萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

謹んで哀悼の意を表す

2008年04月15日 | 日々の記録


仏には桜の花をたてまつれ
   わが後の世を人とぶらはば (西行)  


 一年間闘病していた同僚のI氏が昨晩、亡くなった。享年53歳。リンパ腫という病気だった。一昨年、学生時代の先輩が同じ病で亡くなられた。51歳だった。どういう原因でそういう病にかかるのかはわからないが、“ストレス”が関係していることは容易に推測できる。

I氏に課せられた任務の難易度は相当のものがあった。氏は常に明るく振舞い、困難に対しても前向きで進んで行くタイプであった。表面上は飄々として、深刻さを感じさせる人ではなかった。しかしながら、内心のプレッシャーはかなりあったのではないか。

ある時、いつも明るい氏が、小生にポツンと独り言のように言った。「俺にはこの仕事はできない。変わってほしい。」と。その時は半分冗談だと思い、適当にすませてしまったが、あれは氏の本音だったと、今思う。真剣に考えてあげて、助け舟を出せなかったか、と悔やむ。

今となっては、ご冥福を祈るばかりだ。
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酒呑みラン!第一回「浅草」

2008年04月14日 | 自転車関連

<桜と隅田川とアサヒビール社と愛車トランジット2016。“酒呑みラン”にふさわしい一枚?>


<ほとんどの桜は散ったが、まだ宴を張る人たち結構多し。好きだね~。>

 12日土曜日は新しい試みをしてみた。「都内まで自転車で行って、酒を呑んで帰ってくる」というものだ。自転車は「トランジット2016」というブリヂストンサイクル製の折り畳み車を使った。これだと、走るだけ走っておいて、帰りは電車で帰って来れる。行った道をただ戻ってくるというのは、面白くないものだ。また、自転車といえども飲酒運転はよろしくない。

この折り畳み車による「酒呑みラン」は数日前に記事にした「呑み屋徘徊シリーズ」と抱き合わせで、やっていこうと思う。記念すべき第一回は「銀座」をターゲットにした。

「荒川土手コースを辿って都内に入り、堀切のところから隅田川沿いに進み、両国から日本橋方面へ入って銀座まで行く。本に載っている昼間からやっている呑み屋で一杯やって、帰りは有楽町駅で輪行して帰ってくる。」

という予定だ。朝8時には出ようと思っていたのだが、ヤンキース対ボストン戦をTV観戦しだしたら、つい最後まで見てしまった。結局、出かけたのは11時過ぎ。若干の追い風で荒川の土手コースは快適だった。

だが、家を出たのが、中途半端な時間だったので、浅草に着いたのは2時過ぎ。朝から何も食べていなかったのでさすがに腹が減ったし、喉も渇いた。銀座までまだ7~8kmはあろうか。例の書籍に載っている浅草の“呑み屋”は二軒あるが、いずれも夕方からの開店だ。しかたないので今回は「呑み屋徘徊シリーズ」の方はあきらめた。

昼間から堂々と呑める店といえばやはり、蕎麦屋だ。浅草なら「並木藪」がある。さっそく、行ってみるが5~6人並んでいる。「駒形どぜふ」という手もあるが、一人で「ドジョウ」をつつくのもいかがなものかと思い、結局伝法院通りの辺りの蕎麦屋に上がり込む。生ビールに熱燗2合。肴は「鳥わさ」「なめこおろし」、〆は好物の「鴨せいろ」。まあまあ満足の昼食でした。

酔い覚ましに上野までぶらぶら歩いて、公園口のところで輪行した。「トランジット2016」は簡単にたためるのでいい。また、上野公園口は改札入るとすぐ左手に京浜東北線の下りホームに降りるエレベーターがあるので便利。

走ってみて思ったのだが、自転車で帰ることを考えなくいいのは気軽である。また、行きが追い風なら、帰りは向かい風になるのだが、追い風だけを満喫し、帰りは電車というのも、“風”に対して「してやったり」という感じがして気分がいい。

本日の走行距離は結局50キロほど。荒川の土手コースは信号もなく快適だが、休まず走ってしまって、結局くたびれてしまう。休憩場所を決めておいた方がいいと思った。また、もう少し遅く出て夕方に繁華街に着くようにすれば、開いている呑み屋も多いはず。「呑み屋徘徊シリーズ」と抱き合わせする時は、その方がいいと反省した。
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春の野球大会、敗退

2008年04月13日 | 野球

<記事とは関係ない写真。柳と桜。>

大敗を喫す。4-15。負ける時はいつもドタバタ。情けないプレイ数多し。小生も2番サードで先発するも三打数無安打、三振1と振るわず。大差で負けておいて言えることではないが、勝てないチームではない。夏場、しっかり鍛えて秋に望もう、と皆と反省会をす。

昼間から呑んで、いささか酔っている。(いつものことか。)
今日はもう少し呑んでから寝る。
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“目覚め”か・・・

2008年04月12日 | 日々の記録


いつの頃からか、目覚し時計をセットしておかなくても、自然と起きれるようになった。いわゆる、“歳”なのであろう。深酒しようが、夜更かししようが、朝五時半~六時の間に目が覚める。朝の早い出張の時は念のため、目覚しをかけておくが、それでもアラームやベルの鳴る前に起きてしまう。

が、そうは言っても一年に一回ぐらいは失敗する。やはり、泥酔して帰った時だ。そもそも、そういう時は気が大きくなっているので、目まし時計をセットしないで寝てしまう。当然ながら時間がきても起きない。予定の時刻をかなり過ぎてから、起きた時はさすがにうろたえるが、過ぎたことは仕方なし、と大抵あきらめる。

“遅刻”というものは連絡さえキチンとして、できる限り早くつくよう、努力さえすれば大したことにはならない。むしろ、あわてて行動すると、思わぬ惨事につながってしまう。人間、死んだり、大怪我したりすることより、怖ろしいことは無い。“遅刻”如きでそういう目にあわないようにすることが肝心だ。

長嶋さんが言った通り、「失敗は成功の“マザー”」です。
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インドを走る!part2 第22話「ダマン峠にて(その1)」

2008年04月11日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<見た景色を忘れないようにノートにメモした。上書きのラインはループ氏が書き入れてくれた。>

1980年4月12日(土)晴れ

冷える部屋のベッドでふと目を覚ます。ハッと思って時計をとって見る。四時二十九分なり。アラームの鳴る寸前によくもまァ起きれるもんだと我ながら感心する。外はまだ星空である。昨晩、エベレストが見えると聞いた東の空を見ると、いくらか青みがかっている。まだ時間があるなと思い、肩まで布団をかけてウツラウツラする。五時。東方の空に赤みが差してくる。こうしてはいられないと、寒い部屋ではあったが、布団を思い切って跳ね除け、ジャージを履いて部屋においてあるコートを着、コイン式のテレスコープで東方を見る。

見える見える。かすかだが、エベレストの山影が。部屋の中からじゃ面白くないのでドアをあけ、上の階の風さらしの展望台へ駆け上る。こっちのテレスコープはコインなしで見れる。ヤァ、見える見える。赤みがかった空をバックにエベレストのシルエットがくっきりと。エベレストは分かったが、他の山がどれがどれだか見当がつかない。あわてて部屋に戻り、机に書いてある図や壁に貼ってある写真と実際の景色を照らし合わせ、また上へ駆け上がる。

陽が昇るにつれ、ヒマラヤの全貌が徐々に現れてくる。肉眼でもはっきりと見えるが、テレスコープだと一段と大きく見える。(当たり前か。)感動が全身を走る。山々のシルエットが暗闇から段々と浮き出てくる。さっそく、カメラに収める。

北方よりやや西にマナスルが白い姿で見え出す。さらに西に、あのポカラで間近に見たアンナプルナ山群が薄ぼんやりと見えている。マナスルより、北方、丁度真北に当たるところにガネーシュが白くゴツい姿を現す。さらに、やや東、ランタンもまた現る。すべて見えた。ただ、カンチェンジェンガだけは分からなかった。

エベレストを除けば他の山群はとても近くに見えた。テレスコープ(おそらく20倍)で観ると山肌まで見え、迫力が数倍した。すべてカメラに収める。エベレストの背後から陽光が放射線状に見え出してきた。見事である。初日の出にふさわしい光景だ。

放射線状に放たれた陽光のうちの何筋かが、ガネーシュの頂の雪渓を照らす。遠くマナスルの頂もまた、オレンジ色に光りだす。モルゲンロートという奴だ。見事な素晴らしい眺めである。地図、写真等でしか見たことのなかった、ヒマラヤ山脈の半分以上の山群がひと目で見渡せた。

ループ氏が下のドアを叩く。あわてて、下へ降り鍵をあけ、氏とともにまた駆け上がる。屋上に出た途端、山影からオレンジ色の太陽がのぞきだした。ループ氏あわてて階下へ行く。何事かと思っているとテレスコープ用のサングラスを持ってきて取り付ける。覗くと山影から黒点を持ったオレンジ色の太陽が徐々に上りだす。テレスコープから目を離して、東方を見るとすでにエベレストの山影は太陽の輝きで消えていた。ループ氏曰く。

エベレスト イズ フィニッシュ!

エベレストは見えなくなったが、ランタン、ガネーシュ、マナスルが陽の光を浴びて輝く。また、カメラに収める。しかし、本当に直しておいてよかった。あのままなおらずに、この絶景を見たら、ひどく悔しかったろう。百ルピー払った甲斐もあったというもんだ。

ひとしきり、ループ氏と二人で見た後部屋に戻る。少し、山の説明をしてもらってから、ベッドに転がる。十時ごろさすがに腹が減ったのでループ氏を探しに外に出る。彼は階下でインド人の観光客を相手していた。私が降りていくと、そのリンカーンの如き顔でニヤッと笑う。口笛吹きながら、コインを上に投げる。

飯を作ってくれと頼むと何が食いたいと聞くから、タマゴ料理とトースト、それと持ってきた即席ラーメン(カトマンドゥで買った)を作って欲しいと答える。玉ねぎでも入れてもらえばそれでグッドだというと、玉ねぎはないから、そこらの店へ買いに行こうという。

ダマンの村は思っていたよりも小さい。道沿いには十軒あるかないかだ。玉ねぎ買うついでにチャイを飲む。ヤマハのバイクでこの峠に来た、よく日焼けした四十ぐらいのドイツ人と少し話す。話すといっても、もっぱらループ氏とドイツ人だけで私はかたわらで聞いていただけである。気前のいいドイツ人、我々にチャイをご馳走してくれた。

宿に戻り飯を作ってもらう。シンガポール産のインスタントラーメンは140円と高いが味は日本のそれとよく似ていてうまし。ループ氏の焼くトーストもうまかった。コーヒーの後、バナナがついた。久々に美味しい食事であった。午後は日記を書いたり、散策したりでヒマをつぶした。

夕刻、日が暮れてから、外で星の説明を受ける。ループ氏、この仕事が好きなのだろう。本当に楽しそうに説明する。それにつけても、もう少し私が英語を話せたらと悔やむ。部屋に戻り、コーヒーをすすりながら、氏といろいろな話をする。

日本の“ヒロシマ・ナガサキ”のことや、米軍が駐留していることをどう思うかなど、軍事の話題に興味があったようだ。また、彼は卓球が好きで、今度卓球台を作る、というのでその寸法のことなども相談された。

氏は一度結婚してから、離婚し今は一人だと言う。淋しい人なり。客が来ると喜ぶのも無理は無い。日本の給料のことなども話した。ネパールのポリスマンは“ブライブ”をよくするのだそうだ。この“ブライブ(賄賂)”という単語の意味を理解するのに十五分はかかっただろう。日本の警察の給料は高いから、ブライブはしないのであろうとの解釈を彼はした。ネパールのポリスマンは一ヶ月に200ルピー(4千円)しかもらえないのだそうだ。なるほど、ブライブしたくなるのも無理は無い。

また、ネパールで使われている言葉はてっきり一つだと思っていたら、十二もあるそうだ。日本はひとつだと言うと驚いていた。インドもネパールも多民族多言語で大変だと思った。

氏と二人でエベレストと富士山の高さの比率を計算したら、2.4対1ということになった。日本一の山もたいしたことはないと言いたげだった。悔しいので「富士山は海からも見えるが、エベレストは海からは見えないだろう」というと不思議そうな顔になった。いくらエベレストが高くても海からその姿を拝めまい。ざまぁ、みろ!とは言うものの、明日もまたエベレストが見えるといいなと言って分かれた。

星を見ながら眠りにつく。

                        つづく

※「インドを走る!」について

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ミステリー~T部長の失踪~

2008年04月10日 | 日々の記録


先日、K本部長と外回りをしていた時のこと。

本部長が言うには昨日午前中に部下のT部長と携帯電話で連絡を取ったきり、連絡がつかない。個人、会社用の携帯電話に連絡するもつながらない。かれこれ24時間経過するが、上司のK本部長にもT部長の部下のW課長にも一切連絡がないという。自宅にも電話したが、だれも出ない。(一緒に住んでいる家族は奥さんと息子さん。)T部長が連絡なく休むことはいままで無かった。

「T部長の身に悪いことが起きたとしか考えられない。」

というのだ。

K本部長が最後にT部長と電話で話した内容はT部長が持病の“痔”が悪化したので病院に行く。というものだった。それ以降、24時間経過するが消息が途絶えている。「病院に行く」と言っていたので、心当たりの病院に電話してみた。半年前に痔の手術をした病院と普段治療に行く病院の二箇所に総務課から、問合せてもらったが、両院ともにTさんは来ていないとの回答。

この時点で我々は「自宅で一家心中しているのではないか」と推測した。K本部長は「昨日の電話では元気だった。心中はないだろ。」と言うが、外見からだけでうかがえない、深刻な悩みがあったかもしれない。なかなかよくならい“痔”を苦にしていたかもしれないのだ。

もっとも、奥さんも息子さんも働いているから、みんなが出た後、一人で首をくくってるということもありうる。いや、疲れてただ寝坊しているだけかもよ。と諸説出てきた。

ならば、誰かを自宅に行かせろ。ということになり、T部長の部下の一人を自宅まで走らせる。やがて、彼から入ってきた情報。「チャイムをならしたが、誰も出てきません。会社のクルマが無いので出かけているようです。近所の家にも聞いてみましたが、(T家に)変わった様子はなかったとのことです。」

普段通り家を出た後、会社に来るまでに何かあったのかもしれない。ということでそれらしき事故がなかったか警察に電話したが、そのような事故はないという。

“クルマが無いから家の中に誰もいない”とは限らない。奥さんと息子さんを殺し、自分はクルマで逃走しているかもしれない。今頃は山中で車中にホースを引き込んで自殺している可能性もある。いや、Tさんなら、ホースより七輪だろ。

まてよ、Tさんがウダツのあがらない、息子に小言を言ってカッとなった息子がTさんと奥さんを金属バットで殺し、Tさんのクルマで逃走しているかもしれんぞ。最近ではよくある話だ。

これまた諸説続出。警察に相談して自宅を捜索したらどうだろう。まだ、警察に連絡するのは早い。夜、奥さんなり、息子さんなりが帰ってくる時間まで待って、もう一度電話してみてからでもいいのではないか。ということで話しがまとまり、夕方まで待つことにした。

夕方になった。覚悟したK本部長と小生はT部長の自宅(埼玉県北部)まで行き、場合によっては警察を巻き込もうと心に決め、とりあえず、自宅に電話した。あっさりと奥さんが出てきた。奥さんはパートから帰ってきたところだった。今朝、主人は一番後に家を出て会社に行ったはずだという。これで、心中や息子の犯人説は消えたが、依然としてT部長の行方はわからない。「何かわかったら連絡ください。」と言って電話を切った。

****************************************

結局、T部長は無事だった。どこにいたか。会社を休んで病院に行って、痔の治療もかねて温泉に行っていたのだ。前の日にK本部長に「痔が悪くなったので、明日は休みを取って病院へ行きます」と告げ、わずらわしいので携帯電話の電源は切っておいた。女房にそのことは話さなかった。というのが真相だそうだ。

K本部長は「聞いてない!」T部長は「いや言ったはずだ!」という、真相がわかってみれば、いわゆる「言った、言わない」の世界の話であった。

“警察”に届出なくて幸いでした。みなさん、ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)はちゃんとしましょう!にしても、いつも会社で言われてることなんだがな~。本部長と部長という役についている者が、情なし・・・。

でも、T部長、無事でよかったです。半分以上マジで心配しました。結構、楽しんでもいましたが・・・。
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生活のリズムが変?

2008年04月09日 | 日々の記録


 桜に限らず、公園の花々が見事な季節である。そんな景色が気分を浮つかせているのか、どうも生活のリズムが落ち着かない。急に自転車通勤などをやり始めた所為かもしれない。

MLBへの感心が薄れている間に、ヤンキース松井、カブス福留が好調。ボストン松坂は早くも2勝目と、日本人選手が活躍しているではないか。大宮アルディージャも2勝目をあげているし、巨人もなんとか上向きのようだ。もう少し、例年の如く、スポーツ観戦に時間をさきたいと思った。が、今日も、仕事と呑みで家に帰るのは遅くなりそう。

読書進度も遅れ気味だし。生活パターンの見直しをどげんかせんといかんバイ。
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呑み処徘徊 第一回 「萬屋 おかげさん」

2008年04月08日 | 呑み処徘徊

<作家の勝谷誠彦氏も贔屓にしている店だそうだ>

 充実した夜を過ごす為に、こだわりのお店を訪ねてみることにした。まずは、信頼のおける店を紹介する書籍を購入し、実地に当たって確かめる、ということを繰り返し、その書籍の信頼性を検証する。

信頼に足る書籍であれば、他の紹介店もハズレはないと見て、行ってみる。10店舗ほど試して「宣伝にいつわりなし」であれば、その書籍を公開しようと思う。行った店はその都度独断と偏見で紹介していく。

今晩、第一回目は写真の店に行った。場所はJR四谷駅からR20を6~7分歩いたところにある。場所柄、品のいい店、というのが第一印象。日本酒が豊富。おいしい日本酒の為の肴はどうあるべきか。ということからいろいろな肴が準備されているようで、酒呑みとしてはまことに居心地がいい。

いただいた肴・・・おまかせ刺身盛合せ、さつま揚げ、油揚げ
呑んだモノ・・・生ビール、冷酒「杉勇」「天青」、ぬる燗2本
シメ・・・塩むすび
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両国散歩

2008年04月07日 | 散歩

<回向院は大相撲の発祥の地だけあって、境内に亡くなった力士を供養する「力塚」がある。>


<回向院での供養は人、動物を問わないのでペットの塔婆も多い。>

 昨日は野球の試合の後、家に帰ってひと風呂浴びてから祝杯をあげた。酒は最近買い込んだ「無垢の酒」シリーズの中の「華鳩」という広島の酒だ。ほんのり花の香がする、口当たりのいい酒だ。冷えている奴をグビリとやる。アテはこの前京都で買った大根の漬物だ。“勝利”に“美酒”。これほど似合う取り合わせはない。しばし、至福のひと時を過ごす。

午後になって、ほろ酔い気分で両国まで足を運んだ。タイから帰ってきているドラゴン氏と会うためだ。江戸東京博物館でNHK大河ドラマ「篤姫」の特設展示会を見てから、ちゃんこでも食おうというプランである。海外暮らしだと、日本にいる時は日本的なものに触れていたいのかもしれない。

篤姫の特設展示会の方はこの日が最終日とあってか、非常に混んでいた。展示内容は今ひとつと思うのだが、この人出だ。「大河ドラマ」の日本人への影響度の大きさが知れる。こういう現象をみて気になることがある。あの司馬遼太郎の「坂の上の雲」がスペシャルドラマとして2009年秋からNHKが放送するという。司馬遼太郎存命の内はこの作品の映像化は認めなかった。いたずらにナショナリズムが高揚されることを恐れたのだと思う。

“篤姫”でこの反響だ。昨年の硫黄島ブームを考え合わせると「坂の上の雲」がドラマ化したら、日本中でどんな騒ぎになるやら。ちょっと恐い思いを抱いている。スペシャルドラマは2009年から11年までかけて放送。一話90分で13話まであるという。個人的には非常に楽しみにしているのだが・・・。

博物館を出て、回向院などによってから、駅前のちゃんこ「霧島」に入った。元大関霧島の店だ。裏には彼の相撲部屋「陸奥部屋」があるという。相撲料理だけあってボリュームがある。「相撲コロッケ」なるものをたのんだら、直径20cmはある大コロッケが出てきた。おいしいのだが、これだけで腹いっぱいになってしまう。

ミソ味のちゃんこ二人前の量はいかほどか。戦々恐々の思いで待ったが、ちゃんこのは方は想像を絶するほどの盛り付けではなかったので助かった。それでも、食べきれず、シメのうどんだの雑炊だのは辞退した。

満腹の腹ごなしに秋葉原のヨドバシをひやかしてから、解散した。早朝野球の為、朝4時半には起きて行動していたので、さすがに眠い。疲れと酔いで電車の中ではずーと寝ていた。

くたびれた一日であったが、心身ともに充実した日曜日であった。
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2008年度公式戦初戦、接戦を制す!

2008年04月06日 | 野球

<試合に行く途中の沿道で見た、見事なピンクと緑のコントラスト>

本日朝8時半から、今年最初の野球の公式戦があった。我がチームは昨年度Cクラスから、Bクラスにランクアップしたのであるが、この試合を落とすと、秋のリーグにはまたCクラスに転落するという、おいそれとは負けられない大事な試合であった。

小生は2番サードで先発。今年最初の試合とあって、敵味方双方とも、硬くなっていたのか、カンがもどらないのか、エラーの多い試合であった。内容はまさにシーソーゲーム。

一回表相手に先制点を取られると、一回裏、我々は相手投手の乱調に助けられ2点取って逆転。だが、2回表には当方の守備の乱れで2点献上しあっさりと逆転される。だがしかし、その裏すかさず1点を返し再度同点とする。

2回終了時点で3-3のスコア。その後は両投手共安定したが、4回裏に連続二塁打で1点取り、我々が勝ち越す。しかし、またしても守備の乱れから、5、6回に1点づつ取られ再逆転される。試合時間が長引いたので6回でゲームは終了。後がない。

4-5で迎えた6回裏。相手の守備のまずさと四球で1点返し同点とし、尚も二死満塁。この絶好のチャンスで小生の出番。ここまでの成績は1打数無安打、2四球、1得点。ここで試合を決めてやると思ったが、二球続けてボール。次の三球目がワイルドピッチ。三塁走者がホームインして、あっけなくサヨナラ勝ちでゲームは終了。

勝ってよかったが、小生としてはストレスの残った試合となった。勝因は先発のTが見方のエラーにもめげずよく投げたこと、相手投手の制球難に助けられたこと、の二つだ。それにしても、接戦を制すだけの“粘り”というものが今のチームにはある。今後が楽しみだ。

来週、二回戦がある。
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歓迎会シーズン到来!

2008年04月05日 | 酒食・グルメ?

<歓迎会シーズンがやってきた>

世間は入学・入社の季節。新しい環境にうまく適合するにはどうしたらいいか。子供の頃はともかく、大人になってからはやっぱり、“酒”でしょう。同期の親睦。先輩たちとのコミュニケーション。ノミニケーションなんて言葉もあるぐらいだから、これが一番だと思う。少なくとも、小生はそれで生きてきた。三十年余、どんだけ呑んだことか。

失敗談は数多し。喧嘩もした。目覚めの悪いことも山の如し。そうなのだ。“酒”はいい面もあるが、呑みすぎたり、呑み方が未熟だとトラブルも多いのだ。諸刃の剣って奴ですな。それはそれで長い目でみれば自分の血となり肉にはなっているのだが、無用なトラブルはやはり避けたほうがいい。そこで、新人諸君に宴会暦30年の先輩から一言二言。

「今日は無礼講だから、言いたいことを言っていいぞ」

この言葉は真に受けてはいけない。これで失敗する新人は沢山いる。次の日から「あいつは生意気だ。」「何様だとおもってやがる。」などというレッテルが貼られてしまう。新人は大酒呑まず、喚かず。慎ましくしているべし。かといって余り大人しいと、翌日から「あいつは暗い。」「何考えているかわからん奴だ。」というレッテルが貼られてしまう。

やはり、酒はほどほどに機嫌よく呑み、かくし芸のひとつも披露し、先輩達の話に耳を傾け、しきりに感心し、あなたは「素晴らしい」とか「天才ですね」「神業ですよ」「僕には到底できません」などとお世辞をいう。褒め言葉は言い過ぎてもかまわない。酔った席だから、素面だったら歯の浮くようなセリフでも、言われる本人達は心地よい。最後に、「ありがとうございました。これで明日から、なんとかやっていける自信が湧いてきました。」かなんか言っておけば、次の日からあなたは、みんなの人気者になれる。

かな~。あんまり気の聞いた奴も一歩間違えると「あいつはお調子もんだ。」「まるで茶坊主だ。」などと言われかねん。

とかくに会社は難しいのですよ。諸君。

ようは、無理せず自然体で接すればいいのだ。今までの生き方を素直に出すのが一番だね。入社したては周りの人はやさしいですよ。いろいろ教えてくれます。悪いと思ったことは素直に聞き入れて、改善していけば、人気者になれます。

ま、頑張ってください。

実は今晩、小生の部署に配属なった新入社員の歓迎会がある。どんな人ですかね。楽しみです。
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巨人、5連敗脱出!

2008年04月04日 | 野球

<やっと、巨人も満開だ!>

 昨晩はいつもの居酒屋で“呑み同志”のS二郎氏と呑んだ。ここのマスターは開幕以来、目下5連敗中の巨人ファンである。8時に店に入ったのだが、その時点ではTVのスイッチはオフであった。(一応?)巨人ファンの小生を見て、マスターが

「TVつけます?」

と聞いてきた。表情から察するに今日も負けているな、と思った。不安ではあったが、

「どうせなら、つけましょう。」

というとスイッチを入れてくれた。

出てきた画面を見てガックリ。6回で1-5で中日に負けている。しかも、マウンドには川上憲伸がいる。こりゃだめだわ。6連敗だ。マスターがTVを消していたわけがわかった。他のお客さんが言う。

「マスター、元気ないよ。消しちゃえよ。」

「いや、逆転するかもわからんから、つけておく。」とマスター。

ということで、負け試合をチラチラ眺めながら呑んでいた。7回裏。阿部、坂本の連打で無死一、二塁のチャンスを作りながら、脇谷、代打木村が凡退。あーあ、この回もだめか。と思っていたら由伸がやってくれました。一点差に迫る見事なスリーラン。

やったぁー。店内もどよめく。

「マスターなんかおごれぇー」

と先ほど「消してしまえ」と言っていた客が叫ぶ。次打者の亀井も打った瞬間に判る特大ホームランを放つ。同点だ。再び、

やったぁー!おごれー!

の合唱だ。ふと、1985年の槙原が阪神にやられたバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発が脳裏をよぎる。まさかな~。でも小笠原なら、やるかも。と思ってみていると小笠原の一閃が弾き飛ばした打球がライトポール際へ吸い込まれる。

やったぁー!3連発だ!逆転だぁ!
なんかおごれー!

三度目の大合唱が店内を揺らす。

8回豊田、9回クルーンがキッチリ押さえ、6-5で逃げ切る。5連敗からの抜け出し方としてはこれ以上ない、最高の勝ち方でした。

嬉しさあまって、呑みすぎた。S二郎氏と何を話したか?最後の方はあまり覚えていない。マスター、なんかおごってくれたのかなぁ?

追伸・・・調べたら85年の“3連発”も七回裏の出来事で、一挙に5点取って阪神が逆転した。最終のスコアも6-5で同じだ。その年、阪神はペナントと日本シリーズを制している。これも“同じ”だといいが。
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“人力生活”開始

2008年04月03日 | 日々の記録

<在りし日のインスパイヤー。彼にとって小生はいい乗り手ではなかったが・・・>


<長年慣れ親しんだ、“この眺め”は二度と見ることができない、と思って撮った。>

 先月末。17年間乗り続けたホンダのインスパイヤーを廃車にした。“愛用”したとまでは言えないが、17年間という時間が作ってくれた思い出は数多い。いつも家のガレージに置いてあったものが無い、というのはまことに淋しいものだ。

クルマというものは便利であるし、それを所有する喜びというのも認める。また、日本経済には欠かせない商品であり、クルマ関連の会社に関わる企業は何百何千とあり、そこからもらうサラリーで生きている日本人は、家族も含めれば何百万といるだろう。クルマ産業は日本にとって重要な基幹産業である。

ただ、“クルマ”がもたらす弊害も多い。ざっと思い浮かべるだけでも「健康」「社会」「環境」「家計」に悪い影響を与える。

まず、健康問題。クルマに頼る⇒運動不足⇒身体能力の低下、メタボ。クルマという存在がいかに人間という“動物”をその本来の身体能力を低下させ腑抜けにしているか。足の悪くなった老人がクルマを頼りにするのはわかるが、子供から壮年までの健常者が、暑い、寒い、カッタルイ、雨だ、花粉だと言ってはクルマを使ったり、送迎してもらったりでは“動物”としての能力が衰えてしまうのも無理は無い。

次に社会問題だ。クルマがあまりにも日常不可欠な商品になりすぎていることからくる数々の社会的問題は深刻だと思う。交通事故や交通渋滞などの社会問題はもちろんであるが、クルマ依存からくる、社会性の無い人間の増加ということも無視できないのではないか。幼い時から一家共々クルマで移動して育つと、社会的訓練が十分にされず、世間をはばかるとか“恥”というものを気にしなくなるのではないか。電車の中で平気でペタンと座る奴、音漏れしまくり、ジャガジャガ音楽を聴いている奴、化粧をする奴、ものを食う奴等の根源がここにあるような気がしてならない。

環境問題は大きい。ガソリンを燃料にしている構造上、クルマの数や使用が多ければ多いほど環境に悪いことは間違いない。二酸化酸素排出量だけでなく、地球の限りある資源の食いつぶしという面でも大きい。今後、人口の多い中国やインドでクルマの需要が高まってきたら、その影響は計り知れない。そんな中、インドのタタ社は25万円のクルマの発売を発表した。それに対抗して大手の日産、VW、GMが安いクルマを共同開発しているという。環境悪化に拍車がかかる、と今から懸念されている。

家計問題。いいことの無い商品にしては金がかかりすぎる。大方は借金やローンを組まないと買えない。(25万円クルマが普及すれば別だが・・・)クルマ所有にかかる金をもっと自己実現の為に投資すればどれだけ、人間性が磨かれるか。

ま、というようなことを以前から考えていた。他人はともかく、そう思うなら自分からやってみよ。ということで、この度、車検を機会に廃車に踏み切った。
 
今後の交通手段は“歩き”と“自転車”だ。これで、時間的、距離的、体力的に不都合な時には適宜公共の交通機関(鉄道、バス、飛行機など)を使う、というスタンスだ。公共交通機関が主ではない。あくまでも、歩きや自転車が主でその補完として公共交通機関を使うのである。

例えば、家から30キロ離れている会社に毎日、自転車で通う訳には行かないので、電車を使う。その代わり、体力、時間の許す範囲は自転車または歩きで行く。といった具合だ。

(最近当ブログで“自転車通勤”の話題が多かったのはこのためである。)

この生活形態を「人力生活」と呼ぶことにした。これは単に交通手段の人力化にとどまらない。料理などもレトルトに頼らず、自分で作るとか、クリーニングに出さず、自分でアイロン掛けをするとか。「自分のことは自分でする」という生活に切り替えていくことを意味する。

“酒”も自分で作ってみっか。
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インドを走る!part2第21話「ダマン峠へ ~単独行開始~」

2008年04月02日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<M君(右)と分かれて単独行の旅へ>

カトマンドゥでE,M両君と別れて再びインドに向かって走り始めた。これから先は単独行だ。いままで、英語が堪能なM君にいろいろな交渉事を丸投げしていた我が身なれば、不安がないというと嘘になる。ただし、彼らと共にした約一ヶ月半の経験はこれから先の旅に役立つことは間違いない。インド人やネパリの食糧事情や物品の相場、習慣など、いろいろと分かってきてからの単独行なので、それ程心配はしていない。

ただ、この時期インドは真夏なので、相当気温は高いという。暑さ対策をしっかりとやらないといけないが、その辺は単独行だと自分のペースで走ったり、休んだりできるから、気は楽だ。いろいろ不安もあるが、「当たって砕けろ!」だ。

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1980年4月11日(金)晴れ

一人旅初日。今日も上天気である。朝、M君にコーヒーを奢ってもらってしばしの別れの挨拶を交わす。M君、例の寺まで送りに来てくれる。餞別だといってチョコキャラメルを沢山くれる。ありがたし。寺で写真と8mmを撮った後、それじゃ、ということで旅立つ。

市街地を抜けて、階段状のタラタラ登りに入る。結構登りでがあって疲れる。一時間ぐらいかかって数日前に越えた峠へ着く。3人のヤギ飼いの子供たちの写真を撮る。シガレットをくれというが、いくら異国でも子供にやるわけにはいかず、かわりにチョコをやる。

さて、数日前によじ登ってきた、あの凸凹道を1時間かかって下る。埃だらけとなる。ナウビセでパンとタマゴを栄養補給し、いよいよダマン峠に向けて出発。

登りだしは勾配もなく、タラタラ登りで、これなら楽に行けそうだと早合点。しかるに十時をすぎると日差しが強く、勾配もきつくなり、我が脚力萎える。四、五キロで一服入れるというペース。この分だと今日中にダマン峠にはつかないのじゃないかと不安になる。

チャイ屋で一息いれていると少し英語のしゃべれるマスターがいたので、E君に聞いていた正月のことを尋ねてみる。(注:E君の情報だとネパール暦の正月は本日か明日だそうだ。)氏曰く、正月は今日の朝6時からという。ダマン峠からの初日の出は無理だったかと思ったが、よく考えると日の出は6時より前のはずであるから、明日の朝が初日の出となるではないか。また、気合が入り、ダマンを目指す。

ナウビセから約30キロ地点にティンスングという街あり。そこが峠になっていて標高2030mであった。時に三時半。この調子で後18km登りが続けば、今日中のダマン行きはもはや断念せねばなるまい、と思っているとこの街から8kmは下りで10kmが登りという。ありがたし。これでなんとか目処がつく。

8km下って一服する。旅行記を書いていると、小さな子供達が私の書いているのを珍しがって五、六人ほどが覗き込んでいる。いくら、理解できないと思っていても少し書きづらい。

長めに休んで、ダマン峠に向けてラストアタックだ。頂上に展望台を仰ぎながら走り出す。しかし、昨晩のすき焼きパワーももはや使い果たし、体力が限界に近づく。ヨロヨロ登りで残り10kmを、始め3km、次2km、後はほとんど1kmづつ、一息いれ、最後の方は休憩の度に縁石に転がって、タバコも吸えぬというありさま。陽は落ちてゆく。あたりはだんだん暗くなる。後1、2kmだというのに動けない。

しかし、なんとか。本当にナントカたどり着く。ロッヂのありかを聞くと、ずっと下から見えていたタワーがロッヂだという。行ってみるが、人のいる気配なし。マネージャーは何処?近くのレストランに入り食事をし、居合わせたネパリのトラックドライバーを通じて、そこに泊めてもらうよう交渉する。

彼氏、後でわかったのだが、私の飲み食いした分、すべて払っていってくれたそうな。ありがたいことである。近所の十六歳の若者とお互いカタコト同士の英語で話をした。彼はインドの人たちは悪い奴らだと嫌っていた。なかには親切な人もいるのに、なぜ彼らは嫌うか。彼はインドのダンプのドライバーしかみていないからか。それとも、インドのネパールに対する政策が悪いのであろうか。

その内、タワーのマネージャーきてタワーの部屋を貸切と言う形で借りることになる。氏の名はループ。ループさん曰く、明朝、日の出前にエベレストが見えるという。夜は星も見えるという。いろいろと説明してくれ、感動を新たにする。

明日は是が非でも四時半にアラームをセットして起きてやろうと思った。今年、二度目の初日の出なのだから。ループさんに一通り、宿や山の説明を受けた後、ベッドから星を眺めることができる部屋で眠りに着く。涼しいというより、寒いぐらいだった。さすがに、標高2,322mである。

今日は通算標高差約2,000、距離78kmでおそらく、この旅の最難度コースであったろう。

                             つづく
※「インドを走る!」について
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“08年3月”を振り返る

2008年04月01日 | 日々の記録

<京、「花の寺」付近>

3月は冬から春へと移り変わる季節だ。寒さが段々と緩み、妙にウキウキしてくる。今年その存在を知ったのだが、「あらしばり」という美味しい酒が出回る季節でもある。また、スポーツもJリーグが3月初旬、プロ野球、MLBが後半に開幕した。大宮アルディージャはいいスタートをきったが、巨人は3タテを食らった。小生所属の野球チームも練習開始。また、後半は桜で大いに盛り上がった。いろいろと忙しかった。

そんな中を休みを作って兄のいる京都に遊びに行った。叔父の四十九日もあった。それと、後日詳述しようと思っているが、クルマを廃車し「人力生活」に切り替えた。“歩き”と“自転車”中心の生活形態だ。人間は“動物”である。動かないと「健康」「精神」に支障をきたす。また、環境や経済性を考えると小生のようなものがクルマを所持しているのに疑問をもった。もともと、滅多に乗らないクルマであった。車検に30万円かかると言われ、思い切って廃車にすることにしたのだ。


◆年間計画を持つものの進度チェック。

 ◇一日断食・・・ノルマ5日に対し5日実施。1~3月累計で16日。順調。
 ◇断酒日・・・ノルマ4日に対し0。今月もできず。
  「無垢の酒」9種類購入して利き酒みたいなことをやってては無理だね。
 ◇読書・・・目標は8.3冊、2500P以上。実績8冊、2254P。
  今一歩。但し、1~3月累計では25冊で一年の4分の1が終わった
  ところで考えると年100冊ペースではある。

◆4月展望・・・4月はいよいよ小生所属の野球チームの公式戦が始まる。公式戦は最低2試合。勝てば3~4試合はこなすことになる。また、「人力生活」を定着させる課題もある。「昭和の日」には昭和を偲ぶような、記念行事をなにか企画しようと思っているが、ただ呑むだけとなりそう。5月連休の旅行の準備もしっかりしておこう。一応四国を予定している。

ざっとこんなところか。
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