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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ミスをなくすには?

2007年12月13日 09時47分48秒 | Weblog
 誤字脱字、誤植をどのように減らすのかが、来年の課題だ。
 手書きだったら、おきないミスを連発している。
 パソコンに座ってキーボードを打ち始めると、最初はもたもたしていてもあるところから急にスピードが出てくる。言葉の速さに手の動きがついていかない。
 打ち込んだものをじっくり読んでいると、言葉が消えていき、消えないうちにドンドン打ち込むとミスがあるというので、自分でも何とかしなければと思いつつ今年も終わる。

 十数年前に聞いた話だが、手書きを行っているという作家は、「一ページのなかに漢字と平仮名の配分まで目に浮かんでくるので、キーボードでローマ字打ちして、漢字変換すると意識が途絶えていやだ」とおっしゃるのを記憶している。

 私の場合は、そこまで高尚な理由ではない。真っ白な状態で文章を書き始めて、手を動かすことによって言葉が出てくる状況だと、手を休めたり漢字変換で手間取ることが出来ない。

 文章を書きながらさまざまな思いが交錯して、その整理の過程で回路が絡まるときにミスが起こっているようだ。で、そこで手を止めてしまうと、言葉が途切れてしまうので、そのまま続けていってしまう。それがいけないかも。

 そしてあとから読み直すと、文章を読んでしまう。
 見逃すのはというか、気がつかずにそのままになるのは、ローマ字打ちゆえのミスが、ほとんどのようだ。そしてもう一つのローマ字打ちの難儀は、日本語になった英語やその他の外国語を打つときに、元の綴りに間違いがおこっている。

 いっそ、手書きに? しかし、もう、手書きに戻るのは難しい。きっとそれはそれで問題が出てくるにちがいない。だいたい手書きではブログを綴ることができないだけでない。文章がほとんど書けなくなる。手書きだとすでに言葉が出なくなってしまった。
 
 ひとつ思い浮かぶことは、脳を通して書いているという実感がなくなって、手でそのまま打っているような気がするときがある。考えていないのか? そんなことはないのだが。文章を書くときは文字言語であるはずが、音声入力言語に填まりすぎてしまったと思うことがある。
 
 言い訳ついでに、書きっぱなしの状態ではないつもりだが、数日が過ぎてなんとなく読み返してミスに気づいたり、書き直したりしている。
 かつて何日もかかって下書きし、繰り返し読み直し、書き直し、浄書してからも紙を無駄にし、投函する前に一日置くということをしていた、そこに戻ればよいのかもしれない。
 
 来年は極力ミスを少なくしたいと思いつつ、今日のブログを書いている。
 何かいい手立てがあったらお教えください。

 そうお願いする前に、粗忽につける薬を探すことが先決でしょ、という声がどこからか聞こえる。
コメント (8)
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