かめいどさんから「ヘンリーの法則」についてコメントいただいた。
「気体の溶解度は圧力に比例する」。
ありがとうございます。
こういったことを実験で確かめ、「高気圧酸素療法」を行う器具まで作り出す行動の動機付けは、いったいどのような思考から生まれるのだろうか。
実は、昨日のブログには書き忘れたことだが、このカプセルに入る前には必ず身体検査が行われる。
マッチ・ライターその他、燃えやすいものを持っていなかどうかを調べるのである。
隠し持つような不届きものはいないと思うが、うっかり見逃したら大変なことになる。爆発を起して命はない。火事になるのだ。紙一重とはよく言ったものだ。
さて、昨晩、ブログを読んでくださった知人から電話をもらった。
「羽鳥さん、体操はどうしていたの」
「もちろん、十分すぎるほど、やってましたよ」
詳しく彼女に報告をした。
眠っているときと、体操をしているときは、耳の雑音が薄らいでくれるのだ。
「突難」を患ってから、ずっと、意識が覚醒状態にあると、常に耳鳴りがしていた。僅かな振動にも耳が敏感に反応するというような身体的状況にあった。
そんな状態のなかで、とりわけ気分がいい動きは「真の動き」だった。仰向けになって頭の上方に脚を持っていく、例の動きである。
損傷を受けている「蝸牛殻」(内耳の一部。カタツムリの殻状に彎曲した器官。管内の聴覚細胞は鼓膜から音波の伝達を受けてこれを感受する。広辞苑)の形状と似ていると感覚的に思ってしまったこともあって、この動きをしているときは気持ちがいい。
そしてもうひとつは「ヨガの逆立ち」だった。丸くなったところから腰を引き上げ、螺旋状に上がっていくイメージで行う野口体操の在り方が、なんともいい感じだった。
思えば、両方ともに螺旋形・蝸牛形の暗示にかけていたような気がしてならない。
治療の間に、脳のMRIの診断までうけて、異常がないということだったので、ステロイド・星状神経ブロック(ペインクリニックの治療)・高気圧酸素療法、そして野口体操を駆使した治療を行ったのだ。
内耳の循環障害「感音難聴」は、補聴器では音を再生できないと最初に言われたから、真剣そのものだったかもしれない。
「できるところまで聴力を回復することが、耳鳴りの不快感を減らすたった一つの方法です」
そう医師からは、治療に入る前の段階で言われていた。
治療の効果が出始めるのにつれて、耳の中に組み込まれているスピーカーが、出すことのできる周波数が拡がっていたった感じ。聴力を回復した音域の音の再生が可能になるような状態だった。
しかし、未だに1000ヘルツから上の音域は、完全には回復していないが、悪くなった耳に回復の兆しがはっきりしたときの状態について、「隅田川」を例に取るとこんな風に聞こえていた。
「春のうららの隅田川」という出だし、「す~ぅ↗ み~ぃ だー ↑がー ↓わー」のところは音域が広い。「み~ぃ だー」あたりから音程がズレはじめ、「が」のところでは上りきらない。ぶら下がった音程で歌っているように聞こえる。治療中でも、ステレオ耳で聴く場合は、ちゃんと聞こえたけれど、大きな音は辛かった。ピアニッシモで丁度いい音量だったが、未だにその傾向は続いている。
当時、クラシックよりも邦楽を聴く方がは、耳に負担が少なかったことをはっきりと記憶している。
感覚とは微妙な世界だ!
ところで、最初の話に戻そうと思う。
「気体の溶解度は圧力に比例する」という法則を今回初めて知った。こんなことがからだのなかでおきることに神秘性を感じる。「神秘性」などという言葉を、普段まったく使わない自分なのだが。それほどすごい治療を受けたのだという驚き。
今では、10代の若者が試合の間隙に、短時間で元気を取り戻すために「ベッカム・カプセル」と命名された簡便な方法で、疲れを取ったということが間違いない情報だとしたら、更なる驚きを禁じえない。
確かに「高気圧酸素療法」の治療後、脳の快感はなんといったらいいのかなぁ~。
意識はしっかり覚醒しているし、感覚はクリアだし。考えて見れば、身体的な疲れが取れるからかもしれない。
いやいや、表現をもっと探ってみなければ、危険だ。
今日は、ここまで。
「気体の溶解度は圧力に比例する」。
ありがとうございます。
こういったことを実験で確かめ、「高気圧酸素療法」を行う器具まで作り出す行動の動機付けは、いったいどのような思考から生まれるのだろうか。
実は、昨日のブログには書き忘れたことだが、このカプセルに入る前には必ず身体検査が行われる。
マッチ・ライターその他、燃えやすいものを持っていなかどうかを調べるのである。
隠し持つような不届きものはいないと思うが、うっかり見逃したら大変なことになる。爆発を起して命はない。火事になるのだ。紙一重とはよく言ったものだ。
さて、昨晩、ブログを読んでくださった知人から電話をもらった。
「羽鳥さん、体操はどうしていたの」
「もちろん、十分すぎるほど、やってましたよ」
詳しく彼女に報告をした。
眠っているときと、体操をしているときは、耳の雑音が薄らいでくれるのだ。
「突難」を患ってから、ずっと、意識が覚醒状態にあると、常に耳鳴りがしていた。僅かな振動にも耳が敏感に反応するというような身体的状況にあった。
そんな状態のなかで、とりわけ気分がいい動きは「真の動き」だった。仰向けになって頭の上方に脚を持っていく、例の動きである。
損傷を受けている「蝸牛殻」(内耳の一部。カタツムリの殻状に彎曲した器官。管内の聴覚細胞は鼓膜から音波の伝達を受けてこれを感受する。広辞苑)の形状と似ていると感覚的に思ってしまったこともあって、この動きをしているときは気持ちがいい。
そしてもうひとつは「ヨガの逆立ち」だった。丸くなったところから腰を引き上げ、螺旋状に上がっていくイメージで行う野口体操の在り方が、なんともいい感じだった。
思えば、両方ともに螺旋形・蝸牛形の暗示にかけていたような気がしてならない。
治療の間に、脳のMRIの診断までうけて、異常がないということだったので、ステロイド・星状神経ブロック(ペインクリニックの治療)・高気圧酸素療法、そして野口体操を駆使した治療を行ったのだ。
内耳の循環障害「感音難聴」は、補聴器では音を再生できないと最初に言われたから、真剣そのものだったかもしれない。
「できるところまで聴力を回復することが、耳鳴りの不快感を減らすたった一つの方法です」
そう医師からは、治療に入る前の段階で言われていた。
治療の効果が出始めるのにつれて、耳の中に組み込まれているスピーカーが、出すことのできる周波数が拡がっていたった感じ。聴力を回復した音域の音の再生が可能になるような状態だった。
しかし、未だに1000ヘルツから上の音域は、完全には回復していないが、悪くなった耳に回復の兆しがはっきりしたときの状態について、「隅田川」を例に取るとこんな風に聞こえていた。
「春のうららの隅田川」という出だし、「す~ぅ↗ み~ぃ だー ↑がー ↓わー」のところは音域が広い。「み~ぃ だー」あたりから音程がズレはじめ、「が」のところでは上りきらない。ぶら下がった音程で歌っているように聞こえる。治療中でも、ステレオ耳で聴く場合は、ちゃんと聞こえたけれど、大きな音は辛かった。ピアニッシモで丁度いい音量だったが、未だにその傾向は続いている。
当時、クラシックよりも邦楽を聴く方がは、耳に負担が少なかったことをはっきりと記憶している。
感覚とは微妙な世界だ!
ところで、最初の話に戻そうと思う。
「気体の溶解度は圧力に比例する」という法則を今回初めて知った。こんなことがからだのなかでおきることに神秘性を感じる。「神秘性」などという言葉を、普段まったく使わない自分なのだが。それほどすごい治療を受けたのだという驚き。
今では、10代の若者が試合の間隙に、短時間で元気を取り戻すために「ベッカム・カプセル」と命名された簡便な方法で、疲れを取ったということが間違いない情報だとしたら、更なる驚きを禁じえない。
確かに「高気圧酸素療法」の治療後、脳の快感はなんといったらいいのかなぁ~。
意識はしっかり覚醒しているし、感覚はクリアだし。考えて見れば、身体的な疲れが取れるからかもしれない。
いやいや、表現をもっと探ってみなければ、危険だ。
今日は、ここまで。