8月5日のアメリカ国債格下げに端を発した金融市場の大荒れが、連日のニュースに取り上げられています。10日のニューヨーク株式市場では前日比519ドル安に急落、11日になると急反発して、一時、前日終値比300ドル超の上昇という乱高下です。
この乱高下を演じているのは、経済危機回避のための緩和策で大量供給された資金が、余剰マネーとなって株式市場に投機されているものだそうです。言わば、危機が危機を呼んでいるのですね。
田中宇http://www.tanakanews.com/の解説はいつもながら明快で、経済オンチの私にも基本的な視点を示してくれます。
格下げによって、米国債と米国債に代表される米国の金融資本は、構造的に、あるいは長期的に見て、世界で最も安全で確実な投資先としての地位を失った。これは、ドルが国際的な備蓄通貨としての地位を失うことを意味する。8月5日は、米国の覇権喪失の過程を示す、画期的な日付となった。
この米国債を、私たちの国は大量に備蓄しています。アメリカという大きな泥船のヘリに附き従っているような日本・・ こんな時に、対米従属の模範生マエハラなどが総理になったら、どうなることやら
国際金融には縁の無い私たちですが、そんな庶民の暮らしの足元も覚束なくなるのではないか、という不安を感じます。一方では今回の危機が、新自由主義を含む産業資本主義の終焉と新たな時代を展望する契機になってほしい、という密かな願望もあるのですが、甘過ぎるでしょうか。
柄谷行人氏は大著「世界史の構造」の中で、産業資本主義の限界 について、世界商品のシフトを引き起こすような技術革新はほぼ頂点に達したこと、グローバルな労働力商品の高騰および消費の飽和と停滞を指摘した上で、次のように述べています。
さらに(中略)産業資本主義の成長は、次の条件を前提にしている。それは、工業生産の外部に無尽蔵の自然があるという前提である。それは、資源が無尽蔵にあること、および、自然界が生産に伴う廃棄物を処理しうるほどに無尽蔵であること、である。これまで産業資本主義経済の発展が可能であったのは、以上の意味での「自然」ー人間的自然(労働力)と自然(環境)ーが無制限に存在したからである。だが、産業資本主義の現段階では、それらが急速に限界に達しつつある。
(中略)だが、環境破壊をたんに「人間と自然の関係」という観点だけから見ることはできない。なぜなら、環境の破壊=自然の搾取は、人間が人間を搾取する社会において生じるからだ。(中略)人間を「開発=搾取」するシステム(交換様式)が、人間と自然の間の交換(物質代謝)を破壊したのである。資本と国家の揚棄を目指さないかぎり、環境問題を解決する途はない。
小出裕章氏が、原発は差別の象徴だ、と指摘されていることを想起しました。それにしても、柄谷行人氏がいう「資本と国家の揚棄」・・ あまりにも重すぎる願望に、ため息しか出ない私です。