みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

夢のはなし

2022-01-20 06:35:04 | 生死
夢を見ても大概の夢は、目が醒めると直ぐに忘れる。僅かな時間だけ思い出せても、気にならないから忘れてしまう。

何処かの街角で、芳子(仮名)さんと別れた私は、真直ぐの道を歩き始めていた。振り返ると、芳子さんは微笑みながら私に手を振っていた。
私はまた歩き始めた。真直ぐの道なのだが、何処へ向かっているのかは分からない。そして・・・振り返らなくても、芳子さんが微笑みながら私に手を振ってくれているのが分かるのだった。

そんな夢を今朝の寝覚め前に見た。

芳子さんは或る老人病棟の看護助手だった。大勢の患者さんたちのオムツ交換・入浴介助・食事介助・掃除・洗濯物の仕分け等々の雑用すべて。
低賃金で汚れものを扱い、神経と体力の両方を酷使する仕事だ。患者さんに対しても自分に対しても優しくしている暇は無い。大方の看護助手の面々は患者さんに対しても自分に対しても厳しくならざるを得ないのだ。

そういう職場で芳子さんだけは優しかった。不思議だった。駆け回るような忙しさの中の一瞬、ほんのひとひらだが、花びらのような優しい視線や言葉を患者さんへ投げかけるのだった。看護助手の仲間たちにも、仕事の僅かな狭間に美しい微笑を贈ってくれた。

独身時代の芳子さんは、都心のデパートのエレベーターガールだったそうだ。あの優雅な手つきで「上へ参ります」などと、口調も優雅な仕事。当時の娘たちの憧れの職業の一つだった。
芳子さんに惚れてしまった男性客は、さぞ多かったことだろう。その一人があまりにも熱心だったので、芳子さんは「根負け」して結婚した。誠実な人だが、生活能力はイマイチだったらしく、芳子さんの美しい肩に生活の重みが掛かり続けてきたのだ。

20年近く前、芳子さんは癌を患った。容姿も心も美しい芳子さんを癌が蝕むという運命を私は呪った。回復を祈った。
それから10年ほど経って、「再発も無く、無事に術後10年を迎えました」という便りが届いた。10年経てばもう大丈夫だ、と私は思った。
ただ、便りに添えられたご家族の写真の中で、芳子さんだけ、影が薄く見えるのが妙に気になった。
それから1年も経たない或る日、芳子さんの訃報が届いたのだ。

今でも芳子さんの美しい微笑みが、花びらのように私の心の中へ届く。美しい手つきで手を振ってくれているように思う。