羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

新宿・末広亭 満席でしたのよッ!

2017年08月13日 08時32分51秒 | Weblog
 そんな筈ではなかった。
 およそ8時間も寄席にいりびたるとは?

〈八月十一日より二十日まで 昼夜入替えなし〉

 長い行列を横目に、新宿・末広亭のチケット売り場を見に行った。
 開場時間まで20分はあった。
 そこで目にしたのが、「入替えなし」と書かれた看板だった。

「へー、昼の12時から夜の9時まで、居座る酔狂な人が、いるのかなー」
 まさかその時には、自分が、酔狂人になろうとは、微塵も思わなかった。

 たくさんの人がお盆で帰省してるだろうから、きっと空いているに違いない。
 そんな予想は見事に裏切られた。
 行列の最後尾を探さなければならなかった。

 気がつくと、傘を持つ手の反対の手には、お茶とお弁当が入ったビニール袋がぶらさがっている。
「はじめてなんですけど、こんなに人気で。……座れるんでしょうか」
「大丈夫ですよ。300席ありますから。でも、そこのコンビニでお茶とお弁当を用意され方がいいですよ。中で買うと高いから」
「えー、ここから離れたら、また最後尾に……」
「大丈夫です。わたしたちが覚えていますよ」
 中高年の男一人女二人の3人組と、すこし寂し気な若者が、助け舟をだしてくれた。
 すぐにも踵を返して、コンビニに走った。

 予定は11時40分開場だったが、行列が道を邪魔しているのではやめに開いた。
 教わったように、最前列から二列目、真ん中に陣取った。
 12時前に、二回目の開演のベルが鳴ってはやい開始である。

 幕があいて、まず落語を二席。
 見上ーげてごらん、落語家の顔……状態であったが、その席は正解だった。
 
 お中入りまでに、落語は九席。
 野口三千三先生がお好きだった「大神楽」は女性だった。
 コントや漫謡がはさまるのだけれど、終始、笑いっぱなし。
 これって40年分笑うんじゃないか、と密かに冷笑の私。

……明治期に、坪内逍遥や二葉亭四迷が起こした言文一致運動、初代円朝の落語を速記法で筆記……
  とか
……笑いの話芸を一度は生で見たり聞いたりしたかった。なにしろ私の子供の頃、昭和30年代は、テレビでもラジオでも劇場中継が盛んに行われて、寄席にはいった事がなかったが、放送を通してよく聞いていた……
  とか
  理屈をつけて、御託をならべてやってきた。

 洒落、駄洒落、ことばあそび、アイロニー、オノマトペ、等々、それに身振り手振り、扇子と手ぬぐいだけの表現。
 御簾のなかから聞こえるお囃子が江戸・明治・大正、昭和・現代まで、曲をアレンジしておりおりに挟んでくるのが、いい。
 その気にさせてくれる。

 となりのおじさんの体臭、となりのおばさんのお弁当の匂いも、いつの間にか気にならなくなっていた。
「笑いってすごい」

 お中入り最後の三席。
 三遊亭笑遊の落語、林家今丸の紙きり、三遊亭小遊三の落語で、すっかり盛り上がった。

 それから後半。
 落語・奇術・落語・コント・落語と続いた。
 どれも面白い。
 昼のトリは、昼席主任の三遊亭円馬の落語でしまった。
 しまった!
 上手かったのよ!
 ついつい〈昼夜入替えなし〉文字が、おろされた幕に浮かび上がった。

「一日のうちで、昼と夜の違いを比較研究しよう」
 堅めに言い聞かせた。
 昼は出し物だけに集中したけれど、夜は小屋全体の雰囲気を味わってみよう。
 そこで後ろの席に移動。
 5時開演である。

 見回すと、親御さんに連れられた小学校高学年の子供たちから、青年団、若いカップル、中高年、70代以降の客で満席となっている。
 桟敷席には「直虎」に出くるようなイケメングループが陣取っているではありませんか。
 しばし、鑑賞。
 ちょっと嬉しい!
 だいぶ嬉しい!

 さて、夜の部には、江戸曲独楽芸もあって、その時ばかりは隣に江戸独楽作家の福島保さんがすわっているような錯覚すら覚えた。
 昼夜とも、演目の割合は同じ。
 曲独楽のほかには、バイオリン芸、曲芸等々。
 あとは落語をしっかり聞かせる。

 昼・夜に共通しているのは、初心者用に落語の世界をガイダンスする話、客席でのマナーも笑いのうちに伝える話、楽屋うちの様子が盛り込まれて親近感を起こさせる話。
 そのほかに、人情話、定番の古典落語を現代の話を枕にアレンジしてきかせたり、サービス精神はてんこ盛りなのである。

 夜の部、お中入り前は、昔々亭桃太郎の落語でしめ、最後は今月の中席主任の春風亭昇太がしめた。
 お腹を抱えて笑った。笑った。
 当初の理屈もへ理屈も退散。

 気取った雰囲気の国立演芸場で、昔し昔し、一席が長ーい落語を聞いたことがあったが、大衆芸能としての寄席は、まったく違った味わいがあった。

 今度は、一人ずつの独演会をじっくり聞いてみたい、と思った次第。
 すっかり落語協会の意図にはまってしまった、てなわけでございます。

 さすがに今朝は、二日酔い状態で目覚め、今、むかい酒かわりにブログをしたためているようなわけで。

 さて、さて、日本近代文学館主催の「夏の文学教室」で聞いた詩人荒川洋治、作家阿刀田高、両氏の話芸。
 1943年から44年にかけてつくられた松竹(国策)映画の女優さんたちの科白。
 そして寄席のことば。
 たて続けに日本語に出会った夏は、とっても素敵だ。
 生活に密着し、でも、非日常の空間で、選りすぐりの話芸で語られる日本語ってすばらしい!

 すっかり酔いが醒めましたッ!!
コメント
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