殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・14

2024年08月12日 11時17分49秒 | みりこん流

『第三の転倒』

父の実家を見に行ってから数日後の6月4日。

午後3時半に地獄の底から聞こえてくるような暗い声で

母から電話があった。

「こけたんよ…」

 

頻繁に電話をしてくるようになった近年

ありふれた挨拶や「今話しても大丈夫?」などの助走を省き

「しんどいんよ」、「寂しいんよ」、「ゴミが溜まっとるんよ」

と、いきなり本題を口にする。

こっちは母の電話を受けるために生きているわけではないので

急に言われても話題に付いて行けないこともあるが

これはすぐにわかった。

 

「こけたんよ…」

母は繰り返す。

「わかった、すぐ行く」

会話はこれで終了し、実家に向かう。

 

二度目の「こけたんよ」には

「すぐ来て医者へ連れて行け」の言葉が含まれている。

電話ができるのと、自分のミスに腹を立てて機嫌が悪いことから

命に別条が無いのはわかっているが

今忙しいからもう少し待てだの明日行くだのと

こちらが言う権利は無い。

行くまで電話がかかってくるのは決定事項なので

さっさと行くしか道は無いのだ。

 

夕食はすでに作り終えていたので、その点は気楽。

実家へ行く日はもちろん

急にかかって1時間は続く電話に対処するため

家事は努めて早めに行う。

昼食は朝食の前や後、夕食は昼食の後に前倒しで作り

いつ空襲が来てもいいよう備える習慣になっていた。

 

母は時間と自由だけはたっぷりある一人暮らしだが

こっちは働く男3人と、何もしない姑を抱えて平常運転。

本来なら、母の面倒まで見る余裕は無い。

しかし「今忙しいから後で」が通用しない、それが母である。

 

実家に行くと、母は苦虫を噛み潰したような顔で待っていた。

どこもかしこも締め切った暗い部屋で見たら、マジで怖い。

それにしても、転倒はこれで三回目だ。

初回はアゴを打って黒くなり、次はメガネでマブタを切った。

今回は、右の額の生え際が少し赤くなっている。

前回、前々回と同じく手やヒザが無傷のところをみると

また顔から転んだようだ。

やっぱり脳の衰えか…。

 

どこの病院へ連れて行こうかと考えるまでもなく

母はいつものA内科医院へ行く気でいる。

内科だと、結局は外科のある病院に回されて

二度手間になると思ったが、本人が行くと言うのだから仕方がない。

転んで心が折れたこんな時、大好きなA先生を求める母であった。

 

A内科医院へ行く時、裏の勝手口から出て

母が転んだ現場を見た。

隣との境界線にあり、土に少し傾斜があるものの

なんてことない場所。

「何で転んだか、わからんのよ。

何かのバチが当たったんかね。

私が何をした、いうんかしらん」

忌々しげに言う母。

 

そりゃ当たるだろう、と言いたいが、言わない。

多くの人を振り回し、鋭い言葉で傷つけ

言いたい放題やりたい放題で90まで来たのだ。

本当のバチなら転んだぐらいじゃ済まんぞ、あんた…

とも言いたいが、言わない。

 

お目当ての医院は、家から歩いて3分の近距離。

もちろん、いつものように車でお連れしたが

時間帯の関係なのか、A先生はおらず

最近、彼の後継ぎとして戻ってきた30代の息子先生が診てくれた。

 

母は、この子がお好みでない。

優しい笑顔と温かい言葉で機嫌を取ってくれるパパ先生と違い

若いので年寄りに冷たいと言い

「あ〜あ、来て損した」

とまでほざく。

そんなに元気なのに、来て損したのは私である。

 

「安静にしていれば心配ないと思いますが

念のためMRIを撮っておきましょう」

A医院は内科なので、MRIは無い。

痛み止めの薬をもらい、紹介状を書いてもらって

翌朝、別の病院へ行くことになった。

夜中に母を救急病院へ連れて行くことになった時

最初に電話をして断られた、うちの近くの病院だ。

 

その病院で出た診断は、軽い頚椎捻挫。

俗に言う、ムチウチ症である。

今朝起きてから、首が痛いような気がすると本人が言うので

そう診断された。

痛み止めはA内科医院から出ているので

交通事故に遭った人が首に巻く、硬い首輪みたいなのをもらったが

他にこれといった治療法は無い。

 

町の医院から紹介されて総合病院に来た人は

当面の診断や治療が終わったら元の医院へ返すという

医師会の決まりがある。

母もMRI写真と共に、再びA内科医院へ返されたので

さらに翌日、MRIの写真を持って行くことになった。

 

「昼から行ったら息子が診るかもしれんけん、朝行く」

当然のようにのたまう母。

願わくば…あぁ願わくば…

前日もMRIを撮りに行って、朝から午後まで家を空けたので

何時に行ってもいいのなら、せめて今日は

昼からにしていただければありがたいんでごぜぇますが…

しかし、奴隷のささやかな願いに耳を貸す女ではない。

 

A医院へ午前中に行く意義を長々と唱え

反論する私を長々となじり

そんなけしからん私と血の繋がっている亡き家族への恨みを

長々と述べる…長々ルーティンが待っているだけだ。

何を言われても平気だが

彼女が意思を曲げることは無いので時間の無駄。

こっちの都合など気にも止めない、それが母である。

 

A内科医院へ行ったら母の睨んだ通り

息子先生でなくA先生が診てくれた。

彼の話では、日にちが薬だそうで

薬がある間は通院の必要も無いという話。

治療しようにも年寄り過ぎるので

痛くなったら弱めの鎮痛剤カロナールを飲むしか無い…

ということである。

 

朝ならA先生がいるという読みが当たり、母は大満足。

A医院から帰って外食に連れて行ったが

食欲はいつものように旺盛、ご機嫌の方も著しく良好だったので

私は3時頃帰った。

 

しかし、翌朝から大きな変化が訪れる。

その日以来、母も変わったが、私の生活も変わった。

老人がコトの大小に関わらず、何かのきっかけで

坂道を転げ落ちるように衰えていくというのは

周りの例を見て知っているつもりだった。

だから一応は警戒していたものの、こうも急激だとは思わなかった。

《続く》


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