写真は、「夕鶴」一千回公演記念・1984年7月・山本安英の会である。
夕焼け色の表紙に、柔らかい和紙のカバーがかけられている。
中には、木下順二 山本安英 自筆のサインがある。
先週の土曜日、朝日カルチャーの土曜日クラスにこの本を持参し、回覧してもらった。
最後に手を取った方は、トライアルの女性で、私の目の前にいらした。
縦20センチ、横幅12・3センチの小型の本を、両手でささげ持って私に返してくれた。みると「夕鶴」の朱色文字が、真っ直ぐ私の方に向けられている。
思わず「ありがとう」と彼女の目をしっかり見ながらお礼を言った。
ぞんざいに扱わない心遣いに、彼女への好意を抱いた。
聞くと、木下順二も山本安英の「夕鶴」もまったくなじみはない、という。
余計に嬉しさが増すではありませんか。
さて、この「夕鶴」の台本を読んで、つくづく思ったことがある。
舞台芸術というのは、作者(作曲家)による作品があって、演じるキャスト・役者(演奏家)がいて、さまざまスタッフいて、観客がいて幕が開く。
それで作品が作品として完成する、と言いたいところだが、それだけではまだまだ完成とは言えない。
その作品が、何度も繰り返し上演されて、磨かれて、無駄が削ぎ落とされて、洗練されて、何度もカーテンコールが繰り返されて「舞台芸術作品」となっていく。
「夕鶴」は、山本安英主演で千回の記録を得たことは本物の証拠。
しかし、それでもまだまだ。
次には他の主役やメンバーによって上演され続ける。そのことも条件にしたい。
実は、昨日、「野口体操の会」の顧問・二階のぶ子さんと井の頭公園を短い時間だったが散歩した。
二階さんの母校でも「夕鶴」は、生徒たちで上演してきたという。
なかなか上手に演じていて、観客たちを感動の渦に巻き込んだそうだ。
脚本がいい、演じる役者がいい、裏方がしっかりしている。
そして観客があたたかい。
いろいろ条件が揃って、はじめていい舞台になってくれる。
さて、こうした学校演劇を本気で育てたのは、演出家・岡倉士朗さんと竹内敏晴さんだ。
話は少しズレるが、岡倉さんと木下さんの演劇との馴れ初めを書いておきたい。
岡倉士朗さんは、進学した立教大学で英語劇・キリスト教演劇部に入部したのが演劇との関わりの始まりだった。
今でもこの部活動はつづいていて、立教の中でも百年を超える伝統ある部だ。
一方の木下順二さんは、東大に入学して「東京大学学生基督教青年会寮」に入寮したことで、毎年12月に催される「クリスマス祝会」で上演されるキリスト教劇によって演劇に目覚めた。
この時、すでに女優として活躍していた山本安英さんを招いて指導を仰いだことが、のちの演劇活動の拠点「ぶどうの会」の結成につながっていく。
話は外れてしまった。
舞台芸術の作品が根付くということは、人の思いだけではどうにもならないことを書きたかった。
つまり、“運という名の女神”が、微笑んでくれるかどうかが、もう一つの要だといいたい。
それにしても岡倉さんも木下さんも明治大学で演劇論の中で「シェイクスピア」についても講義している。
そして今年も11月に「シェイクスピア・プロジェクト」の学生たちの公演がある。
つくづく思う。
「私家版 哲学する身体 野口三千三伝」を書いているおかげで、あっちこっち道草をしながらも楽しくて仕方ない。知らないことを知る。野口三千三に関わった人の生き方を知り、さらに想像を膨らませる。
なんと至福なる晩年!