羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

生きものたち

2006年08月10日 19時51分38秒 | Weblog
 数えると6年、毎年子ども産んでいる野良猫が、今年は二匹子猫を連れている。
 最初に気付いたのは、我が家の北側にあるスチール棚の上に、一匹はグレーの斑もう一匹はグレーがかった薄茶色で、梅雨の前だったように記憶している。
 
 その棚には盆栽用の鉢を置いている。
 高さは塀とほぼ同じくらいだから、1メートル80センチというところだろうか。 ひょいと塀から飛び移って、日向ぼっこをしながら眠ったり、じゃれあったり、お乳を飲んだりしていた。棚に入れば小雨程度は避けられるから、母猫としてはなかなかいい場所を見つけたものだ。
 このスチール棚は、新しい家の中に置き場がなくなって、捨てるにはしのび難く、その場所に昨年夏に置いたばかりだ。

 一階の北側にある小さな窓から、そっと二匹の子猫と母猫の生態観察をしていたこもあるが、そこを居場所にする期間はあまり長くはなかった。
 東京の日照時間が、記録的に少なかった6月・7月、長梅雨の時期には、まったく子猫を見かけることはなかった。雨上がりに、母猫がときどき道路を歩いている姿を見かけた。授乳期の最後のころだろうか、乳首が垂れはじめ、からだ全体はやせ細っていった。
 こうして子どもを育てるのだなぁ~、と思いながら、母猫の姿をそっと目で追っていた。

 この母猫は野良といっても、なかなか毛並みがよさそうだ。その風貌からして、きっと飼い猫だったに違いないと想像がつく。
 去年の子猫は毛足が長く野良猫ではない感じがしていた。いつの間にかいなくなって、誰かが餌付けをして連れて行くのだろう。
 4年前の黒い子猫も、気がついた8月中旬過ぎには、いなくなってしまった。

 ところで、昨日から、二匹の子猫を連れて道路近くに姿を現している母猫を見かけるようになった。心配したとおり、日照不足・長雨で子猫の育ち具合は、この時期にしては小さいようだ。特に薄茶色の子猫は、あまり大きく育っていない。はじめて見かけたときから、心配だった。いまだに全体に精気に欠けて、元気がない様子に見受けられる。
 それにしても、毎年、この母猫は子育てを丁寧にしている。まさに猫かわいがりである。

 我が家には盆栽用の汲み置き水があるので、もう少し大きくなると子連れで水飲みにやってくる。今のところまだ子猫が小さくて、バケツに前足をかけて飲める状態ではなさそうだ。
 
 こんな風に、猫の子育てを見ていると、思いがけず時間が過ぎてしまうことがある。

 さて、そのほかの生きものを挙げてみよう。
 春のことだ。盆栽鉢に固形肥料をやってみたところ、鼠が出てきたので慌てて取り除いてしまった。消毒薬や殺菌剤はやらないので、盆栽の木に毛虫がつく。野口先生の言葉を思い出して、指でひねり潰すことにしている。
 昨年丸裸にされた「くちなし」は、7月に入って、しっかりと葉をつけた。と同時に青虫がむしゃむしゃと食べ始めていた。
 今年は、驚いたことに、松の葉を食べられてしまった。まったく気がつかずにいたのだが、新しい松葉ではなく、昨年の葉を食べていった。
 今年は虫が多かったと、言われている。そういえば都会では見かけない見事の蝶や、小さいけれど一匹ずつ文様の異なる蛾をたくさん見かけた。
 7月になってからは蟻の行列は長く続く。死んだ毛虫を蟻が食べたり、食べきれない分は巣に運んでいく。
 小さな蜘蛛は、盆栽の木に巣をかけて、小さな毛虫がそこにかかっていたりする。
 
 8月になって蝉の鳴き声が聞こえるころには、もう、トンボが低空飛行をしていた。
 もちろんカラスにすずめ、時にオナガだってやってくる。
 
 そしていちばん新しく到来したのは、小さなヤモリだった。昨年は気付かなかったが、毎年、窓のガラスや建物の外壁に、長い時間へばりついている姿を見かけていた。建て替えずに一部残した建物のどこかに、きっと潜んでいたのだろう。

 今は、蚊が一匹、部屋の中を飛んでいる。
 都会の真っ只中の住まいだが、気がついただけでも、こんなに生きものがいる。
 八月も終わりごろには、秋の虫が、鳴き始めるのよね。
コメント
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