まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7番「国分寺」~近畿三十六不動めぐり・8(摂津の国分寺、ここにあり)

2017年11月20日 | 近畿三十六不動
「国分寺」といえば、奈良時代に聖武天皇の勅願により、国家鎮護を目的として各国に建立された寺院である。

いわゆる当時の「国営」というものだが、東大寺のように寺自体が長く勢力を保ち現在に至るものもあれば(東大寺は全国の国分寺の頂点であるとともに、大和の国分寺でもあった)、武蔵国分寺のように現在は市の名前としても残っているものがある一方で、多くは朝廷の力が弱くなるとともに衰退したり廃寺になったものもある。また、後に復興したものもある。ちなみに、四国各国の国分寺は、現在いずれも八十八所の札所にその名がある。各国の「国府」「国分寺」「一の宮」をたどると、その国の往時の構図が見えてくるようで面白そうだ。おそらく、こうしたところを回るのをライフワークにされている方もいるだろう。

さて、前置きが長くなったところでこれから目指すのは近畿三十六不動の一つである国分寺。ここは摂津の国分寺である。元々は大化の改新の頃、長柄寺という名前で開かれたが、聖武天皇の国分寺建立の時に、摂津ではこの長柄寺を国分寺に改めた。以後、朝廷からの保護を受けていたが何度も兵火にさらされ、大坂夏の陣の時に全焼した。それからおよそ100年後に、快圓という僧の手で復興した。ただ明治の廃仏毀釈で寺の規模も縮小されたため、現在は小ぢんまりとした寺だという。

天神橋筋六丁目から都島通を数分歩く。特に標識看板が出るわけでなく、スマホの地図をたどって、一本入った筋の公園の向かいに門が見つかる。聖武天皇勅願の文字もある。

来年2018年は、先に挙げた快圓が国分寺を再興してちょうど300年とある。その記念ということか、鐘楼など一部の建物が修復工事中である。それを請け負っているのが、聖徳太子の四天王寺の時から続く日本最古の建設会社である金剛組というのに、この寺の歴史を感じさせる。

国分寺も周りを住宅地に囲まれていて、そこにお堂が密集している。法事か何かで喪服姿の人たちが来ていたが、乗用車3台が入ると境内のスペースはいっぱいになる。

本来の正門は閉じているのでその南側から入り、まず正面の霊明殿にお参り。こちらは阿弥陀如来を祀る。方角でいえば西から東向に建っている。ここは阿弥陀如来が本尊なのかなと思う。その左脇に弘法大師像があり、大師像の前には江戸中期の元号である「明和」と書かれた灯籠が立つ。大師像が四国のあちこちにある写実的な姿ではないのが、逆に古くから立っているものなのかなと想像させる。

その隣は昭和金堂。国分寺は太平洋戦争の大阪空襲でも焼かれていて、その後の建物である。こちらは薬師如来とチーム薬師が祀られていて、後で気づいたが国分寺としては薬師如来が本尊である。確かに、昭和金堂の真ん前が閉じられていた正門であるし、聖武天皇勅願の国分寺なら、当時の信仰からいえば薬師如来がメインである。・・・このことにその場で気づかなかったのは、私の札所めぐりもまだまだ勉強が足りない。

で、今回は不動めぐりである。昭和金堂の右手前に新しい感じの護摩堂がある。扉の間から覗きこむと、護摩堂の中ではなく後ろに不動明王の顔が見える。これはと護摩堂の横を回り込むとちょうど裏手に不動明王の像が立っていた。

「みのり不動尊」と呼ばれている。実りを与えてくれるというので、これが近畿三十六不動の一つに選抜されたものである。後ろに銀杏の木が立っていて、ちょうど鮮やかな黄色の葉をつけ、地面にも銀杏のじゅうたんができつつあるが、この銀杏は太平洋戦争の空襲で生き残った木だという。このみのり不動尊の前でもう一度お勤めとする。

これでおしまいにして、入ってきた石柱横の納経所に向かう。これまで近畿三十六不動のご朱印、墨書は書き置きとか、中には印刷物というのが目立ったが、ここでは用紙はあらかじめバインダーサイズのものだったが、一から墨書していただき、ご朱印も目の前で押された。普通にご朱印をいただくのと同じ手順である。それだけのことだが、ここまでで初めてのパターンだったので思わずうなってしまった。

短いながらもいろいろあった国分寺を終えて、向かいの公園でサイコロとする。くじ引きアプリでの出走表は・・・

1.豊中宝塚(不動寺、中山寺)

2.生駒(宝山寺)

3.比叡山(無動寺)

4.泉佐野(七宝瀧寺)

5.神戸北(鏑射寺)

6.竹田(不動院)

ここまでサイコロは4回連続で「5」を出している。そのパターンなら次は神戸の北に行くわけで・・・出たのは「3」。初めて違う目が出た・・・のは変化としてよかったが、京都を飛ばしていきなり比叡山とは・・・。確か、比叡山延暦寺では、JR西日本の歴史旅のキャンペーンをやっていたのでは。延暦寺は目的地ではないが、無動寺に行くならセットにせざるを得ないだろう。そのキャンペーンは12月10日までだということで、行くなら早くに行かなければならない。

朝から2ヶ所を回って時間は11時。当然、これで終わりということはなく、この後は来た道を天神橋筋六丁目まで戻る。ここまで来れば後は番外編ということで・・・。
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