「明治維新のさきがけ」と地元で称される天誅組(天忠組)の足跡をたどってきました。
天誅組を町興しに掲げる四つの自治体にお世話になりました。
奈良県の五条市、東吉野村、十津川村、安堵町の4市町村です。
天誅組は弱冠19歳の公家:中山忠光を頭と仰ぎ、此処五條市の岡八幡宮で倒幕の旗を挙げました。
正一位八幡宮の掲額、正一位はお稲荷さんとばかり思っていたが、そうではないのかな?
天誅組はここで必勝祈願をして、天領五條市の代官屋敷を襲います。
五條にある天領の代官所跡は、現在五條市市役所となっています。
天誅組が襲った当時はなんと7万石の石高を誇っていました。
この時討幕を計った首謀格は、土佐脱藩:吉村寅太郎、刈谷脱藩:松本奎堂、備前脱藩:藤本鉄石らでした。現在で云えば、高知、愛知、岡山県と全国に跨っており、相当な規模と思われがちですが…
天誅組に討たれた時の五條代官:鈴木源内は、地元では愛された良代官だった。
天誅組が代官:鈴木源内の首を洗った手水鉢。
天誅組は五條を朝廷直轄地に改め、「五條御政府」を打ち立てた。
すなはち天誅組本陣跡である。
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