殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・9

2024年08月07日 15時23分22秒 | みりこん流

『前進』

夜中に長男と二人で母の所へ行った私は、その後どうしたか。

夜間受付のある救急病院へ行くことにした。

だって、前に進むと決めたんじゃ!

 

電気を点けるのを嫌がる母の枕元に座り、真っ暗な部屋で

彼女が昔の恨み言や先の不安をツラツラとしゃべるのを聞きながら

落ち着くまで待つ…このバカバカしさといったら!

しかも最初のうちこそ

1時間ほどで起き上がれるようになっていたものの

回復する時間はだんだん遅くなっていた。

この現象は、体調の問題ではないような気がする。

聞いてくれる者がいるので

毒を吐き続ける時間が長くなってきて、まさに毒演会。

 

つまり母は、今後も悪質化する一方で

私がチャラチャラとお世話ごっこをしてみても

何の意味も価値も無い。

こんなことを繰り返していては、ダメじゃ。

これからは母の主導でなく、私がどうしたいかを主体に動く。

 

施設か病院か…だから私は考えるようになった。

要介護も取れそうにないし、入院できそうな病名も無いので

絵に描いた餅だけど、それでも考えないよりはいい。

考えた結果、施設でも病院でもいいから

とりあえず行動して、ルートを模索するのだ…

という当面の結論に達した。

 

逸れた話が長くなったが、そういうわけで私は

長男が運転役をしてくれたために

母を管理しやすくなったこの夜を好機ととらえ

病院の門を叩くことにした。

もちろん、母には了解を得ている。

一度見てもらった方がいい…その意見は母も私も同じだ。

 

しかし、考えの方は異なる。

今夜は私だけでなく長男もいるので、母は喜んでいた。

孫だからではなく、自分のために複数の人間が動いてくれる…

それが嬉しいのだ。

ドライブが大好きなので

長男の運転で救急病院まで行くのもまんざらでない。

そして私は、その心理を利用したまでだ。

 

私は車中から、救急病院へ電話した。

義父アツシが入院していた、うちの近くの病院だ。

そこには老人施設が併設されているので

先々、病院と施設のどっちへ転がっても大丈夫。

 

通常は家から電話をし

受け入れの返事を聞いてから出発するのだろうが

母は気が変わりやすい。

病院とのやり取りを聞いているうちに

行かないと言い出す恐れは大いにある。

それを考慮し、後戻りしにくい距離を走ってから電話をかけた。

母の気が変わって「降りる!」と言い出しても

そこは寂しい町外れ…一人で帰れないもんね。

行動するために、まず家から出る。

後のことは、それからだ。

 

しかし、私のヨコシマな思惑は天に見抜かれたのか

90才という母の年齢と、胸が苦しいという症状を伝えたら

「当直に心臓の専門医がいない」

と、あえなく断られる。

そして代わりに、別の救急病院を紹介された。

やはりうちの近くだ。

我々3人は、そっちの病院へ向かった。

 

到着後は心電図を取り、色々な検査をしたが

医師の診断結果は「異常無し」。

行動を起こしてみたものの、初戦敗退だ。

 

その頃には母はすっかり元気になり

着て来たコートの下がパジャマだったのを悔やんだ。

帰りに買い物がしたかったらしい。

病院に連れて行かれて懲りたのか、疲れたのか

その夜の呼び出しは無かった。

 

翌日、母を連れて、いつもの内科医院へ行った。

月に一度の健康診断と

夜中に救急病院へ行ったことをA先生に報告するためだ。

「一度、心臓の精密検査をしてみましょう」

A先生は言い、町内にある病院の紹介状を書いた。

私が17年前まで勤めていた病院である。

 

12月半ばを過ぎた頃、母は心臓外科の診察を受け

24時間装着して心電図を取る、小さな機械を付けてもらった。

後日、検査結果を聞きに行ったら、またもや「異常無し」。

チ〜ン。

「バリバリに元気です」

と言われてご機嫌の母は、その晩、私を呼ばなかった。

 

検査結果が出た翌日、書類を持ち

母を連れてA先生の内科医院へ行った。

「もうね、夜になると胸が苦しゅうて苦しゅうて…」

症状を訴える母だが、A先生の興味は別のところにあった。

 

「この前から、夜中に娘さんを呼んどるよね?

僕が知っとるだけでも3回」

「はい先生、胸が押しつぶされそうに苦しいから

いつも呼ぶんです」

A先生は、深刻な表情で言った。

「心臓は大丈夫とわかったから、心療内科を紹介します。

サチコさん(母の名前)、専門の先生に見てもらおうや」

 

母を点滴室に送った後、彼が言うには

「夜中に呼ばれたら、やっとられんよね。

病気じゃないのにそういうことをするのは、心因性なんよ。

精神科だと、お母さんが抵抗を感じるけん

心療内科のある病院にしといたよ」

…母の性格をよくご存知で。

 

それから、母の口癖が気になるそうだ。

“不安で不安で仕方がない”、“夜中に目が覚めたら不安になる”

“不安で居ても立っても居られない”、“私はもうダメ”

“こんなに苦しいんなら死んだ方がマシ“、“一人で死にとうない”…

母が先生に繰り返し訴える言葉を

カルテにそのまま書き留めてあった。

 

こういう嘆きの語録、母にとっては普段の日常語なので

私は慣れている。

が、他の人が聞いたら変に聞こえるんだろうか…

そう思うと、何やら不思議な感じがした。

 

こうしてA先生が紹介してくれたのは

先日行った救急病院の心療内科。

A先生のにらんだ通り、母は心療内科を

内科に毛の生えたような所だと思い、すんなりと付いて来た。

思わぬ方向から、病院と縁ができたような気がする。

《続く》


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