森のお屋敷に嫁がれて
心のご病気になられたまさか様。
療養生活が長引いてきますと
「本当にご病気なのか?」
と不審の目を向ける村人が増えてきました。
しもじもの立場から眺めて
明らかにかったるそうなことは病欠され
明らかに楽しそうなことには
率先してお出ましになるからです。
「少しは休み方が上達しそうなもんだが
こうもあからさまでは‥」
村人たちは渋い顔でささやき合いながら
まさか様のお舅様とお姑様である
お屋敷の当主ご夫妻を案じるのでした。
「跡取りの嫁がこれでは、さぞかしご心痛だろう」
そして10数年が経った頃
当主ご夫妻を案じ続けた村人たちの心には
こんな疑問が生まれていました。
「嫁にご指導はなさらないのだろうか?」
当主様はともかく、お姑様のマチコ様には
まさか様を教え導くお役目があるのではないかと
村人たちは思ったからです。
とはいえ、それがいかに空虚な発言であるかは
彼らにもよくわかっていました。
息子が惚れて、迎えた嫁が今ひとつ‥
これを体感する者は、村にも数多くいたからです。
可愛がろうと思えば実家へ逃げる。
孫には滅多に会わせない。
婚家の行事は仮病でサボり、実家の行事は飛んで行く。
優しくすればつけあがり
厳しくするとふくれあがって、可愛い息子が当たられる。
げに嫁というのは
この世で一番扱いにくい生き物なのです。
マチコ様もまた
嫁の扱いに戸惑う姑の一人だということは
しもじもにもわかっていました。
まさか様と同じく
民間から高貴なお屋敷に嫁がれたマチコ様も
お若い頃は、窮屈なお屋敷の慣習に苦しまれ
時折お倒れになったり、ご病気になられて
療養されたご経験がおありですから
まさか様に「ちゃんとしなさい」と
言いにくいであろうことは、庶民にも想像できます。
マチコ様の場合、強い味方がありました。
マッチーブームです。
若く美しいマチコ様は、ご婚約当時から大人気。
ご結婚後、早々とご長男をご出産された頃には
押しも押されぬ大スターで
村人はマチコ様の一挙手一投足に熱狂しました。
スターのマチコ様を敵に回すと、村人が黙っていません。
この際、どちらが正しいか否かは無関係。
マチコ様がお悲しみになったら
悲しませた方が悪いことになり
「嫁いびり」と騒がれます。
この現象によって、村へ嫁いだお嫁さんたちは
ずいぶん楽になりました。
マチコ様が倒れられたり、ご病気になられると
すぐさま犯人探しが行われ
周りが悪者として非難されるさまを
村人たちは何度も目の当たりにしたからです。
嫁いびりをしていると思われたら
何を言われるかわからないので
嫁に対する村人たちの意識は変わりました。
他人の目が光っているという認識が
広く浸透したからです。
嫁の地位を向上させたのは
マチコ様の大きな功績といえましょう。
その功績の代償として、お屋敷は
人気に左右される存在へと変化していきました。
ひとたび味わった興奮を手放したくない村人たちは
お屋敷にアイドルを求めるようになったのです。
マチコ様がお年を召すにつれて
マッチーブームは静かに去り
次のアイドルはまさか様のはずでした。
これがパッとしないとなると
お姑様として心配なのは当然です。
軌道修正したいのは山々ですが
一応はご病気と聞いていますから
へたに干渉して悪化すると大変です。
まさか様の激しい性質もご存知ですから
機嫌をそこねて暴露本でも出されたらおおごとです。
手をこまねき、お心を痛めつつ
ひたすらまさか様のご回復を待つしかないのが
現状でした。
マチコ様にマッチーブームという味方があったように
まさか様にも強い味方がありました。
ご実家のご両親です。
自らを「準お屋敷族」と名乗って何かと口を出し
自分たちの孫であるサイコ様を当主にしたがり
うっかりするとお屋敷を乗っ取られそうな勢いです。
まさか様のご両親の、まさかの行状は
上品なお屋敷の方々にとって脅威でした。
家を守るという大意のためには
多くの現実を黙認するしかない時もあるものです。
それを甘やかしと言われようとも
夫妻が衰えて静かになるか
まさか様が人として成長されるか
その時をひたすら待つしかないマチコ様でした。
マチコ様は、ある機会にこう話されました。
「屋敷に関する重大な決断が行なわれる場合
これに関わるのは当主の継承に連なる方々で
その配偶者や親族が関わってはならないとの思いを
ずっと持ち続けておりましたので‥」
解釈の仕方によっては、お屋敷の重大事に
配偶者と親族が関わろうとする状況が
ずっと続いているということであり
まさか様のご両親に対する牽制と
受け止めることもできるご発言でしたが
いつもながらにオブラート二枚重ねの
遠回しな表現でしたし
マチコ様には、嫁を甘やかす姑のイメージが
すっかり定着していたので
取り立てて話題になることはありませんでした。
どっとはらい。
この物語はフィクションであり
実在する団体や人物とは一切関係ありません。
心のご病気になられたまさか様。
療養生活が長引いてきますと
「本当にご病気なのか?」
と不審の目を向ける村人が増えてきました。
しもじもの立場から眺めて
明らかにかったるそうなことは病欠され
明らかに楽しそうなことには
率先してお出ましになるからです。
「少しは休み方が上達しそうなもんだが
こうもあからさまでは‥」
村人たちは渋い顔でささやき合いながら
まさか様のお舅様とお姑様である
お屋敷の当主ご夫妻を案じるのでした。
「跡取りの嫁がこれでは、さぞかしご心痛だろう」
そして10数年が経った頃
当主ご夫妻を案じ続けた村人たちの心には
こんな疑問が生まれていました。
「嫁にご指導はなさらないのだろうか?」
当主様はともかく、お姑様のマチコ様には
まさか様を教え導くお役目があるのではないかと
村人たちは思ったからです。
とはいえ、それがいかに空虚な発言であるかは
彼らにもよくわかっていました。
息子が惚れて、迎えた嫁が今ひとつ‥
これを体感する者は、村にも数多くいたからです。
可愛がろうと思えば実家へ逃げる。
孫には滅多に会わせない。
婚家の行事は仮病でサボり、実家の行事は飛んで行く。
優しくすればつけあがり
厳しくするとふくれあがって、可愛い息子が当たられる。
げに嫁というのは
この世で一番扱いにくい生き物なのです。
マチコ様もまた
嫁の扱いに戸惑う姑の一人だということは
しもじもにもわかっていました。
まさか様と同じく
民間から高貴なお屋敷に嫁がれたマチコ様も
お若い頃は、窮屈なお屋敷の慣習に苦しまれ
時折お倒れになったり、ご病気になられて
療養されたご経験がおありですから
まさか様に「ちゃんとしなさい」と
言いにくいであろうことは、庶民にも想像できます。
マチコ様の場合、強い味方がありました。
マッチーブームです。
若く美しいマチコ様は、ご婚約当時から大人気。
ご結婚後、早々とご長男をご出産された頃には
押しも押されぬ大スターで
村人はマチコ様の一挙手一投足に熱狂しました。
スターのマチコ様を敵に回すと、村人が黙っていません。
この際、どちらが正しいか否かは無関係。
マチコ様がお悲しみになったら
悲しませた方が悪いことになり
「嫁いびり」と騒がれます。
この現象によって、村へ嫁いだお嫁さんたちは
ずいぶん楽になりました。
マチコ様が倒れられたり、ご病気になられると
すぐさま犯人探しが行われ
周りが悪者として非難されるさまを
村人たちは何度も目の当たりにしたからです。
嫁いびりをしていると思われたら
何を言われるかわからないので
嫁に対する村人たちの意識は変わりました。
他人の目が光っているという認識が
広く浸透したからです。
嫁の地位を向上させたのは
マチコ様の大きな功績といえましょう。
その功績の代償として、お屋敷は
人気に左右される存在へと変化していきました。
ひとたび味わった興奮を手放したくない村人たちは
お屋敷にアイドルを求めるようになったのです。
マチコ様がお年を召すにつれて
マッチーブームは静かに去り
次のアイドルはまさか様のはずでした。
これがパッとしないとなると
お姑様として心配なのは当然です。
軌道修正したいのは山々ですが
一応はご病気と聞いていますから
へたに干渉して悪化すると大変です。
まさか様の激しい性質もご存知ですから
機嫌をそこねて暴露本でも出されたらおおごとです。
手をこまねき、お心を痛めつつ
ひたすらまさか様のご回復を待つしかないのが
現状でした。
マチコ様にマッチーブームという味方があったように
まさか様にも強い味方がありました。
ご実家のご両親です。
自らを「準お屋敷族」と名乗って何かと口を出し
自分たちの孫であるサイコ様を当主にしたがり
うっかりするとお屋敷を乗っ取られそうな勢いです。
まさか様のご両親の、まさかの行状は
上品なお屋敷の方々にとって脅威でした。
家を守るという大意のためには
多くの現実を黙認するしかない時もあるものです。
それを甘やかしと言われようとも
夫妻が衰えて静かになるか
まさか様が人として成長されるか
その時をひたすら待つしかないマチコ様でした。
マチコ様は、ある機会にこう話されました。
「屋敷に関する重大な決断が行なわれる場合
これに関わるのは当主の継承に連なる方々で
その配偶者や親族が関わってはならないとの思いを
ずっと持ち続けておりましたので‥」
解釈の仕方によっては、お屋敷の重大事に
配偶者と親族が関わろうとする状況が
ずっと続いているということであり
まさか様のご両親に対する牽制と
受け止めることもできるご発言でしたが
いつもながらにオブラート二枚重ねの
遠回しな表現でしたし
マチコ様には、嫁を甘やかす姑のイメージが
すっかり定着していたので
取り立てて話題になることはありませんでした。
どっとはらい。
この物語はフィクションであり
実在する団体や人物とは一切関係ありません。
疲れた、だるい、学校に行きたくない。
と言いました。
サイコ様じゃないんだから
疲れがとれないなんて理由で学校休ませるわけない!
さっさと用意して行け!!
と答えました。
もちろん本人もそんなことで休めると思っているはずもなく。準備して登校していきました。
娘はサイコ様と一週間違いで生まれました。
受験生ですし、まだ部活も引退しておりません。
5時半に起き、自主練で走った後にまた朝練で走り
学校が終わればまた部活で走ります。
はッ?ってなりますよね、普通。
「疲れが取れなくてお休み」は一般庶民は「さぼり」というのです。
まったく違う感覚に戸惑いを覚えます。
と、同時にその空気感たるや・・・
水の中を歩くような、まとわりついて離れない生ぬるくて
身動きがとれないような…
気持ち悪さを感じます。
と思いながらも、ほかの人にはこんなこと言えず、聞いてくださってありがとうございます。
ホント、人生はわからないものです。
「感謝」が足りなかったから?
いや、夫婦関係はそれなりに立て直し、
義父母には何を言われてもとりあえずスルー、
実家には迷惑をかけないように・・・
それでも、自分の気が付かないところで、努力が足りずに、結果罰が与えられるのですかね。
なんて、考えてしまう。
知人(同じ技術職)に20年近くご主人が難病で、介護をしながら働き、最近そのご主人が亡くなった人がいます。
いつも朗らか、素敵な女性なのですが、亡くなってしみじみ話す機会があり、
「何度も別れようと思ったよ。弁護士にも何度も相談したし、喧嘩で警察を呼んだことも何度もあった」と。
笑いながらスッキリした表情で話すんです。
驚きでした。
夫婦をやり切ったんでしょうね。
結局のところ、私の場合、いつも「自分を助けるのは自分しかいない」というところに落ち着くんですよね。
若かりし頃、親、兄弟は頼れない、と自立を目指した人生は、もしかしたらこれからが正念場、本番なのかもしれません。
とりあえず、彼女を見習って、私も夫婦をやりきって、
それから考えようと思います。
しかし、高貴な方々の思惑は、すごすぎて想像すらできません。なので、みりこんさんの記事やほかの方々のコメントは非常に驚きです。
お子さんたち、大きくなられましたね!
早起きして送り出すユウキさん
頑張っておられますね!
自主練に朝練に放課後の部活
すごいわ!
頼もしいです。
そういえばあのお嬢さん、お休みが長いですね。
あの年頃で「疲れが出た」って
ナンボなんでも無理がある。
夏休みはしっかりご静養されたはずなのに。
手の振りすぎ?
私もあのご一家には、ねっとりとしたヌメリを
感じます。
その気分はなぜか、叶姉妹を見る時と似てる。
韓流スターを眺める時とも似てる。
困った、どうしよう(棒読み)
厚かましいなんて思やしません。
話していただいて、ありがたいです。
感謝や努力が足りなかったとか
罰とかじゃないんですよ。
運命です。
私はそう思います。
「夫婦をやりきった」って、いい言葉ですね。
お別れする時期に早い遅いはあるけど
やりきったから終わるのではないかしらね。
ご主人を亡くされたその女性も
さっぱりした素敵な方ですが
この言葉に気づくねこさんも素敵ですよ。
昨日、ねこさんの話を聞いて
パッと浮かんだのは
ねこさんと義理親との縁の薄さ。
縁が薄いから、どうやっても無理なことって
あるのよ。
ああ、ご主人はねこさんを解放して
あげようとしていらっしゃるんだわ、と。
もちろん、ご本人は不本意だけど
結果的にそうなるから。
亡くなった後のことを冷静に考えられるのは
冷たいからではなく
浮気させてあげたからよ。
男の夢を叶えさせて、この世の土産を
持たせてあげた。
上等の奥さんですよ。
胸を張って看病してあげてください。
>縁の薄さ
みりこんさんにいわれ、本当にそうだと思うんですよ。
義父母からは深く憎まれる立場で、縁は薄い(笑)
ただ、私、実の親とも縁の薄さを感じるんですよ。
表面上はうまくやれるのですが、なんて言ったらいいのか・・・
薄っぺらーい(笑)
兄がいい人なので、子供のころは助かったけれど、
兄と私に対する態度が明らかに温度差がある。
農家出身なので、長男信仰?
と、いうことで、実家に帰るのもまずないな(笑)
まだ、働けるだけありがたいですね。
仕事って、頑張った分だけ自分に返ってくるじゃないですか。明解。
夫はここにきて、私といろいろ行きたがるんですよ。
あれ?一人になりたいんじゃなかったの?
なんて心の中で苦笑。
それより、義父母のほうが大変です。
それはそうですよね。
子供の中で一番かわいがっていて、あてにしていた
息子が自分たちより先に逝ってしまう。
その悲しみはいかばかりか・・・
逆縁てのはこんなにも切ないものかと思います。
実親とべったりか、やはり薄いかの
両極が多いです。
ねこさんが一人になった場合
実家へ帰る選択肢が無いに等しい心境も
わかります。
この関係は、自分の子供との関係にも
影響することが多いです。
義理親や実親との関係がそのまま出たり
あるいは鏡のように逆に出たり。
自分一代だけのことで済まないのは
ねこさんのお姑さんをごらんになれば
わかると思います。
義理親との親子の縁は
配偶者が亡くなると、ひとまず切れ
日常の交流は減るでしょうが
今度は違う縁が始まります。
仏縁、つまり法事です。
位牌やお骨を親と本人、どっちの家に置くのか。
今後の身の振り方のことより先に
お葬式が終わった瞬間に、まずこの選択が訪れます。
本当につらいことだけど、これが現実。
亡くなった後の身の振り方は、この選択によって
ほぼ決まると言っていいと思います。
家に持ち帰ったら、仏縁のスタートです。
仏教の場合、四十九日、初盆、一周忌
三回忌、七回忌‥
ねこさん主催の法要が待っています。
義理親は当然のように来るでしょうし
お子さんたちの気持ちもあるでしょうから
おいそれとは動けない状況になることが多いです。
普段、憎いだの何だのと
ゴチャゴチャ言ってる義理親も
「うちで引き取ります。あんたとはこれっきり」
と言い渡す根性のある人は、ゼロではないけど
滅多にいません。
義理親と嫁、双方の感情がこじれて
メインのお骨を奪われた方が
分骨を希望するケースはたまにあります。
以上を踏まえると、すぐに動くという選択は
よほどの強い意志が無い限り
可能性が低いと思います。
ですから、先で考えればいいことは先に回して
ご主人といろんな所へ行って
今をできるだけ楽しみ
たくさん思い出を作ってください。
その思い出がねこさんを支えてくれます。
一人になりたいと言ったこと
後悔していらっしゃると思います。
ご主人もねこさんも、どんなに心細いでしょう。
ご回復を祈るばかりです。
義務教育でも原級留置という制度があるのに。
中学校卒業程度認定試験でも受けるのかなぁと思ったら、願書提出期限は終わっているし、このままエスカレーターで上の学校に上がるには批判が大きそうだし。
そう言えばお屋敷のご当主様は高卒でしたね。軒並み大卒、院卒の方々ばかりのお屋敷の皆さまの中で、存命中のお屋敷の皆さまの中で唯一大学を中退していましたね。
サイコ様は将来降嫁する身なのですから、せめて学歴だけは付けて差し上げないと、もらい手が見つけにくいでしょうね。
そして、保守系から「赤いお屋敷族」と言われていたお屋敷の最長老様が薨去されましたね。公営放送局さえも「逝去」と言わしめるほど。薨去が死語とは思えません。お屋敷の格がどんどん下がっているように感じられます。
これで将来のご当主様候補が4人になってしまいました。
今年は何かとお屋敷の一族がニュースになります。
最長老様が薨去されたことで、野外社交界も中止。出たくない病のまさか様の一人勝ちなのでしょうね。
カジュアルに「逝去」。
ご冥福をお祈りいたします。
それにつけても絶妙なタイミングでした。
当主の奥様のお誕生日の後で
フィリピンの暴言王との面会直前で
野外社交界(笑わせていただきました)の前。
ことにアジアのジャイアンとの面会は
心配していました。
さすがにガムは噛まないだろうけど
ワイシャツの第一ボタンを外した
だらけた態度は確定。
敗戦後、パイプをくわえて休めの姿勢の
外国人と並ばされたご先代を彷彿とさせる事態に
ならなければいいが、と。
やるし、あの人。
野外の方も、今回は和服の予定だったので
和服嫌いのまさか様がどうなさるのか
注目していたんですが、中止。
タイミング的に、お見事としか言いようがない。
運命なのか、奇跡なのか
はたまた、お屋敷では死すら仕事になるのか
庶民には知るよしもありませんが。
不登校は仕方ありませんね。
母親のライフワークを真似ただけだもの。
学歴もお母様と同じく、留学でどうにか
ロンダリングできますよ。
こうなると、卒業でなく学業終了で終えた
ご当主に、かえって清らかさすら感じます。
お骨か~。
2年前に、義父が、「納骨堂」を買いに行く際、たっての願いで夫を同伴しんですよ。
義父母は同郷なのですが、
お互い親兄弟とうまくいかずに、故郷には戻らず
この地に骨をうずめるつもりで、買ったんです。
「7人までは入れるよ~」とかいいながら。
それが、先に息子が入る・・・
仕方ないけど、
特に義母の取り乱しようは、大変です。
切ないものです。
義母が望むようにすればいいのかなとも思う。
縁の薄さ。
いわれてドキッとしました。実の両親とも。
頑張ってはみても、何か違うんですよ。
子供のころからの悩みでもありました。
自分の子供とはそうはなりたくないけれど、
手に職をつけて、自由に生きていくように育てたので、
やっぱり薄くなるのかな。
でも、大事な存在ではあるので、遠くにいながら、困ったときには助けられるように、そして幸せを願えればと思います。
私は、誰も知らないところで、別人になってひっそり生きていきたい。
なんて、本気で考えてしまう。
兄に相談したら、「いつもいい子のお前が・・・」と驚いていた(笑)
こういう考えが、人との縁を薄くしてしまうのでしょうか。
とりあえず、夫婦の最後の総仕上げと思って、頑張ります。
これも絶妙のタイミング。
村民が思い出す頃には高校ご進学。
お姑さん、おつらいと思います。
我が子が先に‥どんなに悲しいことでしょう。
彼女の思い通りにさせてあげる心つもりが
ねこさんあるのでしたら、大丈夫ですね。
知らない所へ行って、別の人になって
ひっそり暮らしたい‥
私もよく思ってましたよ。
漠然とした憧れじゃなく、けっこうマジで。
自分に自信が無くて
自分だけ居場所が無いような気がしてね。
でも仲居時代に、本当に知らない所へ来て
別の人にはなれないけど自分的にはリセットして
ひっそり暮らしてる同僚が何人かいて
それってかなり厳しいことだと知りました。
そういう人って、優しくて人当たりがいいんだけど
周りとうまくいかなかったり追っ手が来たりで
転々とするからひっそりしてる暇がない。
根性無しの私には無理だと知りました。
夫婦の最後の総仕上げ‥いい言葉ですね!