8月ものこり一週間となった。
今年もまた、明治大学シェイクスピアプロジェクトのワークショップがはじまっている。
助手にピーターが来てくれて、初回からテンション上がりっぱなしである。
9月二週目まで、充実した時間を若ものと過ごすことができそうだ。
さて、母が入所してほぼ三ヶ月が過ぎようとしている。
以前の騒ぎはいったい何だったのか、と不思議になるくらいおちついてくれた。
「施設はじまって以来です」
脱ぎっぷりのよさでは右に出るものはいないそうだ。
お蔭ですっかり有名人となった。
介護職の方々ばかりでなく、事務の方々にも「よかったですね」と話しかけられる。
皆さんに相当なご心配をかけたようだった。
とらなかった食事も、今では、ユニットのどの入所者さんよりしっかり食べるそうだ。
さすがにプロの方々のお力はすごい、と感服している。
ただ、困ることは、私が引き上げようとすると
「これで帰りましょう」
家に帰る気持ちになってしまうことだ。
もしかすると、ここで元気になって家に帰る、となんとなく思いはじめているのだろうか。
だからといって騒ぐでもなし、駄々をこねるでもない。
おとなしいのである。
それがまたなんとも不憫に思われる。
母は一日のリズムが定まったようだ。
ところが私ときたら、どことなくまだ落ち着かない。
料理をつくるとつくり過ぎ。
母にかかっていた時間が空いて、本を読み始めるとやめられず。
40年ぶりに得られた自分の時間にいささか戸惑うことがある。
いちばん困るのは、判断がふらつくことである。
何か、やりはじめても、途中でやめたくなって、まとまりがつかない、という自覚がある。
余生を安心して生きる準備をはじめながら、ある手続きを行うに当たって、決心がつかないのである。
あれこれ考えると、面倒くさくなる。
来し方を振り返って、どこで間違ったのか? などと、しなくてもよい後悔をしたり……。
そんな時間があったら、一歩まえに踏み出せばよい、とわかっていてもなかなか踏み切れないまま時が過ぎていく。
むしろ、この状態のなかで大切な決定をくだすのは、避けた方がよさそうな気がしている。
もうしばらく自分を自分で見守っていたい。
まわりの方々に迷惑をかけることもありや、なしや。
取り返しのつかない大きな間違いだけは、起こさないように。
今朝も仏壇に手を合わせた。
こんな祈りをこめて合掌するようになったのは、母が施設に入所して以来のことだから、まだ三ヶ月しかたっていない。
自分でも、こういった変化に、いささか驚いている。
今年もまた、明治大学シェイクスピアプロジェクトのワークショップがはじまっている。
助手にピーターが来てくれて、初回からテンション上がりっぱなしである。
9月二週目まで、充実した時間を若ものと過ごすことができそうだ。
さて、母が入所してほぼ三ヶ月が過ぎようとしている。
以前の騒ぎはいったい何だったのか、と不思議になるくらいおちついてくれた。
「施設はじまって以来です」
脱ぎっぷりのよさでは右に出るものはいないそうだ。
お蔭ですっかり有名人となった。
介護職の方々ばかりでなく、事務の方々にも「よかったですね」と話しかけられる。
皆さんに相当なご心配をかけたようだった。
とらなかった食事も、今では、ユニットのどの入所者さんよりしっかり食べるそうだ。
さすがにプロの方々のお力はすごい、と感服している。
ただ、困ることは、私が引き上げようとすると
「これで帰りましょう」
家に帰る気持ちになってしまうことだ。
もしかすると、ここで元気になって家に帰る、となんとなく思いはじめているのだろうか。
だからといって騒ぐでもなし、駄々をこねるでもない。
おとなしいのである。
それがまたなんとも不憫に思われる。
母は一日のリズムが定まったようだ。
ところが私ときたら、どことなくまだ落ち着かない。
料理をつくるとつくり過ぎ。
母にかかっていた時間が空いて、本を読み始めるとやめられず。
40年ぶりに得られた自分の時間にいささか戸惑うことがある。
いちばん困るのは、判断がふらつくことである。
何か、やりはじめても、途中でやめたくなって、まとまりがつかない、という自覚がある。
余生を安心して生きる準備をはじめながら、ある手続きを行うに当たって、決心がつかないのである。
あれこれ考えると、面倒くさくなる。
来し方を振り返って、どこで間違ったのか? などと、しなくてもよい後悔をしたり……。
そんな時間があったら、一歩まえに踏み出せばよい、とわかっていてもなかなか踏み切れないまま時が過ぎていく。
むしろ、この状態のなかで大切な決定をくだすのは、避けた方がよさそうな気がしている。
もうしばらく自分を自分で見守っていたい。
まわりの方々に迷惑をかけることもありや、なしや。
取り返しのつかない大きな間違いだけは、起こさないように。
今朝も仏壇に手を合わせた。
こんな祈りをこめて合掌するようになったのは、母が施設に入所して以来のことだから、まだ三ヶ月しかたっていない。
自分でも、こういった変化に、いささか驚いている。