羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

嵯峨本……三上のブログ「記憶の彼方へ」

2011年03月11日 13時41分12秒 | Weblog
 すてきなブログに出会いました。
 三上のブログ「記憶の彼方へ」 札幌大学の哲学の先生のようです。お名前は、三上勝生(みかみまさお)さんとおっしゃいます。
 ブックマークに入れておきましたが、「嵯峨本」に関しては「飛んでる平仮名」にあります。↓

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20080403/1207233099

 明日の12日(土)、朝日カルチャー野口体操講座で取り上げたいと思っています。日経新聞 3月10日掲載 『「嵯峨本」の謎 活字を藝術にする』に関連して見つけたブログでした。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津田大介 NHKテレビに出演

2011年03月11日 09時21分38秒 | Weblog
 昨晩(3月10日)、夜7時30分(実際には32分)からのNHK「クローズアップ現代」に、津田さんが出演した。
 本を通してもったイメージと、生放送テレビで見るのとでは、当然のことだけれど印象が違う。昨日は、時間帯やNHKの硬派番組ということもあってか、言葉遣いや表現は押さえ気味で、悪い印象は与えず無難にこなしていた。
 一緒に見ていた86歳の母と会話する。
「あの髪の色に染めるには、髪みいさん(髪結いさん・美容院)長い時間かかるんだろうね」
「そうね、半日はかかるんじゃない。でも、最近は、サッカーがはやりはじめた頃に比べて少なくなってきたけどね。若者が緊縮財政ってこともあるけど」
 知っている範囲で、これといって新しい話題はなかった。しかし、NHKで取り上げるということは、中東や北アフリカの政変、テレビの存続問題に現実的な危機感があったからだろう。

 話を聞きながらiPadでニコニコ動画のアカウントをとるべく打ち込みをしてみた。ところが最後の暗号アルファベット打ち込みが何度試みてもはねられてしまって、とうとう番組は終了してしまった事もあり、あきらめた。

 若者がパソコンの前に陣取って、打ち込み作業をしている姿は、おばさん(おばあさん)世代には、ついていけないかもしれない。津田さんの話でひとつ面白かったのは、「結局、昔、街頭テレビで力道山のプロレス中継を見ながら、集まった人たちがワイワイ応援したり、ヤジを飛ばしたりするのと同じような心理かも」というようなことを話されたことだった。
 その後、家庭に一台のテレビが来て、チャンネル権は父にあった時代は長かった。そのうちにそれぞれが持つようになって、自由に好きな番組を見ることができるようになる。それって案外孤独なんだよね。ところが人間って贅沢ないきものだから、自由を獲得すると、とたんに飽きる。そのうちにテレビが日常化しすぎて、つまんない!と思う若者が増えた。
 そして今ではパソコンやデジタル端末で情報をとり、双方向で即やり取りができるようになる。するとどっとその流れに身を任せる若者が増えたわけだ。

 知人が『ネトゲ廃人』という本を上梓したが、ネットゲームにはまって社会生活ができなくなる人々を取材した記録だった。ニコニコ動画やユーストリームなど、延々、だらだら放送につきあっているうちに、中毒になる者が現れても不思議はないよね。そこは勝負が持ち込まれていないから、”癒し”を求めてってことになるのか?とも思う。

 一方で、音楽も生放送も”視聴率ランキング上位者が勝ち”みたいな風潮がすでにある。とくにTwitterはフォローする人が多いとか、少ないとかいったことが基準になっている。数に負けるその怖さだって知っていた方がいいと思う。くりかえすけれど数の横暴と暴走は、本当は怖いのだ。

 さて、編集されたくない政治家が、ニコニコ動画にご出演で格をあげたようだが、視聴し書き込みをし、ヤジを飛ばし、同感し、興奮し(少ないかも)、いつの間にか流されてしまう。知らないうちに’受け身の漂流時代’の幕開けってことも頭の隅においておきたい、と番組を見ながらつぶやいていた。

 すべてが悪いわけではない。何事も裏表。そして人生は「裏を見せ表を見せて散るもみじ」なわけで、裏から表へ、表から裏へ返されるその行為の中に真髄がある。そこで何を思い、何を価値とするのか、そこに磨きをかけるのは私自身だし、私と直接関わってくれる生身の人間たちがそばにいてくれることが大事だよね。

 クローズアップ現代を見終わって思い出した事がある。
 春秋社から出版した『アーカイブス 野口体操 野口三千三+養老孟司』のもとのテープはVHSで、その当時の体操教室と朝日カルチャー講座を受講していた方々に、実費でお分けした。すでに無編集という考えをもっていて、見た人がそれぞれが編集してほしいという思いを通した。
 野口三千三授業記録は、その意味では、今、拡大しつつある個人放送局の考えを先取りしていたと思う。生ものをできるだけ手を加えず、レアな状態でみてもらうという姿勢だった。とはいえ多少編集をして、授業記録を何本か配布した。それに対して見た方々から、いくつもの苦情をいただいた。当時は理解されなかったのだった。微妙!

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする