もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

高知城22ーⅣ

2022年05月19日 | 歴史探歩

時間をたっぷりとって、しかもガイド付き、歴史探歩はこうでなくっちゃ・・・

 

本丸御殿を巡りながら、目と鼻の先に城塀が迫る。
支えの添え柱は、往時の定石である掘っ建て柱。
根元は防蝕されているようだが、やはり痛みが進んでいた。

 

御殿から眺めるお庭も簡素なもの。

 

藩主接見の間は一段高い御上段造り。
向かって右側に「床の間」、左側に「違い棚」を配した「逆勝手造り」である。
さらに左手仕切りの奥には、伴侍の詰め所が併設されている。

 

侍詰め所は4畳間程、左手が御上段の間である。

 

接見の間から見える城塀には切込みが施され、市中が見渡せる構造になっている。

 

天守最上階から東西多聞櫓、廊下門、詰門を俯瞰する。
狭い土地に併せて防御性を考えながら、苦心した配置となっている。

 

天守最上部のみならず、破風にも鯱鉾が配されている。
最上部の鯱鉾は瓦製らしいが、破風の物は青銅製で緑青が浮いていた。
軽量化を図っているのかな?

 

搦手側の黒鉄門、犬走の幅に併せて小振りだが随所に鉄板を張って強化していた。

 

犬走から見上げると、大きな石落としが供えられ、忍び返しも張り巡らされている。

 

高知城の御城紋。

因みに高知の名前の由来は・・・鏡川と江ノ口川に挟まれた「川内」にあったためと説明された。

川内(かわうち) ⇒ 河内(かわうち⇒こうち) ⇒ 高知(こうち)だとさ!

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