて、初釜の料理を食べました。雑煮が、白みその汁のなかに丸餅が入っていて底にからしが忍ばせてあったのが衝撃的に美味しかったです。ほか何食べたか全く記憶にありません。
私もなんか食べたことのない味をたべてみたくなったな〜
我々も最初はちょっと案じていました。
習いに行ったと知られたら「再現して」
なんて言われるんじゃないかって。
もちろんやりませんけど、厚かましく言われるだけでも
感じが悪いじゃん。
だけど実際に行ってみて、彼女の好きな
こってりカタカナ系が皆無だったので安心しました。
魚や冬瓜なんて絶対食べんもんね。
手際は我々の方が良いと確信しました。
一応は講習なので一品ずつ仕上げるため
複数の料理を同時進行できないというのもありましたが
大人数だと、それでは間に合いません。
講習と販売の両立は無理がありました。
しおやさん、お茶を習っておられたんですね!
茶懐石を召し上がった経験があるとは
しかも初釜とは、おしゃれ!
味噌汁にカラシは私も初めてで
インパクトが一番強かったです。
白味噌の方がカラシと合うと思います。
たまに食べたことの無い味に触れると
楽しくなりますよね。
とてもしんどい2日間でしたけど
未知の世界に足を踏み入れたという
自分の勇気に対する満足感だけは残っています。