三月二十九日は野口三千三先生の祥月命日である。
上野寛永寺の桜は蕾をかたくして、花見の時期にはまだしばらくの気配だった。
墓地のある第二霊園のなかでも、古い墓石は先日の地震で倒れたらしい。古木の桜にも同じようにロープを張り巡らせて、人が近づけないようにしてあった。
はやいもので、十三回忌法要の際にお参りをして丁度一年が過ぎた。
何事もない一年であったはずが、ぎりぎり三月十一日を境に大きく変化したことに呆然とする毎日である。
思いかえせば、満開の桜のもとで先生をお見送りした。鴬谷から上野は花に包まれ、その華やかさが悲しみをより深いものとしたように記憶している。その後しばらくの春は、散る花を見るにつけ、喪失感に苛まれていた。
しかし、時が、次第に心を溶かしてくれることも知った。
今朝は、墓前に花を手向け、線香を炊いて、手を合わせた。
年月はあっという間に過ぎていった。その間、大学の教養体育で野口体操を教える場をいただいて、十年目の春である。
「まさか私が?!」
体育の教員になろうとは、誰が予想しただろう。きっと野口先生がいちばん驚いていらっしゃるに違いない。
「無事につとめております」
報告ができたことは嬉しい。
六大学のなかでもとても恵まれた大学環境で、若い学生たちに囲まれ、充実した日々を送っている。いつの頃からかこのミッションが生き甲斐となっている。
「身体へのまなざし、具体的には”感覚”と”意識”を身体と運動においてみつめ、従来にない価値観を探る授業をしています」
ちょっと偉そうに報告してしまった。
若い感性は素直に受け取ってくれる。ことのほか、時代が、野口体操の身体感や自然観を受け入れやすい方向へと歩いている十年のような気がしている。
もう一つの報告をした。
野口先生にお供して二十年間助手をつとめ、そのまま教室を引き継いだ朝日カルチャーセンターのクラスが、満三十二年目の春を迎えたことだった。存在を失ってつぶれてしまっても不思議はないくらい、カリスマ野口の教室だった。だからこそ野口体操の灯火を消してはいけない、と思ってくださる方々が集っている。
ほんとうにおかげさまという言葉しか見つからない。
そして最後に、今、日本が見舞われている恐るべき状況に、先生ならばどのようなお考えを持ち、どのような言葉で語られるのか、とお伺いをたてた。
その場での答えはいただけなかった。
帰りは上野公園を抜けた。公園は一部の区域が工事中で、かなり広い空間が遮られていた。
駅の前、上野文化会館の正面近くには、立て看板が据えられていた。
読んでみると、上野動物園は三月十七日以来休園で、次に開園される時期はまだ決まっていない。しかしその開園に合わせてパンダが公開になるらしいことが書かれていた。
全国の子供たちのためにも、一日もはやい開園が望まれる。
かつて芸大の隣組・上野動物園に足しげく通われた若き日の野口先生がいた。動物の習性や動きを研究され、それは体操に十分に生かされた。
今、自宅のパソコンでブログを書いている。
朝の墓参から、改めて野口体操の「自然直伝」”自然に貞く・からだに貞く”原点に立つことを示唆されたような気がしている。
なんとも決意文のような固い文章になってしまったことが、はずかしい。
上野寛永寺の桜は蕾をかたくして、花見の時期にはまだしばらくの気配だった。
墓地のある第二霊園のなかでも、古い墓石は先日の地震で倒れたらしい。古木の桜にも同じようにロープを張り巡らせて、人が近づけないようにしてあった。
はやいもので、十三回忌法要の際にお参りをして丁度一年が過ぎた。
何事もない一年であったはずが、ぎりぎり三月十一日を境に大きく変化したことに呆然とする毎日である。
思いかえせば、満開の桜のもとで先生をお見送りした。鴬谷から上野は花に包まれ、その華やかさが悲しみをより深いものとしたように記憶している。その後しばらくの春は、散る花を見るにつけ、喪失感に苛まれていた。
しかし、時が、次第に心を溶かしてくれることも知った。
今朝は、墓前に花を手向け、線香を炊いて、手を合わせた。
年月はあっという間に過ぎていった。その間、大学の教養体育で野口体操を教える場をいただいて、十年目の春である。
「まさか私が?!」
体育の教員になろうとは、誰が予想しただろう。きっと野口先生がいちばん驚いていらっしゃるに違いない。
「無事につとめております」
報告ができたことは嬉しい。
六大学のなかでもとても恵まれた大学環境で、若い学生たちに囲まれ、充実した日々を送っている。いつの頃からかこのミッションが生き甲斐となっている。
「身体へのまなざし、具体的には”感覚”と”意識”を身体と運動においてみつめ、従来にない価値観を探る授業をしています」
ちょっと偉そうに報告してしまった。
若い感性は素直に受け取ってくれる。ことのほか、時代が、野口体操の身体感や自然観を受け入れやすい方向へと歩いている十年のような気がしている。
もう一つの報告をした。
野口先生にお供して二十年間助手をつとめ、そのまま教室を引き継いだ朝日カルチャーセンターのクラスが、満三十二年目の春を迎えたことだった。存在を失ってつぶれてしまっても不思議はないくらい、カリスマ野口の教室だった。だからこそ野口体操の灯火を消してはいけない、と思ってくださる方々が集っている。
ほんとうにおかげさまという言葉しか見つからない。
そして最後に、今、日本が見舞われている恐るべき状況に、先生ならばどのようなお考えを持ち、どのような言葉で語られるのか、とお伺いをたてた。
その場での答えはいただけなかった。
帰りは上野公園を抜けた。公園は一部の区域が工事中で、かなり広い空間が遮られていた。
駅の前、上野文化会館の正面近くには、立て看板が据えられていた。
読んでみると、上野動物園は三月十七日以来休園で、次に開園される時期はまだ決まっていない。しかしその開園に合わせてパンダが公開になるらしいことが書かれていた。
全国の子供たちのためにも、一日もはやい開園が望まれる。
かつて芸大の隣組・上野動物園に足しげく通われた若き日の野口先生がいた。動物の習性や動きを研究され、それは体操に十分に生かされた。
今、自宅のパソコンでブログを書いている。
朝の墓参から、改めて野口体操の「自然直伝」”自然に貞く・からだに貞く”原点に立つことを示唆されたような気がしている。
なんとも決意文のような固い文章になってしまったことが、はずかしい。