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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

衣になじむために

2007年12月06日 09時18分15秒 | Weblog
 ‘家になじむ’話を書いて思い出したことがある。 
 ‘衣になじむ’お話。

 野口三千三先生は、東京藝大を定年退官された後に、ラフな服装とリュックという出で立ちになった。退官前だって決して固い服装ではなかったが、もっと砕けた方向に変わられた。

「僕はブランド品には興味がないの」
 とおっしゃりながらもたとえばジーンズ。お気に入りは、インディゴ・ブルーの染めが美しいものでジーンズといってもピチピチのものではなくゆったり目のブランド物もあった。
「結果としてブランドと言われるものもあっただけヨ」
 Tシャツは、さまざまなものを身につけておられたが、肌に合うと同じものを何着も購入されていた。名の知れたデザイナーの物もあったのだ。
 セーターは、複雑編みの柄物が多かった。何色も使われているので、裏側には伸びた毛糸が何十にも重なっていた。厚みがあって暖かなものを身につけられていた。
 とりわけマフラーは凝りに凝っておられた。最晩年には絹の薄い女性用のストール系のものをたっぷり首に巻いておられた。これは軽くて薄くてあたたかい。柔らかな肌触りを好まれていた。

 体操のズボンは、ずいぶん昔に近くのテーラーで何本も誂えたものを大切に着ておられた。伸縮性のある生地であることはもちろんだが、ポケットはなしに、しかしベルト通しは付いている。このベルトは丁度よいものに出会うまでの道のりが大変だった。なぜ、そこまでベルトにこだわるのか。先生の美意識では、男物のズボンには、ベルトはなければならなかったのだ。ジャージーのだらしのなさは授業や講演やレッスンにはふさわしいものとは思わなかった律儀さが貫かれていた。その上、ズボンの長さや、胴回りのサイズなど、細心の注意が払われていた。

 かなり贅沢と思われるかもしれないが、一般的にスーツやシャツやその他小物など紳士物はもっともっと高価である。野口先生の贅沢はそれほどのことはない。
 いや、考えようによっては、ある意味でもの凄く贅沢だったと言えるかもしれない。それは着心地と言う点において、徹底的にこだわると言う贅沢なのだ。
 今風に言えば「からだへのフィット感こそが着るものの命」

 そして最後の仕上げは、ご自分で手を入れること。
 後ろ襟についている小さな細長いタグ?とでもいうのだろうか?
 メーカーの名前が付いているあの布を丁寧にはがすことだ。
「襟首に邪魔になるし、材質によっては冷たいときがあるの。それに何回も洗濯したり時間がたつと、そこの部分だけが縮むことがあって外側に響いてしまうのよ。安物だとミシン目から穴があくことがあるし。それに布の糸がほずれてきて毛羽立つことだってあるでしょ」
 本体の布地を切らないように、縫い付けてある糸を少しずつ切っていく作業をすることで、そのものが自分のからだと一体になってくるのだという。
 老眼がすすんでからは、お近く用眼鏡をかけて、その上から額に輪をとめて目の位置までレンズをずらすことが出来る医療用の両眼で見られる拡大鏡をつけてその作業をなさっておられた。
 お見事!
コメント
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