まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

観戦記・広島対島根「中国山地ダービー」@福山(初のBリーグ、いろいろ発見)

2021年02月08日 | 旅行記F・中国

1月7日の朝8時半、山陽線を乗り継いで福山に到着。この日の目的は福山で行われるバスケットボールのBリーグ、広島ドラゴンフライズ対島根スサノオマジックの「中国山地ダービー」の観戦である。時間があるので午前中には福山駅近くのスポットを訪ねたのだが、それは後で書くことにして、観戦記である(そういえば、スポーツの「観戦記」というのを書くのも久しぶりのこと)。また記事が長くなりそうなので、2回に分けて書く形になるのかな。

会場の「エフピコアリーナふくやま」だが、正式名称は福山市総合体育館である。芦田川の河川敷にあるのだが、ここには元々地方競馬の福山競馬場があった。競馬の廃止と、老朽化した前身の体育館の代替施設として2019年に建設された。ちなみに命名権を取得した「エフピコ」とは、食品容器の製造販売を手掛ける福山市の会社だという。

ここへのアクセスだが、福山駅から一応路線バスの便はある。また、芦田川の反対側を走るが鞆の浦行きのバスでも来れそうだ。もっとも、地図を見ると駅からは2.5キロほどの距離。時間にも余裕があるし、せっかくなので駅から歩いて行く。とりあえず直進して、アリーナ最寄りの交差点を1回曲がると着けるようだ。

歩くうちにこの建物に出る。正面に「アキタフーズ」とある。何ヶ月前だったか、この会社の代表が、鶏卵業界に便宜を図ってもらう目的で元農水大臣に数回にわたり現金を渡したことが明らかになったことが報道され、この建物も何度かニュース画面に登場したのを覚えている。ちょうど、広島選出の河井元法務大臣の事件との合わせ技で伝えられたものだ。

30分ほど歩いて到着。アリーナの向かいに石の祠がいくつか並んでいる。どうやら四国八十八所の写し霊場の一部のようだが、ここにあるのは何かいわれがあるのだろうか。こちらも気になる。

アリーナの前は広場になっていて、バスケのゴールも設けられている。この日のイベントなのか、Bリーグの関係者らしい人が子どもたちにボールを渡して次々にシュートを放っていた。バスケか・・中学校の授業でちょっとやったくらいだが、球技のプレーが苦手な私にとっては苦戦させられたかな。そういえば小学生の時には、バスケによく似た「ポートボール」というのがあった。バスケのゴールの代わりに、台の上に人が立っていて、そこにパスが通ると得点というルールだった。今でもやっているのかな。

何台かダイニングカーが出ている。ただし、アリーナ内は飲食禁止との案内がある。元々そういうルールなのか、あるいはコロナ対策なのか。ダイニングカーで買ったものを、アリーナ外のスタンドに腰掛けて食べる人もいる。一応これを見越して、福山駅を出る時に軽く食事はしてきたが、試合終了後にどこかに行くことにしようと思う。

アリーナの裏手は芦田川の河川敷で、親水公園になっている。ちょうど間の駐車場には両チームのバスも着いたところだ。

サブアリーナものぞいてみる。福山市出身のファイターズ・大田泰示選手のユニフォームの他、五輪出場選手たちのサイン板も飾られている。

まだ試合開始まで1時間半ほどあるが入場しよう。スマホのチケットレスサービスでのQRコードをかざすと座席券が発行される。再入場の際などはこれを提示する仕組みである。

今回はメインスタンド側の2階指定席で観戦する。購入したのが直前ということもあり中央部の席は完売で、ホーム側のゴールの横あたりの位置の席に座る。ちょうど反対側にドラゴンフライズのベンチがある。ベンチ裏の席が選手に近いこともあり、熱心なファンほどそちらに陣取っているように見える。

ちょうど両チームの選手も少しずつ顔を出して、体をほぐしている。野球の試合前の打撃練習のように、次々にシュートを放つ。2階席とはいえ思ったより選手との距離は近い。

試合開始、また試合中にはスポンサーの紹介がある。リーグスポンサー、チームスポンサーなどの社名が次々に読み上げられる。この辺りは野球の独立リーグと似たようなもので、地域密着、地域貢献のアピールである。ちなみに、ドラゴンフライズのメインスポンサーは、「いっぱい聴けて~、いっぱいしゃべれる~」の英会話のNOVA。

試合前のセレモニーもいろいろ。急にアリーナの照明が落ち、観客の中にはペンライトを手にする人もいる。その中でまず登場し、ダンスを披露するのは、ドラゴンフライズのチアダンスチーム「フライガールズ」の面々。

続いては、この試合の冠スポンサーである明治安田生命の福山支社長と、サンフレッチェ広島のアドバイザーの森﨑浩司さんが登場。記念品の贈呈と、明治安田生命の福山支社長がフリースローを行う。野球でいう始球式のようなものか。惜しいところで外したが、大きな拍手が送られた。

この後、ウォームアップが続き、「おりづる交換」がある。これはドラゴンフライズの「ピースプロジェクト」の一つで、試合前に平和への思いをはせる機会だという。ドラゴンフライズ、そして対戦チームのロゴやチームカラーをあしらったおりづるを交換する。

また、試合中の応援レクチャーがある。Bリーグの試合では、ホームチームのオフェンス、ディフェンスそれぞれに合わせて常に音楽が流れ、それに合わせてコールや手拍子を行う。今はこういう状況なので声を出しての応援はご遠慮とあるが、代わりにメガホンやチアスティックを叩いて大いに盛り上げてほしいという。

実際に試合が始まると、バスケというのは攻守が次々に入れ替わるので音楽も目まぐるしく入れ替わる。ドラマの場面転換の効果音のようだ。これまでテレビで観ていた時は何となく耳にしていただけだが、こうしてアリーナでレクチャーを受けて1試合観戦すると、プロの試合の盛り上げには欠かせないものだと納得した。野球の鳴り物応援とはまた違った面白さである。

ここまで書いてやはり長々とした記事になった。アリーナはそろそろ試合開始で、改めて選手紹介が行われる。野球と違ってビジョンにメンバーが表示されるわけではないが、両チームのスタメン、バスケではスターターは次のとおり。

広島ドラゴンフライズ:1・ケネディ、2・朝山、3・岡本、5・マーフィー、8・エチェニケ

島根スサノオマジック:6・北川、14・杉浦、15・白濱、24・ブルックス、28・ニカ

そして13時10分、試合開始。これから息詰まる内容の試合が繰り広げられる・・・。

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「中国山地ダービー」を観に行こう

2021年02月06日 | 旅行記F・中国

広島のプロスポーツといえばカープ、サンフレッチェというところが有名だが、このところのバスケットボールのBリーグの人気もあり、またローカルニュースでは今季B1に昇格した「広島ドラゴンフライズ」が取り上げられることがある。広電の車両にもラッピング車両があり、選手の声で電停のアナウンスがあり、チームのPRも行われている。

「ドラゴンフライ」とは英語でトンボの意味で、宮島に限り生息するミヤジマトンボからチーム名がつけられた。トンボと言えば、私の中ではかつて存在したプロ野球の「トンボユニオンズ」というチーム名が連想されるが、トンボという生き物は前に飛んで決して後ろに下がらない勇猛果敢な「勝ち虫」として縁起が良いとされるそうだ。

これまでバスケの試合を生で観戦したことがないが、広島での試合は自宅と同じ広島市西区にある広島サンプラザがメインということもあり、一度観戦してもいいかなと思っていた。

B1の壁は厚いようで、勝率1割台で苦戦しているのだが・・・。

そんな中で、2月6日、7日に「中国山地ダービー」なるものが行われると、NHKで告知があった。広島ドラゴンフライズ対島根スサノオマジック。NHKが告知したのは、広島ローカルで中継するためである。

中国地方のチーム、山陽対山陰というのも、私にとっては新鮮である。Bリーグも下部チームを含めて日本の各地にチームがあり、組織化にはいろいろゴタゴタもあったようだが現在はJリーグ同様地域活性化に貢献しているようだ(その割には、大阪にいた時は全然興味なかったが)。

なお、「中国山地ダービー」の会場は、広島ではなく福山。年間の何割かは福山で行われているようだ。これは、備後への日帰りお出かけを兼ねて観に行くか。

6日は所要があるため、7日の前売指定席を購入。なお、前売券はBリーグの公式サイトに会員登録して購入である。7日の試合開始は午後なので、午前中にどこか見物してから会場のエフピコアリーナふくやまに向かうことにする。

なお6日の1戦目は、終盤追い上げたものの島根が86対77で逃げ切り。7日はどうなるか・・・。

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北前船の旅をしてみたい

2021年02月05日 | ブログ

このところ、またイライラさせられるニュースが続いたものだから、私のブログもやさぐれたつぶやきになっていた。これはいけない。

ニュースやワイドショーを見るからそういういらんことになるのだ。

昨年の1回目の緊急事態宣言の時は、朝一切テレビをつけないことがあった。それでいいのだと思う。また、そういう生活をしようかな。

ただ、BSやCSなど含めて番組表を見れば、興味を持てる番組もちらほらとある。夕方の時間帯の広島のローカルニュースあたりになると、ほっこりしたものもある。

5日、いつもより遅めの帰宅となったが、NHKのBSプレミアムを出すと「新日本風土記」をやっていた。

テーマは「北前船の贈りもの」。江戸時代に開かれた北前船、単に物の売り買いをしただけでなく、さまざまな地域の文化、産業に大きな影響を与えたインフラである。北海道から運ばれた鰊が肥料となって西日本の綿作が栄え、そこで生産された木綿が(古手も含めて)各地で流通したり、北海道の昆布が富山の郷土料理になった歴史もある。一方で山陰の鉄が北陸にもたらされて産業になったとか。また、船大工の技術は今も受け継がれている。

日本海側は素朴な港町があちらこちらに存在して、港どうしのネットワークも広かった。一時は「裏日本」とひとまとめにされていたが、歴史文化の見方によっては太平洋側よりも豊かな時代も長かったといえる。

またそうして歴史にも触れてみたいものだ・・・。

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芸能人の皆さん、コロナにかかってよかったですね~

2021年02月04日 | ブログ

ええやん。

「こいつ誰?」という人でも、芸能人というだけでコロナ陽性を報道してもらえて、ちょっとした売名になりましたね。

仕事がなくなる?

知らんがな。

テレビでも何でも、国会議員以上に一番コロナを舐めとる業界やろが。

ざまあ見さらせ。

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森喜朗、ちょっとその辺で逝ってもらえまんせかね?

2021年02月04日 | ブログ

別に。

それ以上でも、それ以下でもありません。

あと、周囲の連中も頭の不自由な方々が多いんでしょうね。

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COCOA、アンインストールしました

2021年02月04日 | ブログ

あのなあ・・・

人をおちょくるのもええ加減にせえよ。

こんなんほったらかしたんは誰や?

民間企業なら即クビやぞ。

真面目にアプリを入れていた自分に腹が立つわ。

しばくぞ。

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第2番「法泉寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(玖波の町と海と)

2021年02月04日 | 広島新四国八十八ヶ所

1月31日、昼間にちょっと時間ができたので、広島新四国八十八ヶ所の霊場めぐりである。今回向かうのは大竹市の玖波にある第2番の法泉寺。

午前中の岩国方面行きということで山陽線の列車はガラガラで、玖波に到着。山陽線で何度も通っている駅だが、降りるのは初めてである。これから広島新四国を回るにあたっては、JR、広電についても初めて下車する駅、電停がこれから次々に出てくることだろう。こちらの東口はレトロな趣のある建物。1949年の建築という。駅には「みどりの窓口」もあるが、JR西日本は段階的に「みどりの窓口」の設置駅の削減を進めており、山陽線の駅とはいえ今度どうなるかである。

ちなみに反対側にも数年前に駅舎ができている。住宅地が増えたため利便性向上というところだ。

法泉寺は駅から歩いてすぐのところにあるが、玖波で下車するのも初めてだし、せっかくなので少し周辺を歩いてみよう。といいつつも特に予習してきたわけではなく、その場でスマホで情報を検索する。

玖波駅前に国道2号線が走っているが、その手前はかつての西国街道である。玖波は江戸時代の宿場町で、大名や勅使が泊まる本陣も設けられ大いに賑わったそうだ。しかし、幕末の第二次長州戦争では、幕府軍と長州軍の激戦が繰り広げられ、玖波の宿場町も大半が焼かれた。現在の町並みは明治以降にできたものだが、その際に防火ということで卯建を設けるようになった。今もちらほらと卯建が残っている。

かつての本陣はこの辺りにあったようだ。当時は現在の国道2号線の辺りまで海岸線が来ており、屋敷の裏手から海の景色を見ることができたそうである。この家も立派な造りだが、この家が本陣だったというわけではない。

高札場の跡と井戸があり、玖波宿の歴史を紹介する案内板もかけられている。

この高札場の向かいに、「長岡省吾顕彰碑」と彫られた真新しい石碑がある。ちょうど家1軒分の更地があるところに建てられていて、その肩書には「広島平和記念資料館初代館長」とある。初めて聞く名前である。

長岡省吾は玖波の出身(生まれは、両親が移民として渡ったハワイ)で、地質学・鉱物学の研究者である。原爆投下当時は軍の仕事で山口県で地質調査をしていたが、翌日に大学の同僚の安否確認のために広島に入り、護国神社の石の鳥居が焼けた様子を見て「これは通常の兵器で焼けたものではない」と感じ、原爆の熱線、威力、爆心地の特定の手掛かりになると、広島の町の石や瓦礫の収集を始めた。後に、被爆した生活用品も収集の対象となり、それらを展示した「原爆参考資料陳列室」が開かれた。それが後に広島平和記念資料館となり、長岡は初代館長に就いた。

原爆資料展示の礎を築くとともに、「ノーモア・ヒロシマ」を静かに訴え続けた人として改めて顕彰されている。顕彰碑がここにあるということは、自宅の跡か何かだったのだろうか。

ちょうど、平和記念資料館では被爆75年の節目ということで、2020年7月から2021年2月23日まで、長岡省吾の足跡を紹介する企画展が開かれているという。資料館はコロナ対策のため2月7日まで休館中だが、再開されれば一度行ってみようか。

国道2号線を渡るとすぐに漁港がある。何だかほっとする景色である。

またこの辺りはカキの養殖場で、カキの幼生を付着させるホタテ貝殻もずらりと置かれている。前の広島勤務時、青森からホタテ貝殻を積んだJRコンテナが到着して、広島のカキ業者が貨物ターミナルに引き取りに来るのに立ち会ったことがある。そして、今度は各地のカキ業者が貨物ターミナルに積み込みに来て、夜の列車で輸送、翌朝築地市場(当時)に並ぶ・・というのもあった。それは20年以上前のことだが、今でもこうした流通はあるのだろうか。

桟橋の向こうには宮島の穏やかな景色が広がる。広島新四国八十八ヶ所霊場めぐりでは、最後はあの島の頂上を目指すことになる。

そろそろ、法泉寺に向かうことにする。西国街道の旧道を歩き、山陽線の踏切を渡る。

そして着いたのだが・・・寺というより、どうみても普通の家屋である。座敷に面した扉を寺の本堂のような造りにしたかのように見える。それでも広島新四国八十八ヶ所霊場の第2番の札が掲げられている。

扉が閉まっており、お堂の前には不動明王の石像がある。とりあえずはここでいいかとお勤めとする。四国八十八所の各札所には本堂と大師堂があり、その両方それぞれでお勤めするのが作法とされているが、こうした写し霊場ではそこまでの区別もないだろう。特に断り書きがなければ本堂での1回のみとする。

で、朱印である。書き置き式での対応というのはわかっているが、どこでいただけるのやら。少しうろうろしていると、奥の家の玄関から奥様らしい人が出てきた。

「お納経ですか? そしたら、お堂の扉開けていただいたら右手にありますので」と教えてくれる。その通り扉を開けると、内陣である。普通の家屋の仏間を広げたような感じで、奥に本尊の不動明王、脇に弘法大師像もある。

遅ればせながら、法泉寺の由来を。開かれたのは明治初年で、初代の住職が不動明王を祀って人助けを始めたのが最初という。長州戦争で大きな被害を受けた玖波の再興にもなったのかな。昭和になってこの恵川沿いに移って以来、「川端のお大師様」として親しまれているという。8月には先祖供養、水子供養の灯籠流しも行われるそうだ。

そして、箱に入っていた書き置きの朱印。確かにこちらをいただく。また、2018年の広島新四国の開創100年を記念した本尊の御影もいただく。

これで2ヶ所目の参拝を終える。この先、大竹駅を最寄とした2ヶ所があるが、この日は早めに帰宅してゆっくりしたかった。大竹はまた訪ねるとしよう。これからもこうした町歩きの感じで回ればいいのかな・・・。

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広島新四国八十八ヶ所めぐり~安芸の国をいろいろ訪ねよう

2021年02月03日 | 広島新四国八十八ヶ所

2021年の元日に厳島神社を参拝し、その回廊を抜けたところにある大願寺にて、広島新四国八十八ヶ所霊場めぐりを始めることにした。他にも進行中の札所めぐりがいくつかある中で、さらいもう一つ加わる形である。

この広島新四国八十八ヶ所霊場は、日本各地にある四国八十八所の写し霊場と呼ばれるものの一つである。大正7年(1918年)に広島市を中心とした安芸地区に開かれた。こうした写し霊場の中で知られる知多や小豆島、篠栗より歴史は新しい。時代が下っているのは、広島、特に安芸の国がかつて「安芸門徒」と呼ばれるほど浄土真宗の勢力が強かった土地ということもあったのだろうか。

ただこの広島新四国、原爆投下のため一時巡拝不可能な状態となった。再興されたのが1973年、弘法大師生誕1200年を記念してのことである。現在は広島市、呉市、大竹市、廿日市市、東広島市、三原市、安芸郡に亘っている。宗派も真言宗の他に浄土宗、曹洞宗、臨済宗、浄土真宗と分かれている。第1番が宮島の大願寺、そして第88番も同じく宮島で、弥山の本堂である。この弥山本堂、そして第87番の大聖院は中国観音霊場めぐりの時に訪ねており、そういえばそういう札も掲げられていたなと思い出す。宮島から始まって広島近辺をぐるりと回り、最後は弥山に登る・・というコースである。合わせて、原爆の犠牲になった人たちの慰霊、そして全世界の平和祈願のために、平和公園の原爆慰霊碑が番外霊場と定めている。もっともここは弘法大師霊場とは直接関係ないため、朱印は置かれていない。

こちらについては西国めぐりのような「くじ引き&サイコロ」で行き先を決めず、札所順に回ることにする。大願寺の次は大竹市の3ヶ所、そして廿日市市~広島市と回っていくのだが、巡拝図を見ると、札所の並びは結構入り乱れている。すぐ横に何十も離れた番号の札所があることも珍しくない。戦後に霊場を再興するにあたり、札所を返上した寺もあって再度編成したが、その後もたびたび札所の入れ替えが行われている。直近では2019年に3ヶ所が入れ替わったという。

西国三十三所や四国八十八所のように長い歴史があり、また一つの観光ルート(という言い方が適切かは微妙だが)、札所じたいも有名な寺院が多いならまだしも、小規模な寺で維持が大変だったり、無人の寺もあるという。そのために札所番号を返上することになったのかな。南無大師「返上」金剛・・・。

広島新四国のホームページなどを見ると、札所をエリアごとに8つのコースに分けて、それぞれ1日で回る霊場会主催のバスツアーが行われているようだ(2020年はコロナ禍のため中止)。そのルートを見ると札所順番にはこだわらず、効率よい道取りをしているように見える。ただ、今回私が訪ねるにあたっては、とりあえず現在の札所番号順に行くことにした。そのため、同じところを行き来する場面も出てくることになる。

手を合わせていろいろ心に思いを致すのが主旨ではあるが、一方ではこうした札所を訪ねることをとおして、広島市内、そして近郊の町並みに触れようというのもある。実際住んでみて日常生活のパターンが定まってくると、訪れるところも徐々に固定化されるように思う。前回住んでいた時にはまったく行くことがなかったところも多く、そうしたところの町歩きも兼ねてのことである。

・・・ということで、先日の1月31日、およそ1ヶ月ぶりに次の第2番である法泉寺を訪ねた。目指すのは山陽線で大竹市に入った玖波・・・。

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西国四十九薬師めぐり~鳥取から広島への高速バス(ようやく帰ります)

2021年02月01日 | 西国四十九薬師

鳥取駅に到着。広島行きのバスまで1時間弱ある。鳥取は中国観音霊場めぐりのゴール地点であることから、鳥取の観光地めぐりはその時に合わせて行うことにする。巡拝の打ち上げに日本海の海の幸を楽しみ、そして中国地方一周で岡山に下り、最後は岡山駅前のミシュラン居酒屋で・・というのが理想である。

鳥取駅構内で山陰の土産物と、車内用の飲食物を購入する。16時に鳥取駅を出発して、広島バスセンターに着くのは21時35分。途中サービスエリアでの休憩を挟むとはいえ、もろに夕食の時間帯をバスで過ごすことになる。

鳥取駅前のバスセンターに向かう。鳥取市内、近郊、そして長距離バスが出る。ちょうど15時40分発の三宮、難波行きが発車を待っている。こういうバス路線も現在は苦戦している模様で、現在は東京、京都、福岡行きが運休となっている。三宮、難波行きも2月から一部減便。その中で広島行きは元々の朝夕2往復を何とか維持している。

チケットだがネット予約は採用しておらず、電話予約または窓口での購入である。事前に広島バスセンターに電話して予約したが、その際、席の希望は「窓側、通路側」、「前方、中央、後方」というのを訊かれた。事前に広島バスセンターで引き換えも済んでいるので鳥取側ですることはないが、発車時刻が近づいても乗客らしい姿はほとんど見えない。なお、途中湯梨浜や倉吉を経由するが、そこからの乗客もあるだろうか。

日ノ丸自動車の車両がやって来た。手続きをしたのは私の他に一人客が2人だけで、それぞれ前方の窓側に固まる。何もそこで密にならなくてもと思うが、それは気にしすぎかな。

まずは鳥取駅から湖山池の東側を走り、鳥取大学、鳥取コナン空港の辺りから国道9号線に入る。

進行右手に海岸線が現れる。白兎海岸の結構長い砂浜と、その向こうの海岸である。この辺りは山陰線よりも国道9号線のほうが海に近い。進行右手の席を希望して取っておけばよかったかなと思う。列車ならすぐに座席を移動するところだが、バスなので勝手に移動するわけにもいかない。この辺りは中国観音霊場めぐりでも通ることになるが、山陰線と決めつけずに、バスで移動するか、クルマを使うことも選択肢に入れてもよさそうだ。

浜村の先で海岸線とは別れ、青谷から山陰自動車道に入る。無料区間ということでほとんどのクルマがこちらに流れる。こうした道路が各地に次々とできているが、元からあった鉄道路線は今後大丈夫なのかなと思う。まあ、かくいう私、上に「クルマを使うことも選択肢に」と書いているし、現にこうして高速バスに乗っている。仮に鉄道で鳥取から広島に向かうとしても、鉄道旅行ではない「普通の移動」なら、鳥取から「スーパーいなば」で岡山に出て新幹線に乗るところ。複雑な気持ちだ・・。

はわいで山陰自動車道を降りる。漢字で書けば「羽合」だが、読みが同じということで「ハワイ」をイメージした町づくりや町のPRも行われているところ。その名も「ハワイアロハホール」で乗車扱いのため停車するが、乗る人はいない。

次の倉吉バスセンターで1人乗車があり、中央部の座席に腰かける。そして倉吉駅に到着。この倉吉も、この先の中国観音霊場めぐりで訪ね、おそらく宿泊することになると思う。こちらでは乗車なく、どうやらこの4人で広島に向かうことが確定である。

この後、倉敷市役所前、そして市街地を離れた関金温泉で乗車扱いのため停車するが乗客はいない。そろそろ外も暗くなってきた。スマホで地図を見ると、この先国道313号線(美作街道)を通り、岡山県に入るようである。県境近辺では周囲に薄く雪も見える。

岡山県に入り、真っ暗な中で停車する。湯原温泉口。鳥取と広島を結ぶ便ではあるが、こういうところにも停まるとは。逆に言えば、広島から湯原温泉に行くにはこのバスに乗る選択肢もあると言える。もっとも、旅館街からは離れていて、むしろ米子自動車道の湯原インターに近いところ。

その米子道に乗ってすぐの上野パーキングエリアで最初の休憩。こちらはトイレ、自動販売機のみで、そのトイレも建て替え工事のため仮設のものだった。15分休憩だが、トイレに行った後はすることもなくさっさとバスに戻る。

この後は米子道~中国道と走る。鳥取から広島までどのようなルートを通るのかが気になっていたが、これで後のルートも見えて来たので車内でホッとする。

次の休憩は広島県に入った七塚原サービスエリア。ここでは長めの25分休憩。夕食の時間帯を走ることもあり、乗客に軽食でも取ってもらおうという時間配分かな。ただこちらのサービスエリアはレストラン形式で、ちょっと時間が足りなさそうである。そのため売店にてパンなど購入して、車内でいただく。鳥取で買っていた食べ物は日持ちもするので、そのまま持ち帰って後日いただいた。

この先は特に雪や雨もなく、順調に進んで広島市内に入る。五日市インターから大塚駅前を経て、広島バスセンターには定刻より10分ほど早く、21時25分に到着。現在、市内の飲食店の時短要請が出ていることもあり、バスセンターに来るまで、あるいは周辺の店舗の灯りもほとんど着いていない。私もさっさと広電に乗り継いで帰宅した。

今回の西国四十九薬師めぐりは温泉地めぐり、日本海の海の幸と、これまでの中で結構贅沢なプランとなった。これで30ヶ所を回り終えたが、まだまだ札所は各府県にばらついて残っている。これからも楽しんで行こう・・・。

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