羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

花梨(かりん)

2007年12月04日 18時39分05秒 | Weblog
 以前、このブログに江戸独楽作家・福島保さんが好きな木材として、花梨のことを書いた記憶がある。

 今年、我が家の枝には晩春に花は咲いたが、実はならなかった。
 花弁の下のふくらみで実がなる花か、ならないかは判断がつく。
 確かに1つ2つ、ふくらみが大きいものがあったが、満開の時に大風で飛ばされてしまった。

 12月に入ってやっと色づき始めた。
 今年は、8月は暑かった。その名残が9月まで滑り込んで、さらに秋が暖かだったこともあって、紅葉がすすまない。よしんば黄葉しても欅などは黄色になる前に、いためつけられたような茶色の葉になり、一部黒く枯れ始めてしまい、どの木も綺麗な色付きにはならなかった。

 その点、花梨は救いがあった。花梨の木は匂いもよく木質も固く、食用にはならないが、焼酎に漬け込んで花梨酒にもなる。で、それでうがいをするといいといわれている。
 
 今日も日中はそれほどの寒さではなかったので助かっている。
 東京の本格的な寒さは正月過ぎにならないとやってこない。
 落葉樹は12月中に葉を落とす。
 しかし、常緑樹はすでに来年の新芽の蕾をすでに準備している。
 青虫にすっかり食べられた‘くちなし’もまた新しい葉の気配が感じられる。
 一年を通して植物の変化を見守っていると、命の循環が感じられる。
 最近では葉の茂り具合で、根の張り具合をほんの少しだが、予想することが出来るようになった。
 父が亡くなって今月19日で5年を数える。
 鉢のなかで細々と命をつないでいる植物が、少しずつ減っていく。植え替えはできても枝おろしが難しい。伸び放題の松は、盆栽の体をなしていない。
 生きているというだけでお許しいただこう。
 さて、これから霜柱が立つ冬がくるのかしら?

 花梨の葉は、もう少し赤みが全体に指してきたときを境に葉を落とす。
 自然は自然をいちばんよく知っているようだ。
「来年はちゃんと実がなってほしい」
 大きな台風が来ないことを願いつつ、水遣りをしながら、枯れ落ちる前の花梨に祈ってしまった。

 晩秋から初冬へ、時は確実に移ろう。
コメント
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