羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

からだとは不思議なものよ!

2006年08月20日 09時00分27秒 | Weblog
 休み明けの一回目のレッスンが、終わった。
 昨日、朝日カルチャーセンター土曜日のクラスである。
 佐治嘉隆さんが、一ヶ月ぶりに復帰されて、そろそろメンバーが揃ってきた様子。
 
 昨年の夏は、新宿駅から住友ビルに抜ける地下道の入り口周辺が、耐えられないほどの悪臭が漂っていた。ほとんど人が息を止めて足早に通り抜けるような有様だった。今年は、何処が改善されたのか、匂いがなくなっている。
 その地下道を抜けると、残暑が厳しかった。丁度2時30分過ぎのこと。

 教室内は空調がきいていて、動きにはいい環境である。
 やはり、広い部屋で、いつものメンバーとともに動くということは、ひとりで体操をするのとは違うもののようだ、という実感をあらたにする。
 これもからだの不思議さだ。
 ピアノのレッスンは個人教授しかありえないのだが、こと体操に関しては、個人教授というのは難しいところがある。何十人かが集まって、体操する事の方が自然なような気がしている。

 最近では、「何月何日までに、ポッコリお腹を引っ込ませたい」というような要望で、メニューを組んで、個人とトレーニングを行うジム等々も人気だそうだ。
「ここの筋肉をつけたい」
「腰痛予防に、このあたりの筋力アップをはかりたい」
 そういった注文にきめ細かに対応することも、それはそれだと思っている。
 現代人の意識ですべてを解決するひとつの在り方だろう。サプリメントの体操版というところだろうか。

 野口体操は、体操を名乗ってはいるものの、全く異なる価値観によっていることから、「野口体操」という名前を変えたほうがいいという、リポートに記してくる学生もいる。で、そのような意見を言う学生は、「野口体操は私にとって非常に合っていると思います」と肯定的なのだ。
 
 いろいろな在り方の身体とのかかわりがあっていいわけだが、東京はカオス状態かもしれない。
 体操のことではないが、ウィーンで音楽活動を行っている同級生がこんなことを言っている。
「東京にいると、あまりにもいろいろな情報が入ってきて迷ってしまうのよね。ウィーンくらいの町が丁度いいの」
 あらゆるジャンルの音楽が引きこす洪水状態に流されてしまうのだという。単純に選択肢が多いほうがいいともいえないのかも?

 そういえば去年のことだが、特別講座をおこなった桐朋学園大学演劇科の或る教授がいみじくも言っておられたことを思い出す。
「私たちが演劇を学んでいた時代とは全く状況が変わって、今の学生はあらゆる身体訓練を大学以外のスクールやセンターでやっているんですよね。昔よりはるかに動きの自由度は増したんですが、それが演技力・表現力につながるまでには問題がありますね」

 ごもっとも。
 いろいろなことを齧って、何ひとつとして身につかないことだってある。
 ひとつのことでもなかなか上手くいかない不器用な俳優志望の人間が、ものすごくいい役者になったことを、野口三千三先生からよく伺っていた。
 からだよく動く、ということといい役者になるということは、別のことなのかもしれない。
 
 じっくり、たっぷり、時間をかけて何かに取り組む時代ではなくなったのかもしれない。
 しかしである。

 上手い下手はともかく「楽に動ける」「気持ちがいいからだ」という方向で、こまめに動くことが少しでもできるようになったら、体操をした甲斐もあるというもの。
 
 で、久しぶりのレッスンで皆さんに質問を投げかけた。
「このお休みにも、体操を何かなさってました」
 たった一人、女性が手を挙げただけだった。

 しかし、動き始めてみると、案外いい動きがあちこちに見られた。
 2週間の休みが限度というところだろうか。 
 かく言う私も、大きく動く体操はほとんどやっていなかった。にもかかわらず動いてみると「いい感じ」だった。休息は案外大事で、休むことによって、内側で熟成することもある。しかし、まったく動かないわけではなかった。「座位によるほぐし」は、やらないと気持ちが悪いので、続けていたのだけれど、それにしてもである。

 プロの選手やバレリーナやダンサーや演奏家や……、そういった人々はその範疇には入らないかもしれない。ただし、一昔前とは違って、闇雲な練習をしても効果はないということは、常識になり始め、休息の大切さが言われている。

 からだとは不思議なものよ!
コメント (1)
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