萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

“動物”として生きてみたら、どうか。

2010年05月29日 | 日々の記録

<“止まり木”から見た北西の夕景。>

昨日の夕方、一旦、“止まり木”に戻ってから、久々に呑みに出た。ふと、空をみると、禍々しい感じで日が暮れようとしていたので、写真に撮った(上の写真)。夕焼けもなく、赤みの無い空であった。案の定、今日の天気は一日曇。

テレビやネットやiPhoneでの天気予報をアテにせず、前日の夕空で翌日の天気を当てるという感覚や知識を身につけられたら、さぞ、便利だろうと思った。本来、テレビやネットやiPhoneが無かった時代の人たちは皆そういう感覚、知識を当たり前に身につけていたはずだ。

現代人ももっとそういうことに神経を集中して、“動物”としての緊張感みたいなものを意識して生活したら、日々が楽しく充実したものになるのではないかと、夕暮れの景色を眺めながらふと思った。

考えてみれば、現代は便利な時代になったが、それらを享受しようとすると、必ず金がかかる仕組みになっている。“動物”として生きれば、金はかからない。渡り鳥は身一つでシベリアと日本を行ったり来たりしている。彼らは、エンジンを搭載しているわけでもなく、空気抵抗の少ないスポーツウェアを着てもいないし、ゴミから目を守るゴーグルもかけていない。人間で言えば素っ裸で飛び回っているのだ。一円たりとも金は使わないですむわけだ。

人類は便利を金で買って、身体を動かさなくなり、生活習慣病に苦しむようになった。それを治したり、予防したりする為にまた金がかかる。金銭を得るために、仕方なく、くだらん上司に服従し、嫌なユーザーに頭を下げ、ストレスがたまって病は増幅する。

素っ裸で生活するのはどうかと思うが、もう少し、“動物”として生きるようにすれば、金も節約でき、ストレスもなくなり、生活習慣病からも脱することができるのではないかと思っている。

クルマを使わずに移動手段は自転車か歩き。遠くへ行く時は公共機関を使う。陽が昇るとともに起き、陽が沈めば就寝する。テレビ、パソコンは持たず、天気は空模様で判断し、畑を耕し、雨が降れば本を読む。

というような生活をしていくと、人間はもっと賢くなれるのではないか。他人が持ってるモノ、テレビが宣伝するモノはすべて買って利用しなくてはならない、といった脅迫観念から、もう脱却してもいいのではないか。

とは思うのだが、なかなか、実行は難しい。クルマを廃車にしたり、やれることからやってはいるが・・・。

“動物的生活”については今後も考察を続けていこうと思っている。
コメント
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