もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

軍艦島Ⅱ

2023年06月22日 | 歴史探歩

軍艦島最盛期の人口は5,300人を数え、人口密度では東京都を越えること9倍だったと言う。

 

一般工員の居住棟、鉄筋コンクリート7階建てアパートは日本最初に建てられた。

 

床に残る白線の跡で、僅かにプールであったことが分かると場所。
島で真水は超貴重品であったことから、当然海水プールであった。

 

島の最も高い場所には幹部社員の社宅が残る。
間取りもゆったりで最高のオーシャンッュー。
一般工員と待遇の違いをこれでもかと見せつける。

 

痛みが激しいこの建物は小中学校跡。

 

そしてやはり此処は日本国内、切妻造りの端島神社は現在も健在である。

 

島内には当然お寺も存在したが、1派1寺のみで、宗派を問わずすべての家庭の仏事を取り行った。
木造建築だった寺院跡(記憶が薄いが…)

 

上陸して見学後、クルーズ船は島の反対側も周遊してくれる。
当然のことながら、軍艦のイメージが皆無な角度もある。
軍艦島を船尾側から見たところ。

 

我々が乗船した船も5日ぶりに運行されたようで、欠航続きだった島に多くの観光便が訪れた。
少しの波でも接岸が難しく、観光船はしばし欠航するようだ。

 

高層ビルの残骸を見ていると、全体的に歪んで見えて、全壊が近いことを物語る。
世界遺産の島ながら、最後は何か息苦しさを感じてしまう。

 

長崎の観光地として著名なグラバー邸を遠望する。
素晴らしい景勝地に建てられたものだろうが、現在はその上にも何重にも住宅が重なっている。
長崎は本当に坂の町、複雑な居住空間が連なっている。
複雑な街並み形成が、原爆投下の一因となったのだろう。

 

軍艦島観光の帰途、長崎の街並みを眺めれば、あちらこちらに軍艦島様の景観があった。

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