羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

日本初のホームページ

2022年09月24日 07時55分07秒 | Weblog
9月24日付け 朝日新聞be 「はじまりを歩く 日本初のホームページ(茨城県つくば市)」

毎週、土曜日には「はじまりを歩く」を声を出して読む練習に使わせもらっている。
本日の記事を読み上げながら懐かしさを覚えた。
記事によると、日本初のホームページは、今から30年前1992年9月30日 茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構(KEK )から発信されたと知った。



1992年といえば、私は43歳だった。
翌年には、Macのコンピュータを使い始めた。
当時のメル友はたった三人。しばらく経っても、友達はなかなか増えなかった。
そのころのインターネットは電話回線を使っていた。そのこともあって、PCから直接ファックス送信していた。

さて、野口体操のウェブサイトのこと。
1997年夏のこと、年若い友人がホームページ制作会社を立ち上げた。その最初の顧客となったことが「野口体操公式ホームページ」のはじまり。
最初の一作目は、佐治嘉隆さんが写真を提供し、私が書いた文章をもとに、友人が作り上げた。
この頃、大企業はサイト作りに消極どころか、否定的な印象さえ持っていたようだ。

実は、日経新聞の「文化欄」で、「インターネットは弱者の媒体」という内容の記事を読んで、「これだ!」と思って始めたことだ。
しかし野口体操の関係者は何のことか、まったく理解してくれなかった。
今は昔のお話である。

サイトはいつでも公開できる状態になっていた。タイミングを模索していた。
ところが野口三千三先生の体調が悪くなって時期を逸した。そして残念なことに、翌年の3月に先生が亡くなってしまわれた。
考えあぐねた上で、四十九日を待って「追悼 野口三千三先生」として、初夏に公開に至った。

それから25年、2回目からは佐治さんが制作に積極的に関わってくれた。
さらに現在のサイトは四代目になるだろうか。紙媒体との大きな違いは、過去のものは消えてしまうので、閲覧することができないこと。



アーカイブとして保存する取り組みも始まっているそうだ。わがウェブサイトはその範疇にはることはないだろう、と思う。

佐治さん亡き後、これまでのものを継続して管理している。
五代目はどんなサイトになるのだろう。
まったく予定はない。

しかし、こんな時代が来るとは、とうてい想像もしなかった。
新しもの好きの私も、息も絶え絶え、ついていくのが精一杯。
日々の変化に息切れ状態である。
若い人にバトンタッチする日も近い。

そもそもバトンを受け取ってくれる若人がいるのだろうか。
コメント
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