高校生だった頃、友達とバンドを組んだ。
俺たちは・・・・とりあえずは文化祭に出る、という目標を持っていた。
でも文化祭が終わっても、当たり前のようにバンドは継続した。
バンドが、放課後の生活の中心になっていた。
何かが「うまくいった」という手ごたえがあったのだ。
高校を卒業する頃になって、バンドの中心人物だった佐治朝吉が俺に
「卒業したら一緒に、本格的にバンドやろう」
「大阪のライヴハウスに、しょっちゅう出演するバンドになろう」と言ってきた。
俺は嬉しくて、
卒業したら東京に行く予定だったのを変更して、大阪の専門学校に行くことにした。
(高校は奈良だった。)
でも大阪のライヴハウスの常連バンドになるなんて、
ちょっと夢みたいな話だよな、と少し思っていた。
もちろん、今とは、ライヴハウス事情がだいぶ違うのだけれどさ、当時は。
大阪のライヴハウス自体、両手の指で数えられるくらいしかなかったし、
出演するハードルが高かった気がする、いろんな意味で。
でも少しずつ色んなことが上手く行って、
いつの間にか俺たちは大阪のライヴハウスの常連バンドになっっていた。
あの憧れだったバーボンハウスにも出た。
バナナホールにも出た。エッグプラントにも出た。
神戸の、(改装、移転前の)チキンジョージにも出た。
京都の、磔磔にも。東京にも機材車で行って、ラママにも出た。
旧ロフトにも出た。クアトロにも出た。屋根裏にも出た。
無理め・・・・と思っていたことが現実になったのだ。
こんなに楽しいことは、それまでの人生で、なかった。
夢みたいだった。
夢が現実になったみたいだった。
あの頃と今とでは、随分、多くのことが変わってしまっている。
言うまでもないが
あの頃のバンドはもうないし、
大事な友達はもう何人も鬼籍に入っている。佐治も、岩佐も、もういない。
だけれども
俺はまだ関西にいて、何とか暮らせていて、
あの頃の勢い・・・・みたいなのは、もうないけど、今でもバンドを続けている。
自分で楽曲を作って、友達を集めてバンドを編成して、みんなでアレンジして、
ライヴハウスに出演することを精神的に生活の中心にして生きている、という点では
あまり・・・・気分的にはあの頃とほとんど変わらないくらい楽しい。
いや、
この瞬間の貴重さ・・・みたいなものをわかってしまっているから、
あの頃より、さらに楽しめている部分もある。でも勿論、切なくも、ある。
逝ってしまった友達が生きていてくれたらどんなに良かったか、と思う。
この「夢の実現」は、彼らからのプレゼントでもあるのだ、と俺は思う。
だから、心を込めて、大切にしたい。
行ける所まで行く、やれる限りは、やる。
明後日(8月4日)は
大阪・難波のライヴハウス、Meleで
「パイレーツラジオVOL.12」というイカしたロックンロールイヴェントに参加する。
今更のように言うが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来てくれ。
「夢の続き」みたいな現実は、まだ続いているから。