羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

冬至前の朝の月

2007年12月07日 09時04分43秒 | Weblog
 カレンダー「白川静 漢字暦」(平凡社)には、日付の右に小さな文字が記されている。
 詳しく言うと、日付の右上の漢数字は陰暦の月日、日付の右には日本の祝日・二十四節気と雑気・「●」は新月、「○」は満月、といった情報が書き込まれている。しかし、それは今年2007年までで、来年2008年から「陰暦の日付」が消えた。後のものは残されたままである。ちょっと寂しく不便になっただけでなく書き込みの意味が半減した。

 ここから、ちょっとややこしい話↓にお付き合いを願いたい。

 今年12月10日は、陰暦の11月朔日(月発ち=ついたち)である。
 少しおさらいをしておきたい。

「陰暦」は正確には「太陰暦」という。月が地球を一周する時間を基に作った暦だが、「太」の字を取ってしまうと、太陽暦に負けてしまったような感じがするのは、僻みだろうか。「旧暦」というと、文明開化に乗り遅れた前近代という印象までもあったりして。

「二十四(にじゅうし)節気」とは、太陽年を太陽の黄経に従って二十四等分し季節を示す、と簡単に捉えておこう。

「黄経」は、天球上の一点から黄道に下した大円の足を、春分点から測った角距離。赤経と同じく、春分点から東の方へ測る。(広辞苑)

「雑気」というのは、おそらく「雑節」のことだと思う。
 これは二十四節気以外の節分で、節分・八十八夜・入梅・半夏生(はんげしょう)・二百十日・土用・彼岸・社日(土の神、五穀の神を祀り祝う日で春分・秋分にもっとも近い戊つちのえの日をいう)等々のこと。(2007運勢暦より)

 で、12月10日は、太陰暦の11月朔日で、新月である。月と太陽の黄経が等しい時の称(広辞苑)。陰暦で、月の第一日。朔(さく)という。この「朔」は、月+逆の逆。遡ると同系の文字。「遡(さかのぼる)と朔(は)じまる」わけで、「逆」のしんにゅうをとった文字は「大(手足を広げて立つ人を正面から見た形)を逆さまにした形で、向こうから来る人を上から見た形」という白川説をとりたい。

 **話を戻そう、というか、いちばん話したかったこと**

 このところ新月に向かってますます月が細くなっていく。その移ろう様を太陽が顔を出し始める前の時刻に見ている。
 月のはじめの夜に見える新月を中心に、陰暦で月の第三夜前後の極めつけの憂いある美形つまり三日月を待ちに待って、今朝もまだ暗い空を見上げながら、朝刊を取りにいった。

 日の出前、午前5時頃に見る月は、夜見るものとは違う風情があるのだ。とりわけ静まり返った余韻のなかで、空気が夜から朝に変わっていくはざまの匂いがなんともいいわけで……。寒空のもと、手に取った新聞の印刷の匂いと絡まった瞬間に、からだが目覚めてくれる。
 
 冬至前、早朝の月を愛でるお話でした。
 
コメント
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