時間をたっぷりとって、しかもガイド付き、歴史探歩はこうでなくっちゃ・・・
本丸御殿を巡りながら、目と鼻の先に城塀が迫る。
支えの添え柱は、往時の定石である掘っ建て柱。
根元は防蝕されているようだが、やはり痛みが進んでいた。
御殿から眺めるお庭も簡素なもの。
藩主接見の間は一段高い御上段造り。
向かって右側に「床の間」、左側に「違い棚」を配した「逆勝手造り」である。
さらに左手仕切りの奥には、伴侍の詰め所が併設されている。
侍詰め所は4畳間程、左手が御上段の間である。
接見の間から見える城塀には切込みが施され、市中が見渡せる構造になっている。
天守最上階から東西多聞櫓、廊下門、詰門を俯瞰する。
狭い土地に併せて防御性を考えながら、苦心した配置となっている。
天守最上部のみならず、破風にも鯱鉾が配されている。
最上部の鯱鉾は瓦製らしいが、破風の物は青銅製で緑青が浮いていた。
軽量化を図っているのかな?
搦手側の黒鉄門、犬走の幅に併せて小振りだが随所に鉄板を張って強化していた。
犬走から見上げると、大きな石落としが供えられ、忍び返しも張り巡らされている。
高知城の御城紋。
因みに高知の名前の由来は・・・鏡川と江ノ口川に挟まれた「川内」にあったためと説明された。
川内(かわうち) ⇒ 河内(かわうち⇒こうち) ⇒ 高知(こうち)だとさ!