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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「知る人ぞ知る」という言葉の重み

2006年08月09日 21時15分14秒 | Weblog
 台風の雨に閉じ込められた今日、三日前から読み始めた一冊を読み終えた。
 一挙書き下ろし770枚。四百数十ページ、読み応えのある本だった。
『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子著 日本経済新聞社である。

 帯の文を、まず記しておこう。
『僕の志は知る人ぞ知る 敢然と毒をあおぎ「米国の法廷」で裁かれることを拒絶した華族筆頭の衿持。「弱い人」が命を捨てて守ったものとは……』

 著者は「あとがき」で記している。
「棺の蓋を開けるのはノンフィクションの宿命のようなものだが、今回ほど重い蓋はまれだと思った。……近衛が死んで六十年経った今日、ようやく歴史の蓋も開き始めた感がした」
 著者は、ロンドンにあるナショナル・アーカイブスで、近衛に対する米戦略爆撃調査団の尋問書を発見し、その報告書から近衛の人間味を読み取った。
「男らしく、貴族の生まれらしく、誇りを捨てずに潔く全責任だけを負って、それが運命であるかのように天皇の御盾として命を絶った」と書く。
 
 その言葉は、著者自身に、そして読み終わった読者にも、なにをもって「弱い」といい、なにをもって「強い」というのか、と訴えかける。
 その言葉の内側には、「戦争の事実とは何か、戦争の真実とは何か」を、自身に問いただす姿勢が貫かれている。
 
 人の見方は、見る方向によって見え方が異なる。
 この一冊を読み終えて、久しぶりにずしりと重い感動をおぼえた。
 丹念に資料を読み込み、事実を描き出しながら、人の思いを直感で掬い取る能力は、著者の独壇場である。あえて著者が女性だからとは言わないでおきたい。
 その直感が近衛というひとりの存在を、書物のなかで生き返らせ、真実を語らせていく。
 1950年(昭和25)生まれの著者は戦争を知らない世代だが、この世代が生きた昭和は、戦前・戦中を生き抜いた人々の「生の言葉」が、十分に生きていた時代でもある。1949年(昭和24)東京生まれの私にとって「ついこの間、戦争は終わったばかり」というのが、幼いころの記憶なのだから。
 
 本に話を戻そう。
 近衛の死を聞いた天皇が「近衛は弱いね」と記録にあるが、しかし、著者は記録された文字だけで天皇の心境をうかがうことは不可能だという。この言葉は肝に銘じておく必要があると私は思う。
「あらゆる日記が、何を拾い、何を捨てているかを裏から読まないと真理は伝わらないのと同じではないだろうか」と続ける。
 言葉の表だけで解釈をする危うさを諌めている。言葉だけでなく映像資料もまた同じである。ひとつの言葉、一枚の写真、一つの記録映像、記録した人間が何を拾い上げているのか、何を意識的に捨ててしまったのか、何を無意識のうちに拾い上げ、何を無意識に捨ててしまったのか。そこを読み落とし読み間違えると、どんなに情報を得たとしても道を誤ることになる。

 こうして、読者は、読み続けるうちに、次第に本の深みはめられていく。
 近衛という人物を通して、皆が知っているとおもっている事柄の裏側に隠された「ある真実」を読み取ることができる。それは終戦直後に再来日した対敵諜報部長ハーバード・ノーマンと友人の都留重人が何を企んだのか、そして結果として近衛の生涯にどのような影響を与えたのか。そのことが、戦後日本が歩まざるを得なかった「ひとつの道の選択」につながっていくことになる。そのことは歴史の闇に謎として隠されている「事実」と「真実」にかかわっていることを、深みにはめられた読者は、暗示にとどめられた著者の言葉を通して読み取ることができる。
 
『新発見の外交文書などを通して、葬り去られた昭和史の棺の重い蓋が、いま開かれる』
 帯にはごく小さく、しかし太字で記されている。
 
 もう一度記そう。
『僕の志は知る人ぞ知る』
 六十年という時間を経たからこそ、「知る人ぞ知る」ひとりになった著者に、真実は微笑みかけるものらしい。
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