「終戦の日」に。

2018-08-15 10:37:03 | Weblog

73年前の今日、ラジオで天皇の演説の放送があり、

敗戦、そして終戦に至った、という事実が国民に広く知らされた。




個人的に思うのは、

73年、という時間に対しての感覚だ。

子供の頃・・・というかもっと若かった頃は戦争なんて、

はるか昔に起こった事だ、と思っていた。

そういう時間に対する感覚って個人的なものだから、どう思おうが勝手なのだけれど、


しかしだ。


俺は今や「アラフィフ」などと呼ばれる年齢に達している。


産まれた1966年は、戦後21年の年だった。

たった21年。

今から20年前のことなんて、今の俺には昨日かおとといのことのように思える。

だって俺なんか・・・・30年前の出来事ですら、心に引きずっていたりするのだ。


73年前なんて、遠い過去ではない。




昨日まで福山の実家に帰郷していたのだけれど、

知り合いの、昔からお世話になっている、

俺からしたら、ほとんど肉親に近いようなご夫婦とお話する機会があった。

Tさん夫妻。ずっと東京でお二人で暮らされていたのだが今は福山におられる。

旦那さんは90歳で、奥さんは85歳。

東京大空襲を神奈川から見た話(東京方面の空が真っ赤だった)、や、

広島、長崎に落とされた原爆、水爆のことも東京では

新聞にほんの小さく「新型爆弾落とされる」としか報じられなかったこと・・・・・・・・・

奥さんが朝鮮半島から引き上げてくる時に髪の毛を坊主頭にせねばならなかった

(女だと悟られぬように)こと、

日本の陸地が見えたときの「何とも言えない気持ち」のこと。



彼らが「その目」で見た光景。その話は、リアルだ。胸に迫るものがある。

やはり、直接、「口伝え」で聞く・・・というのは希少で、貴重な体験だった。


Tさんは、子供の頃見た「戦前の浅草」も、よく覚えていらして、

考えてみたらすごい世代だ。

戦前の繁栄も見て、戦争に突入、空襲、疎開、終戦。

そして戦後の、物資も食料もない時代。

そして経済成長。世界でも屈指の産業国になる日本。

しまいには、飽食、バブル。

そして経済が停滞。



戦中、戦後を生き延びるのがどれほどの苦難であったろう。


「戦争」にもっとも翻弄された世代の人たち、とも言えるかもしれない。

それはやはり、悲劇的だ。





反戦、非戦の思いを強くするものである。













写真は、花壇の向日葵。

やっと、咲いたよ。

まだ半分くらい、蕾が残っているから、まだまだこれから・・・・なんだけど。


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園芸ロック

2018-08-08 22:25:07 | Weblog

住んでいるマンションの一角に「花壇」があって、

何の因果か応報か、俺がその一部、タタミ一畳半・・・分くらいの面積を

「我が物顔で」使ってもいい、ということに、だいぶ以前に・・・なって、

だから俺は季節季節で様々な花の種をそに蒔いては育て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というようなことを繰り返しているのですよここ何年も。


それで今年の初夏は、向日葵の種を蒔いた。


毎朝毎晩、仕事の行き帰りに2リットルペットボトルを2本も抱えて水をやり

(帰りは近所の公衆トイレの手洗い場で水を汲む)、

大風の後には「支柱」など立てて紐で結び、

蝶よ花よとふんだんに愛情を注いで、育ててきた。


写真を見てくれよ兄弟姉妹にお父さんお母さん。

今や「彼等」は、俺の背丈くらいまで大きくなって、

そのうちの一輪だけ既に、花が咲きかけている。他の奴等は、蕾の段階だ。


つまり、花が咲くまであと一歩・・・・・なのだ。


花を育てるのは楽しい。

俺は「農夫」向きなのではないか?などと真剣に思う。

「農夫」とまで行かなくても、これは立派な「園芸」だ。

園芸は、ロックだ。

略して「園芸ロック」だ。問答無用で、それに決まりだ。


それがここに来て、

また台風が来るだと?


冗談じゃねえっての。

こないだはこないだで、「高速道路逆走ジジイ」みたいな妙に世相にタイムリーな台風が来やがって、

危なかったんだよあの時も強風で、

ウチの向日葵、2~3本、死んじまったんだから。

それでどれだけ俺が悲しかったか、君にはきっと、わかんねえと思う。

・・・・・・・・・・嘘。君ならきっと、わかってくれると思う。


「園芸」が哀しいのは、そこだ。

一晩中見張って、身体を張って風を止めてやることなど出来ないし、

一日中見張って、

心の汚れた「花泥棒」から守ってやることも出来ない。


俺に出来るのはただ

種を蒔いて、肥料をやって、毎朝毎晩水をやって、

「彼ら」の幸福を祈ること・・・・・だけなのだ。



これは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何かに似ているぞ。


そうだ、アレだ、「愛」だ、もしくは「恋」だ。


愛だの、恋だのっていう「恋愛沙汰」は、

人生で一番楽しいことだ、って相場が決まってる。




だからやっぱり園芸はロックなのだ。・・・・・・・・・・・あれ?論理が飛躍したかな今?

まあいいや。








俺の花壇の向日葵たちが今回の無慈悲な台風を生き延びることを祈ってくれ。

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「過去」と「現在」が鮮やかに両立する。

2018-08-07 21:35:08 | Weblog

こないだの土曜日は、ロックンロールイヴェント「パイレーツ・レイディオVOL.12」に

出演するために

大阪・難波を訪れたのだが、

地下鉄難波の改札を出た瞬間にものすごい既視感・・・・・・・・と言うか何というか、

アタマがクラッとしてしまった。これをデ・ジャ・ヴュって言うのもおかしいけど、近い感覚だった。

えーっと、俺は

二十代前半のころ、アメ村の古着屋でフルタイムで働いていて、

仕事終わってからほとんど週3、週4・・・くらいの勢いで

アメ村から歩いて難波を通って道頓堀を通って、

日本橋の裏通りに当時あったブルースバー「フォア・ローゼズ」へ飲みに行っていたのだ。

ランブルフィッシュのヴォーカルの佐治朝吉が

古着屋の閉店時間くらいにアメ村にふらっと来て、「おお、ミチ、行こか」って感じで

二人で歩いて行ったことも多かった。

その、途中ルートが地下鉄難波駅の、あの辺だった。近鉄難波駅の階段の辺り。

お店とかはほとんど入れ替わってしまってると思うけど町並みって、

30年くらい経ってもあんまり変わらないものなのだな。


俺が、大阪から京都に引っ越して10年ちょっと経つ。

引っ越してからももちろん、梅田とか、中津はちょくちょく訪れてたんだけど、

難波って・・・・随分久し振りだったんだよ。

地下街の風景をデ・ジャ・ヴみたいに感じたのはその郷愁のせいだ。


・・・話は一昨日のことに戻る。

地下鉄の改札を出て地下街を歩いて、JR難波駅方面へ。JR難波って昔は湊町っていう駅名だったな、そういえば・・・

とか思いながら、本屋(古本屋ではない)を発見したので、入ってみた。

手に入れたい本が、そういえば、ある・・・のだ俺には。

しばらく店内を彷徨ってみたが、やっぱりわからないのでレジカウンターに行って

店員の女の子に「サリンジャーの新訳が出てるはずなんだけど」と言ったら案の定、

「は?」みたいな反応で。

しかし!横に居た店長のような男がサッと出てきて、

「サリンジャーの新訳、そういえば出てましたね」と言って、「タイトルとかわかります?」って聞いてきた。

「えーっと確か”マヨネーズ抜きのサンドイッチ”だったかな」と俺。

そして

彼が先導してくれた棚に、見事にあった、

「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる  ハプワース16、1924年」。

文庫かと思ってたから、ハードカヴァーで嬉しかった。

ちょっと前に出た、デイックの新訳は文庫で出たからさ。

店長にお礼を言って、その本を買った。

写真をアップしてあるが、この装丁はかなり、良い。感動でちょっとゾクッとした。

いやもちろん、この本が現代に刊行されたことにゾクゾクした。

中身は、50年も前の作品だ。


J・D・サリンジャー。

我々「本好き」の間ではほとんど、神格化されたような存在だ。


「マヨネーズ抜きのサンドイッチ」っていうのはそういえば、旧訳のタイトルだったよ確か。

新訳を買うときに旧訳のタイトルを言ってしまうなんてね。どこのマニアだよ俺。


でもすごく嬉しかった。

懐かしい難波の街で、ライヴの直前に、しかも「サリンジャーの新訳」で、すぐ反応してくれたひとから買えて。

(本屋の店員が「サリンジャー」ですぐ反応しないなんて、俺からしたらオカしいんだがね。)




と、いうようなことがあって その夜はライヴで、素敵な人たちと会えてとても幸せだった。




その次の日、

敬愛する作家、村上春樹氏が何と、ラジオのDJとして登場する、と世間で多少、話題になっていた

「村上ラジオ」を、きっちり、ゆったり、聴くことが出来た。

俺は実は、あのヒトのことだからもっとハードコアに「ジャズ」一辺倒で来る・・・・のかと思っていた。

でも違った。もっとポップだった。

あのヒトは今や、もっと「開かれた存在」なのだ。本人もその事には自覚的なのだろう。

オープニングの曲からしてドナルド・フェイゲンだもの。

本人も言っていたが、「ラジオに出演するのは初めて」なのだ。

ものすごくレアな番組だった。歴史的、と言っても過言ではない。

もしかして、毎週やるのか?・・・・などとちょっと期待してしまったが、

さすがにそれはなさそう。(恐らく、不定期で時々やるのではないか、と推測される。)

・・・でも、ちょっとホッとした。

ただのリスナーでしかないようなこちらが緊張してしまうようなラジオ番組、

毎週あったら嬉しいけど、疲れてしまうかも。




今日のこの日記のテーマ・・・というか趣旨は、

「遠い過去」と、「最新の今」、その両立・・・・である。





そのココロはつまり、




音楽の領域においては

懐かしい難波の街のライヴハウスで俺は「今」のバンドでライヴを演る。

古い友達と飲み歩いた街で、新しい仲間と一緒に新しい歌を演奏する。



そして、文学の領域では

50年も前のサリンジャーの作品が新訳され、今年の、つい先月(先々月かな?)、出版された。

それを俺は、間髪を入れず、ゲットした。奥付を見たら案の定、「初版」で、嬉しい。


そしてラジオ。

村上春樹氏が作家デビューしたのは39年も前だ。

「ノルウェイの森」がベストセラーになる以前から、「本好き」の間では有名だったひと

(しかも作品に音楽が深く関係するものだった)だから、

テレビや、ラジオ出演のオファーなど、断っても断っても、降るように来ていただろう。

それを彼は、全部断ってきた。ラジオのインタヴューに答えることさえ今までは、なかった。

TV出演なんか、とんでもない。

それが、ここにきて 満を持しての、ラジオ初出演。初DJ。

(ラジオに関して、今後どう動くつもりなのかはわからないけど。)


ああ、「村上ラジオ」はもちろん、いい番組だった。語りも、肩の力が抜けていて、それでも充分濃かった。

かかった曲も良かった。まさかラモーンズまでかかるとは!意外だったけど、

ちょうどラモーンズみたな奴等と対バンした所だったし、それはタイムリーでシンクロニシティで。

とにかくそのラジオ番組が鳴ってる間は、特別な、素晴らしい時間だった。





結論。


「遠い過去」と、「最新の今」は、きちんと両方、確固として鮮やかに、存在しているのだ。







そう思うと何だか・・・・・・・・・・・・嬉しいではないか。








 YOU KNOW WHAT I MEAN?(俺の言うこと、わかるだろ?)








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8月6日に。

2018-08-06 22:46:10 | Weblog



ひとの命を何だと思ってるんだ、と大きな声で言いたい。






8月6日。





大勢の、一般市民が生活する大都会・広島に向けて行われた


核攻撃。


たった73年前に。





今でも



どんなことだって起こりえる、と僕は思う。だから、



そっち方向に行きそうになったら、止めなくちゃならない。







思うんだけど


平和運動とか反戦活動って、



状況がヤバくなればなるほど、やりにくくなる。



大勢に流される奴って世の中、多いから。



今はその時・・・・かもしれない、と思う。





非戦・反戦。



核兵器は非合法兵器だ(そのように世界中で認定すべきだ)。


そんな物騒なモノが 、一般市民に向けて放たれたのだ。


大量殺戮兵器の存在を、認めてはならない。




「人権」を軽視されると冗談でなく我々はいつの日にか、虫のように殺されてしまう。





73年前に殺された広島の何万人もの人々の無念を思う。



僕は虫のように殺されたくない。



だから人権軽視の政府も党も認めない。



彼らはきっと、


ひとの命など何とも思っていないんだろう。








73年前に原爆投下計画にゴーサインを出した人々のように。





明日は我が身・・・・かもしれない。











8月6日の出来事は決して他人事ではない。




他人事のように考えてはいけない・・・・・・・と強く思う。













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多謝、多謝、多謝!

2018-08-05 20:43:15 | Weblog


昨夜の難波メレでのロックンロール・イヴェント「パイレーツラジオVOL12」

ぶっ飛びの面白いイヴェントだった!

出演出来て、とても良かったよ。

出演者もお客さんも、みんなお洒落!

フツーのお洒落じゃなくて、ロカビリー系、パンク系。

またバンドが、どれも強烈だった。

我々の出番は・・・・山梨から来たDURANGO'Sというラモーンズのカヴァーバンドの後で、

いやしかし本物と見紛うほどのラモーンズ。体型も、髪型も、革ジャンも、音も。

かっこいい。見惚れる。

会場も大盛り上がり。

これの後に出るのって何かの罰ゲームか?などと楽屋で言っていたら、

ジョーイ役のヴォーカルが戻ってきて「いやいや、僕等反則技ですから(笑)」と言った。

ははは。いい人だ。

で、出たら、もっとアウエイな感じかと思ったのだが、反応は暖かかった。

俺達目当てのお客さんも、しっかり、大勢(!)居てくれたし。本当にありがとうね。

昨夜はROCA'66のために本格的な撮影陣が入っていた(アリガットゴザイマッス!)ので後日、映像をお見せできるかも。わくわく。

我々は日に日に、「今現在生きているバンド」として変化したり、固まっていったりしている。

一緒に居て、演奏して、楽しめるメンバー。

ロックは楽しくて、その反面、同じくらい切ない。

宇宙の隕石のカケラが大気圏に突入して眩い光を放つように

もしかしたら「今」は一瞬の出来事なのかもしれない、と思う。

時々、こんな感覚に陥ってしまうのだけれど「今」がまるで、

何年も前に起こった出来事のような錯覚。遠い過去のような現在。

そんな気がしてしまうほど刹那く、シアワセな日だった。


DJアンチさん、福森ヤッさん、難波メレのスタッフに感謝。お客さんとしてきてくれた友達に大感謝。

ヤッさん、俺達の出番前にDJで、浅川マキさんの曲かけてくれたよね!

もうすごく救われた。マキさんが目の前で俺に「歌いなさい」って言ってくれたのを思い出した。

その後に 「ばるぼら」 かけてたよね。ははは。ラモーンズ・リスペクトの「愛しのラモーナ」。


THE PESTERは勢いがあって良かったし、

シイナ&デルタストンプはよく通る声の「歌」を中心にしたいいバンドだったし、

LI☆MOZZはザ・モッズのカヴァーバンド!ザ・モッズって・・いい歌多いなぁ、と思った。

「TWO PUNKS」では一緒に歌いそうになった(笑)。

DURANGO'Sは前記の通り、すごい盛り上がり。

そしてTHE REWARDは渋くてかっこいい!貫禄って感じ。お洒落だし、楽しくて素敵。


DJアンチビリーは俺達の出番直前に楽屋に来て「アンタたちのロックンロールをぶちかましてくれよ!」と

声をかけてくれた。いいよな、そういうノリって。

昭和だ、男気だ、「心」が、あるよね。アンチビリー。誕生日おめでとう!




DURANGO'Sのギターのリッチーとも友達になれた気がするし、とても良かった。

リッチー、俺がNYのCBGBに出たのは「ばるぼら」というバンドのギタリストとして、

1998年のCMJの時だったんだよ~。






ロックンロールはやはり素敵だった。

「パイレーツ・ラジオVOL.12]は最高にお洒落なロックンロール・イヴェントだった。







写真は、カメラマン大瀧君のもの。とても素敵な写真。いつもアリガットです







P.S.


さっきやっていた 歴史的な・・・村上春樹DJのラジオ番組「村上ラジオ」の中で、

ラモーンズの「ホワット ア ワンダフル ワールド」がかかった。

これは、いい偶然。大雑把なシンクロニシティだ。
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阿呆の業務連絡。

2018-08-04 11:59:13 | Weblog


えーと、ケータイをトラックに忘れてきたのでこの土曜日、日曜日、

片山道子に電話してもメールしても通じませぬのでご理解とご容赦お願いしマッス。


どーせアタシのケータイなんか、年に何度かしか鳴らないから(いや、もっと鳴らないかもしれない)、

関係ないっちゃ関係ないんだけどさ。


本日は大阪・JR難波駅近くのライヴハウス「Mele」に居ますので、

私に御用の方は、そこまで出向いて来て下さい(江戸時代みたいでいいな)。

もしくは御用がなくても本日はライヴなので遊びに来て下さい。


ああ、マヌケな日記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(タメイキ)。



以上、「忘れ物大王」こと片山道子より、

真夏の阿呆の業務連絡デシタ。



難波メレで会おう。
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あさって、難波Meleにて「パイレーツラジオVOL.12」。そして バンドを続ける、ということ。

2018-08-02 22:17:38 | Weblog


高校生だった頃、友達とバンドを組んだ。

俺たちは・・・・とりあえずは文化祭に出る、という目標を持っていた。

でも文化祭が終わっても、当たり前のようにバンドは継続した。

バンドが、放課後の生活の中心になっていた。

何かが「うまくいった」という手ごたえがあったのだ。

高校を卒業する頃になって、バンドの中心人物だった佐治朝吉が俺に

「卒業したら一緒に、本格的にバンドやろう」

「大阪のライヴハウスに、しょっちゅう出演するバンドになろう」と言ってきた。

俺は嬉しくて、

卒業したら東京に行く予定だったのを変更して、大阪の専門学校に行くことにした。

(高校は奈良だった。)

でも大阪のライヴハウスの常連バンドになるなんて、

ちょっと夢みたいな話だよな、と少し思っていた。

もちろん、今とは、ライヴハウス事情がだいぶ違うのだけれどさ、当時は。

大阪のライヴハウス自体、両手の指で数えられるくらいしかなかったし、

出演するハードルが高かった気がする、いろんな意味で。

でも少しずつ色んなことが上手く行って、

いつの間にか俺たちは大阪のライヴハウスの常連バンドになっっていた。

あの憧れだったバーボンハウスにも出た。

バナナホールにも出た。エッグプラントにも出た。

神戸の、(改装、移転前の)チキンジョージにも出た。

京都の、磔磔にも。東京にも機材車で行って、ラママにも出た。

旧ロフトにも出た。クアトロにも出た。屋根裏にも出た。

無理め・・・・と思っていたことが現実になったのだ。

こんなに楽しいことは、それまでの人生で、なかった。

夢みたいだった。

夢が現実になったみたいだった。

















あの頃と今とでは、随分、多くのことが変わってしまっている。

言うまでもないが

あの頃のバンドはもうないし、

大事な友達はもう何人も鬼籍に入っている。佐治も、岩佐も、もういない。

だけれども

俺はまだ関西にいて、何とか暮らせていて、

あの頃の勢い・・・・みたいなのは、もうないけど、今でもバンドを続けている。

自分で楽曲を作って、友達を集めてバンドを編成して、みんなでアレンジして、

ライヴハウスに出演することを精神的に生活の中心にして生きている、という点では

あまり・・・・気分的にはあの頃とほとんど変わらないくらい楽しい。



いや、

この瞬間の貴重さ・・・みたいなものをわかってしまっているから、

あの頃より、さらに楽しめている部分もある。でも勿論、切なくも、ある。



逝ってしまった友達が生きていてくれたらどんなに良かったか、と思う。




この「夢の実現」は、彼らからのプレゼントでもあるのだ、と俺は思う。



だから、心を込めて、大切にしたい。

行ける所まで行く、やれる限りは、やる。



明後日(8月4日)は


大阪・難波のライヴハウス、Meleで

「パイレーツラジオVOL.12」というイカしたロックンロールイヴェントに参加する。




今更のように言うが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来てくれ。







「夢の続き」みたいな現実は、まだ続いているから。

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啓示

2018-08-01 23:01:21 | Weblog


君は「啓示」を得た。


そして それはずっとずっと長い間、


君の中で確実に輝き続けることになった。





君はまるでぼくの創作意欲そのもの・・・だったのだ。



言うまでもないが創作意欲がなければ


僕はこの地上に


存在していないようなものだ。





それ(創作意欲)こそが僕に実体を与え、



さらに推進力を与える。



それは「惰性」や「慣性」ではない。



とても純粋な推進力である。






ああ、尻切れトンボだが、今日は止む無く・・・・ここで終わる。




書きたいことはまだあるのだが。





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