いつだったか、どこだったか、「土と炎の芸術」だったか。
古い記憶から「古備前の大壺」が姿を現した。
昨晩、頂戴した「岩魚の燻製」を食していたときのこと。
器って大事だ。
普段使いの皿に、何気なくのせていたことに、心がうずく。
違うな!
とき遅し。
「楊枝を外し、炙る程度に温めて、手でむしって。」
手製の燻製に添えられた手紙に、そうしたためてあった。
男の究極の趣味「渓流釣り」。
趣味を極めるには、“玄人になること”が求められるようだ。
今年、青葉の季節に知ったばかり。
こちらはまったくの門外漢。
しばらくして一枚のDVDが届けられた。
これである。
第十四世 マタギ 松橋時幸を1年間にわたって取材したドキュメンタリー作品。取材する人は、松橋の一代記を著した甲斐崎圭氏である。
雪深い山中で熊狩を行うマタギは、同時に渓流釣りの名人でもある。
甲斐崎は書く。
《背に小型のリュックを背負い、腰に魚籠とナガサをつけた時幸の姿は、渓風にまぎれるように気配を薄くするのだ。それは多くの釣り人がやる匍匐の潜み姿勢ではなく、一本の木、一塊の石、一叢の草になってしまったような自然体である。ちょっと見ると棒立ちのように思えたが、時幸は影さえも消してしまったように静謐だけが渺々と流れる渓の中に立っていた。》
『第十四世マタギ 松橋時幸一代記』ヤマケイ文庫より
この人は、手づかみで「岩魚」をしとめる。
後継は、いるのかいないのか。
それは知らない。
「あきらめも肝心」
最後に、ぽつりと漏らした。
昨晩、燻製の「岩魚」を口に入れた瞬間に思い出された言葉だ。
ふと見ると、岩魚の背骨だけが残っていた。
魚類の背骨は直線なのだ。
進化は長い時間をかけて、背骨を曲線に変え、ヒトの体はS字型になった。
そんなことはどちらでもいい、と言いかけて気付かされた。
・・・・白い背骨は、なんと初々しく可憐なのだ・・・・
我にかえる。
岩魚の燻製には、“土と炎”、高温で焼かれる備前焼がふさわしそうだ。
今朝、家の中には、残り香が。
忘れずにおこう。
自然の命をいただきました。
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