大震災から一週間。
長かったような、あっという間だったような、時間感覚が一部失われたような気がしている。
かろうじて日常的な感覚を保とうとしていたのかもしれない。
そして、今朝の晴天。太陽の光に心が吸い込まれていった。亡くなった方々に手を合わせ、これ以上の災難が、起こらない事をひたすらに祈った。
さて、昨日の午後、町に一軒だけ残った乾物屋に買い物に行った。
そこではダイヤル式の古い電話機を未だに使用している。
「停電になっても大丈夫だとおもうけど」
若い店主は、親から受け継いだ家業を守り、淡々と商売を続けている。時代がかわっても変わらないものを売っているしたたかさを持った人だ。
この市場は味噌屋、鰹節削り専門店、煮豆屋、八百屋、肉屋、揚げ物屋など食生活の基盤を支える店が集まった場だった。しかし、日本がデジタル社会に変貌するに従って、一軒やめ、二件やめするうちに、とうとうこの乾物屋だけが残った。まわりを見回せば、一杯呑み屋、ラーメン屋、屋台に近い食べ物屋に変わってしまった。いついっても客はすくない。閑散として、薄暗い空間だったが、昨日は表通りの店も節電をしていたこともあり、その界隈の暗さが一種の調和さえみせていたのだ。
近くのスーパーなどは、一時の喧噪はなくなって、少しだけだが落ち着きを取り戻しつつある。いまだに駅に隣接した大手のスーパーは、閉店状態にかわりはないが。
そして夕方には、おいしいケーキをお土産に、たずねてくださった方がある。近くで授業をなさるという。一緒にお茶を飲みながら、たわいのない話をしながらほっとする時間いただいた。
さて、本日、原発への放水がうまくいきますように。
危険な仕事に就く皆さんに、心からの感謝をしつつ、ご無事を祈る。
長かったような、あっという間だったような、時間感覚が一部失われたような気がしている。
かろうじて日常的な感覚を保とうとしていたのかもしれない。
そして、今朝の晴天。太陽の光に心が吸い込まれていった。亡くなった方々に手を合わせ、これ以上の災難が、起こらない事をひたすらに祈った。
さて、昨日の午後、町に一軒だけ残った乾物屋に買い物に行った。
そこではダイヤル式の古い電話機を未だに使用している。
「停電になっても大丈夫だとおもうけど」
若い店主は、親から受け継いだ家業を守り、淡々と商売を続けている。時代がかわっても変わらないものを売っているしたたかさを持った人だ。
この市場は味噌屋、鰹節削り専門店、煮豆屋、八百屋、肉屋、揚げ物屋など食生活の基盤を支える店が集まった場だった。しかし、日本がデジタル社会に変貌するに従って、一軒やめ、二件やめするうちに、とうとうこの乾物屋だけが残った。まわりを見回せば、一杯呑み屋、ラーメン屋、屋台に近い食べ物屋に変わってしまった。いついっても客はすくない。閑散として、薄暗い空間だったが、昨日は表通りの店も節電をしていたこともあり、その界隈の暗さが一種の調和さえみせていたのだ。
近くのスーパーなどは、一時の喧噪はなくなって、少しだけだが落ち着きを取り戻しつつある。いまだに駅に隣接した大手のスーパーは、閉店状態にかわりはないが。
そして夕方には、おいしいケーキをお土産に、たずねてくださった方がある。近くで授業をなさるという。一緒にお茶を飲みながら、たわいのない話をしながらほっとする時間いただいた。
さて、本日、原発への放水がうまくいきますように。
危険な仕事に就く皆さんに、心からの感謝をしつつ、ご無事を祈る。