ここまでで、第二代から第九代までの所謂、欠史八代と言われる天皇陵の参拝を終えました。
何故だか一区切りついたような安堵感がありました。
次の御陵に向かう途次、畝傍御陵の中心に位置する橿原神宮西口に差し掛かりました。
参拝していこうか?と一瞬思いましたが、西口から参拝するのは如何か?と自問し、結局は取りやめました。
本当は体が疲れていて、参拝する余裕がなかったのでした。
畝傍山を離れ、JR和歌山線を横断して南下します。
目指すは第二十八代宣化天皇陵です。
途中の道案内標識から、前方後円墳である事が分かりました。
これなら探しやすいはずです。
前方に御陵がはっきりと姿を現しました。
不釣り合いな自動販売機が目障りです。
平坦な参道が続くかに見えましたが、近づいてみれば相当の段差がありました。
前方部を手前に見せた御陵と向き合います。
もっとも案内標識で前方後円墳と分かっていましたが、森の姿で判断出来た訳ではありません。
天皇・皇后の合葬簿ということです。
天皇陵の標識前が広いので、斜め前からの角度で納めました。
結構標識前が狭い御陵が多い気がします。
雨に濡れた神明鳥居、古さが感じられると何故だかほっとします。
御陵を囲むお濠の水はどんより濁っていました。
お濠の水際を観察すると、基礎と思われる石垣が垣間見えました。
第二十八代宣化天皇の御陵印です。
第二十七代安閑天皇に子供がなかったため、兄の崩御後69歳で即位しました。
高齢での即位だったこともあり、在位は僅か3年でした。