羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

国民年金支給と公平感

2011年03月09日 14時53分19秒 | Weblog
 年金問題が浮上したとき、ねんきん特別便が送られて、私の場合は3年ほど足らない事がわかった。さっそく区役所の担当部署に電話を入れた。話によると60歳の誕生日を迎えてから、一日もあける事なく「任意加入手続き」をとって、足らない分を納めると、満額支給資格が得られるということだった。
 そこで教えられた通りの日に区役所に出向き手続きをとった。そしてこの4月に一年分を納めると二十歳から始めた年数にたっする。
 
 来月4月8日で62歳になる私だが、三年後に年金支給をはじめてもらう予定だ。実は、以前入っていた青色申告会からすすめられて、国民年金基金が始まった年から、そちらにも加入している。この基金は、60歳までしか掛けられない仕組みらしい。
 正直なところ、私の世代は若い時分に今よりは国を信頼できたから、どちらも躊躇いもなく加入した。しかし、一回り下の世代の知人になると国への信頼感は大きく崩れているようだ。ましてもっと若い世代にとっては、何をたよりにしてよいのか不安になっても仕方がない状況であることを認めざるを得ない。
 
 先日、働き盛りの知人の愚痴を聞いた。
「以前、アメリカのGMで退職した人たちに対する潤沢な年金や医療費負担で破綻がきたのといっしょで、僕の会社も年寄りのためにものすごく働かされている感じがするんだ。50歳まで自分の身体が持つかどうか、とっても心配なんだ。うちの会社も厚生年金支給額がいいからなぁ~。でも僕の時は無理だ、と思うと何の為に働いているのかわからなくなっちゃう。ウウウウウウッ」
 若者がイキイキできない社会はおかしい。しかし、若いということは時間がある。失敗しても取り返せる時間がある。
 最近になってつくづくそう感じるようになった。とりわけ年金を払い込まなくてすむようになると思うとね。
 
 いずれにしても相撲じゃないんだから、年金に関しては公平感は大事だ、と思う。何かの事情で払い込めなかった人は、それなりに公平感がある対処の仕方が求められる。そして、きちんと払い込んでおけば、安心して年金がもらえる、という基本は崩れないで欲しい。が、しかし自分の身は自分で守る姿勢も大切と思う。ここに来て、国に頼りすぎるな、国を信じすぎるな、というのが母方の祖父の教えだったことを思い出す。
コメント
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