萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

「北海道開拓の村」見物

2010年05月25日 | その他旅行

<旧開拓使札幌本庁舎(札幌)>

先週土曜日、札幌から仙台への飛行機が夕方便しかとれず、時間があったので札幌市郊外にある「北海道開拓の村」を見物してきた。札幌駅から4~5駅ほど先の「森林公園駅」というのが「開拓村」に一番近そうなので、そこまでJRで行って、後は歩いた。

この日は日差しも強く気温も高く、結構汗をかいた。また、駐車場やら敷地内がやたらと広く「開拓村」の入り口に着くまでに駅から30分以上、歩くハメとなった。さすがは北海道だ。何事もつくりが大きい。歩いて行く奴のことなどは考えていないようだ。

大人一人830円のチケットを買って、中に入る。入ってすぐ左の白い建物が「旧開拓使札幌本庁舎」という建物だ。この建物自体は新たに作ったものだが、本物は明治6年には完成している。明治政府は維新後早々の明治二年から北海道の開拓に奔走している。新政府にとって、北海道はロシアなど他国からの防衛拠点上重要だっただけでなく、資源や海産物などこれからの日本にとって、無限の恵みをもたらす領土に思えたのだろう。

貰ったパンフレットの「施設のご案内」には以下のように書かれている。

北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を54.2haの敷地に移築復元・再現した野外博物館です。ここを訪れる人たちに、開拓当時の生活を体感的に理解してもらうことと、文化の流れを示す建造物を保存し、後世に永く伝えることを目的に1983年4月に開村しました。村全体が展示であり、夏は馬車鉄道、冬は馬そりが走ります。展示からは北海道の開拓にあたった人たちの知恵と努力を見ることができ、建造物一つ一つが当時へと導いてくれることでしょう。

ということで、なんとなくタイムスリップしたような気分になって、散策した。


<旧有島家住宅(札幌)>

この家は作家有島武郎の札幌時代に住んでいた家だそうだ。靴を脱いで中に入ることもできる。昔の日本の家屋はやはり狭い。小生のようは170cmの上背でも鴨居に頭をぶつけそうなぐらい小さい作りである。東京生まれの有島武郎は札幌にはあまり長くいなかったようだ。欧米に遊学し、東京に戻って作家活動に入り、46歳の時に軽井沢の別荘で愛人と心中して果てた。



広い村内の公共交通機関は馬車鉄道だ。馬一頭でもレールが敷いてあるので割りと楽そうに引いている。途中、ストップしたのでどうしたのだろうと思って見ていると、大量の糞を落としているのであった。馬車が走り去った後、お母さんに連れられた、小学校1年生ぐらいの女の子が馬糞の山を興味津々と眺めて、小さく喚声を上げていたのは誠に微笑ましい光景であった。


<旧青山家漁家住宅(小樽)。立派な建物だ。美観にも優れる。>

この住宅は山形県から渡ってきて小樽沿岸を中心に鰊漁などを経営して財をなした青山留吉翁の建てたものだ。何故知っているかと言えば、この前の5月の連休に自転車で走っている途中、酒田市の手前に「旧青山家本邸」という重要文化財を見てきたばかりだからだ。“青山”と聞いてもしやと思ったが、案の定、山形で見た“青山”と同じルーツであった。


<こちらは山形県にある本邸。小樽で財をなした青山留吉は故郷にも豪邸を建てたのだ。>


<本邸の入り口の説明書き。「北海道開拓の村」の建物のことにもふれている。>

気温は高いと言ってもそこは北海道である。日陰に立っていたり、じっとしていると、ひんやりとしてくる。馬車鉄道の走るメイン道路に立って、両脇の古い街並みを眺めていると、温暖な内地の故郷を捨てて、ここに来た開拓民の心細さが伝わってくるような気がした。

 雪の降ってる冬に来てみなければ、だめだナ。

と思ったのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする