殿は今夜もご乱心

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墓じまい・儀式編

2020年05月27日 08時09分24秒 | みりこんぐらし
前回の記事で、実家の墓じまいについてお話しした。

その時、気が向いたら話すと言っていた

「墓石をただの石に戻す儀式」。

こんなことをしゃべったところで何の役にも立たないだろうが

早くしないと忘れそうなので、お話しさせていただこうと思う。


この儀式は「閉眼式」と呼ばれ

我々一般人に向けては「お性根(しょうね)抜き」

あるいは「魂抜き」と、わかりやすく表現される。

ちなみに新しく建立した墓を起動?させるために行う儀式は

「開眼式」と呼ばれる。


儀式を執り行う僧侶は、同級生ユリちゃんのご主人モクネン君。

彼は市外にある自分のお寺と

後継者のいないユリちゃんの実家のお寺で住職を兼任しているからだ。


当日、母と私は早めにユリ寺の墓地へ行き

花や水、線香の準備をしていた。

するとお寺から、儀式用の僧服を着たモクネン君が

やって来るではないか。

準備を済ませてからモクネン君をお迎えに行こうと思っていた我々は

彼の姿を発見して少々慌てた。

と、モクネン君、私に笑いかけながら、全力で手を振るではないか。

「はて、モクネン君と私って、こんなにフレンドリーだったっけか?」

当惑しつつ、私も全力で振り返す。


口をきかない歴、何十年のモクネン君とユリちゃん夫婦…

その憎たらしい女房の友人である私に

モクネン君は社交上の挨拶はするものの

名前も知らず顔も記憶せずの、どうでもいい存在のはずだ。

しかも今回は彼のお寺の墓地から出て、よそのお寺へ引っ越す。

彼にとって喜ばしいわけがないというのに、この上機嫌。

私はいぶかしんだが、疑問はすぐに消えた。

「カツ丼、次はいつ作ってくれますか?」

挨拶もそこそこに、モクネン君がたずねたからである。


お寺の夏祭で出す屋台と賄いの試食会を3月に行った。

肝心の祭はコロナで中止になったが

彼は試食会で作ったカツ丼のことを言っているのだ。

しかもモクネン君、私のことを親しげに「みりこんちゃん」と呼ぶ。

これはミホトケのなせる技か、それともカツ丼の威力なのか…。


ともかくモクネン君のリードで、儀式は開始された。

モクネン君はまず、墓の隣に設置された墓銘碑をしげしげと凝視。

それから刻まれた一人一人の名前を呼んで

「早くに亡くなられましたね」

などと、各自にしみじみとしたコメントを付ける。

父のところでは

「お父さんは、苦労なさいましたね」

「わかるんですか?」

「法名をたくさん見させていただいていると

わかるようになるんですよ」


ハハ〜!

私の心は、彼にひれ伏すのだった。

彼の持つ霊性というよりも、プロの仕事にである。

墓をしまうというのは、故人や遺族それぞれに様々な思いがあるものだ。

その思いを一つ一つ、敬意を含んだ柔らかい言葉で溶かしていく…

この行為にプロの真髄を見たからであった。


ユリちゃんにとっては冷酷な夫であっても

彼を心から慕うブレーンはたくさんいる。

そしてユリちゃんもまた、夫としては彼を憎みながらも

僧侶としての彼を尊敬している。

その様子は一種不思議な光景に見えていたが

今、謎が解けたような気がした。



さて儀式の手順としては、まず線香に火をつける。

本数は、墓に入っている5体の遺骨×2本で計10本。

それを2本ずつに分け、線香立てに立てる。


線香が立つとモクネン君の読経が始まり

最初に彼から教わった通り、母と私はヒシャクを手にする。

墓石の文字が彫ってある面から始め

墓銘碑、石灯籠、石のベンチに、ヒシャクで静かに水を流すのだ。

それが終わると儀式は終了。

お布施を渡して解散という運びである。


儀式が終わったところで、モクネン君が言った。

「灯籠とベンチは、お寺で引き取ろうと思いますが

いかがでしょう」

「えっ?…」

考えてもいなかったので、母も私も驚いて聞き返す。

半世紀前、祖父が張り切って灯籠やベンチを設置したために

処分の費用が余計にかかるのを覚悟していた母にとって

モクネン君の提案は、願ってもないことだった。

私もまた、墓が無くなることにせいせいするような

寂しいような複雑な気持ちを抱いていたため

何かの形で残してもらえるのは、願ってもないことだった。


「ふさわしい場所を考えて、境内に設置したいと思います」

「そ、そんなサービスが…?」

私が思わず言うと、モクネン君がハハハと笑うではないか。

彼が笑うのを初めて見たような気がする。


「灯籠とベンチで、みりこんちゃんを引き寄せるんですよ。

みりこんちゃんは灯籠を眺めたり、たまには磨くために

度々ここへ来ることになります。

カツ丼を作ってくれる機会も増えることでしょう」

「そういうこと…ですか…」

「そういうことです」


さすが、合理主義のモクネン君。

灯籠とベンチを引き取ることで

お寺の万年人手不足を解消する算段である。

が、計算高いばかりではない。

そうすれば母も私も、それぞれの立場で心が安らぐのを

長い経験から見抜いているのだ。


こうして閉眼式は無事終わり

その後、お寺でモクネン君と懇談。

我々が行き詰まっている「死者の死亡時の本籍」

について相談し、的確なアドバイスをもらって帰った。

「今度入る納骨堂の住職さんより

よっぽど人間ができてて頼りになるじゃん」

母は感心しきりだった。
コメント
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