<見た景色を忘れないようにノートにメモした。上書きのラインはループ氏が書き入れてくれた。>
1980年4月12日(土)晴れ
冷える部屋のベッドでふと目を覚ます。ハッと思って時計をとって見る。四時二十九分なり。アラームの鳴る寸前によくもまァ起きれるもんだと我ながら感心する。外はまだ星空である。昨晩、エベレストが見えると聞いた東の空を見ると、いくらか青みがかっている。まだ時間があるなと思い、肩まで布団をかけてウツラウツラする。五時。東方の空に赤みが差してくる。こうしてはいられないと、寒い部屋ではあったが、布団を思い切って跳ね除け、ジャージを履いて部屋においてあるコートを着、コイン式のテレスコープで東方を見る。
見える見える。かすかだが、エベレストの山影が。部屋の中からじゃ面白くないのでドアをあけ、上の階の風さらしの展望台へ駆け上る。こっちのテレスコープはコインなしで見れる。ヤァ、見える見える。赤みがかった空をバックにエベレストのシルエットがくっきりと。エベレストは分かったが、他の山がどれがどれだか見当がつかない。あわてて部屋に戻り、机に書いてある図や壁に貼ってある写真と実際の景色を照らし合わせ、また上へ駆け上がる。
陽が昇るにつれ、ヒマラヤの全貌が徐々に現れてくる。肉眼でもはっきりと見えるが、テレスコープだと一段と大きく見える。(当たり前か。)感動が全身を走る。山々のシルエットが暗闇から段々と浮き出てくる。さっそく、カメラに収める。
北方よりやや西にマナスルが白い姿で見え出す。さらに西に、あのポカラで間近に見たアンナプルナ山群が薄ぼんやりと見えている。マナスルより、北方、丁度真北に当たるところにガネーシュが白くゴツい姿を現す。さらに、やや東、ランタンもまた現る。すべて見えた。ただ、カンチェンジェンガだけは分からなかった。
エベレストを除けば他の山群はとても近くに見えた。テレスコープ(おそらく20倍)で観ると山肌まで見え、迫力が数倍した。すべてカメラに収める。エベレストの背後から陽光が放射線状に見え出してきた。見事である。初日の出にふさわしい光景だ。
放射線状に放たれた陽光のうちの何筋かが、ガネーシュの頂の雪渓を照らす。遠くマナスルの頂もまた、オレンジ色に光りだす。モルゲンロートという奴だ。見事な素晴らしい眺めである。地図、写真等でしか見たことのなかった、ヒマラヤ山脈の半分以上の山群がひと目で見渡せた。
ループ氏が下のドアを叩く。あわてて、下へ降り鍵をあけ、氏とともにまた駆け上がる。屋上に出た途端、山影からオレンジ色の太陽がのぞきだした。ループ氏あわてて階下へ行く。何事かと思っているとテレスコープ用のサングラスを持ってきて取り付ける。覗くと山影から黒点を持ったオレンジ色の太陽が徐々に上りだす。テレスコープから目を離して、東方を見るとすでにエベレストの山影は太陽の輝きで消えていた。ループ氏曰く。
エベレスト イズ フィニッシュ!
エベレストは見えなくなったが、ランタン、ガネーシュ、マナスルが陽の光を浴びて輝く。また、カメラに収める。しかし、本当に直しておいてよかった。あのままなおらずに、この絶景を見たら、ひどく悔しかったろう。百ルピー払った甲斐もあったというもんだ。
ひとしきり、ループ氏と二人で見た後部屋に戻る。少し、山の説明をしてもらってから、ベッドに転がる。十時ごろさすがに腹が減ったのでループ氏を探しに外に出る。彼は階下でインド人の観光客を相手していた。私が降りていくと、そのリンカーンの如き顔でニヤッと笑う。口笛吹きながら、コインを上に投げる。
飯を作ってくれと頼むと何が食いたいと聞くから、タマゴ料理とトースト、それと持ってきた即席ラーメン(カトマンドゥで買った)を作って欲しいと答える。玉ねぎでも入れてもらえばそれでグッドだというと、玉ねぎはないから、そこらの店へ買いに行こうという。
ダマンの村は思っていたよりも小さい。道沿いには十軒あるかないかだ。玉ねぎ買うついでにチャイを飲む。ヤマハのバイクでこの峠に来た、よく日焼けした四十ぐらいのドイツ人と少し話す。話すといっても、もっぱらループ氏とドイツ人だけで私はかたわらで聞いていただけである。気前のいいドイツ人、我々にチャイをご馳走してくれた。
宿に戻り飯を作ってもらう。シンガポール産のインスタントラーメンは140円と高いが味は日本のそれとよく似ていてうまし。ループ氏の焼くトーストもうまかった。コーヒーの後、バナナがついた。久々に美味しい食事であった。午後は日記を書いたり、散策したりでヒマをつぶした。
夕刻、日が暮れてから、外で星の説明を受ける。ループ氏、この仕事が好きなのだろう。本当に楽しそうに説明する。それにつけても、もう少し私が英語を話せたらと悔やむ。部屋に戻り、コーヒーをすすりながら、氏といろいろな話をする。
日本の“ヒロシマ・ナガサキ”のことや、米軍が駐留していることをどう思うかなど、軍事の話題に興味があったようだ。また、彼は卓球が好きで、今度卓球台を作る、というのでその寸法のことなども相談された。
氏は一度結婚してから、離婚し今は一人だと言う。淋しい人なり。客が来ると喜ぶのも無理は無い。日本の給料のことなども話した。ネパールのポリスマンは“ブライブ”をよくするのだそうだ。この“ブライブ(賄賂)”という単語の意味を理解するのに十五分はかかっただろう。日本の警察の給料は高いから、ブライブはしないのであろうとの解釈を彼はした。ネパールのポリスマンは一ヶ月に200ルピー(4千円)しかもらえないのだそうだ。なるほど、ブライブしたくなるのも無理は無い。
また、ネパールで使われている言葉はてっきり一つだと思っていたら、十二もあるそうだ。日本はひとつだと言うと驚いていた。インドもネパールも多民族多言語で大変だと思った。
氏と二人でエベレストと富士山の高さの比率を計算したら、2.4対1ということになった。日本一の山もたいしたことはないと言いたげだった。悔しいので「富士山は海からも見えるが、エベレストは海からは見えないだろう」というと不思議そうな顔になった。いくらエベレストが高くても海からその姿を拝めまい。ざまぁ、みろ!とは言うものの、明日もまたエベレストが見えるといいなと言って分かれた。
星を見ながら眠りにつく。
つづく
※「インドを走る!」について