先週の木曜日のこと、東大YMCA寮を訪ねたその足で、言問通りから不忍通りを歩いて不忍池のほとりで写真を撮った。
この写真はその中の一枚。
さて、明日、東大YMCA寮の方から、あらためてお話を伺う約束をいただいた。
今日は、その準備をする中で木下順二さんとキリスト教の関係に思いを巡らせた。
なぜ、この寮に入ることになったのか。そして、ここで暮らすことからの影響はどの程度あったのか、なかったのか。
なぜ、ここを「ぶどうの会」の稽古場として使うことができたのか。
どこまでお答えいただけるかは、わからない。
それでも話を伺ううちに、何か掴めるような気がしている。