まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

新年、勝山へ

2016年01月07日 | 旅行記D・東海北陸
年が明けて1月1日。

永平寺の初詣ツアーから2時過ぎにホテルに戻り、そのまま眠る。それでも朝は6時には起きていた。外はまだ薄暗いが、雨は止んでいる。

7時に朝食会場に行く。福井フェニックスホテルの朝食はハーフバイキングで、主菜や小鉢は予めセットされ、ご飯や一部のおかずは自分で取る。メインには鮭と鰈の焼き物があり、バイキングコーナーには鯖のへしこにソースカツもある。また正月ということで味噌汁が雑煮だったり、お節の一品もある。元日の朝からこれでもかと行ってしまった。

さて1日はどうするか。この日のうちに大阪に帰るのだが、東尋坊や芦原温泉は前日に行ったので、逆に山側に行くか。越美北線に乗ってもいいし、まだ行ったことのない丸岡城というのも興味ある。

そんな中で選んだのは、昨日に続いてえちぜん鉄道。これで三国港とは逆に勝山に行くことにした。勝山は前に永平寺とともに訪れたことはあるが、今回はもう少し深く回ろうかなというところである。

8時過ぎの列車には私以外2~3人しかいない。永平寺に初詣に行く人がもう少しいるかなと思ったが、ガラガラ。まあ、元日の朝から電車に乗りに行く人間のほうが少ないと思うが。

それにしても天気がいい。また暖かい。冬の北陸とは思えない天候である。前日は変わりやすい天気だったが、元日は降水確率も10~20%と、大阪と変わらない。

遠くの山は雪をかぶっているが、周りは雪の気配なぞなく、前夜の雨で日陰がしめっている程度。地元の人たちにとっては過ごしやすいのではと思うが、一方では勝山にもあるスキー場が思うように営業できず、これはこれで地域の問題だと言う。雪の相手というのも難しいものがあるのだろう。

勝山に着いた時、降りたのは私だけだった。えちぜん鉄道の皆さんからは物好きな奴に見えたかもしれない(まさか、新年初めてホームに降り立った客が私ではないだろうな)。

さてここでしばし勝山見物となるが、歩くには遠いしバスはほとんど便がない。ということで選んだのはレンタサイクル。えちぜん鉄道は利用客の利便性ということであちこちの駅でレンタサイクルを扱っている。それを窓口で申し出ると、「普通の自転車は1日50円、電動なら500円ですが、どうされますか」と訊いてくる。10倍の差ということもあり、うーんと思案すると、「どちらに行かれます」と続く。そこで行くつもりのスポットの名を出すと、「それなら絶対電動自転車です」となった。

自転車は駅舎奥の建物にあるということで鍵を渡される。この天気だからレンタサイクルに乗る気になったが、雨ならどういう行程になっただろうか。天気に感謝して、九頭竜川にかかる長い橋を渡り、勝山の町に漕ぎ出す・・・。
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永平寺に初詣

2016年01月06日 | 旅行記D・東海北陸
大晦日の22時過ぎのえちぜん鉄道福井駅。勝山行の2両編成の列車に乗る。この時間となればアテンダントの姿もなく、運転手のみのワンマン運転である。

こんな時間にホテルを出て列車に乗るのは、永平寺に初詣に向かうためである。今回はえちぜん鉄道が企画している初詣ツアーへの参加で、永平寺口駅に22時50分に集合し、貸切バスで永平寺の門前まで行く。およそ2時間の自由行動の後、バスで福井駅(希望者は途中の駅)まで送ってくれる。行きの電車は個別支払いだが、貸切バス、永平寺の拝観料、拝観記念の護符、参道の土産物屋の割引券がセットで2500円。帰りの足のことを考えればまずまずの値段である。1日フリーきっぷを持っているので行きの電車代は別にかからない。

発車前の車内で運転手が「初詣ツアーにご参加のお客様はいらっしゃいますか?」と尋ねて回る。それに応える人がいると、「この時間は駅員もいないので、先にきっぷを回収します」とのこと。

すっかり暗い中を20分あまり走って永平寺口に到着。雨の中、20人くらいの客が降りる。ツアーにご参加の受付は駅構内とあるが、前回来た時と比べて駅舎が反対側にできていた。確かバス乗り場とバスの車庫だったところに、新しいけど木造で寺の玄関らしい建物ができている。ここで順番に受付して観光バスに乗る。並んで座っていた人もいるが、半分くらいの席が埋まる。

永平寺までの車中でツアーの説明がある。その中で寂光苑の除夜の鐘について触れ、今夜のNHKの「ゆく年くる年」で中継が入るので一時鐘突きがストップするとあった。状況次第では鐘突きを後にして先にお参りしたほうがよいとのこと。

バスが到着したのは土産物屋の駐車場。何のことはない、割引券というのはこの店のものである。まあそれはよいとして、ここで傘を借りて、えちぜん鉄道の係の人の先導で参道を進む。沿道には開いている店も多く、参拝客が温まるにはちょうどよい。

永平寺に到着し、ここから自由行動だが、一行のほとんどは引率に従うまま寂光苑に向かう。結構長い行列ができているが、このくらいなら並んだほうがよいとのこと。「ゆく年くる年」の中継で30分間は鐘突きの受付を止めるとあるが、番組の全ての時間を永平寺に使うわけではないから、すぐに再開するとか。

それでも長い時間待つ。冬の永平寺といえば雪深い景色がイメージされるが、暖冬とあって雪の気配なぞない。ただ雨の中、傘を差して順番を待つ。これも修行かいな。

時計を見るに、23時45分を回る。「ゆく年くる年」の時間だ。ワンセグが見られないので放送の様子はわからないが、いくつかの寺社に交じって永平寺の様子も放送されているのだろう。一時鐘突きを止めていた寂光苑だが、また行列が前に動きだした。

その途中で0時を迎える。ここでもカウントダウンするグループがいて、その瞬間にはあちこちで拍手が起きた。「おめでとうございます」の声も。私にとっとは、鐘を突く前のどこか中途半端な位置での年越しとなったが、名刹で迎えたことについてありがたいと思う。

そのうちに順番が来て(写真は前の人)、新年の誓いとともに大きく鳴らす。

ただ、並び始めてから1時間が経過しており、残りの時間で七堂伽藍を回らなければならない。結構慌ただしい。大勢の参拝客や雲水が行き交う中、拝観券を出して中に入る。慌ただしく傘松閣から仏殿、承陽殿など回る。

少し落ち着いたのが、もっとも上の法堂。畳敷の広いところで、ここでこれまでの西国三十三所めぐりのように般若心経のお勤め。先ほどの鐘突きのような行列もなく、まして神社のようなお賽銭じゃらじゃらの音もない、静かなお参りである。まあ、私自身元日に般若心経をよむのは初めてだが・・・。

参拝を終えて総受付に戻ると多くの人で賑わう。若い雲水たちが、瓦の寄付とカレンダー販売に大きな声をだしている。カレンダーはいいとして、瓦の寄進は一口乗る。お礼に数珠型のブレスレットや、曹洞宗の教本である修証義をいただく。曹洞宗といえば「只管打坐」の言葉にあるようにひたすら座禅しているイメージがあるが、教本を見る限りでは、もっと広い視点で三宝を敬い、釈迦の教えに近づくべく修行せよと言っているように思う。

そろそろ集合時間が近づき、バスに戻る。発車までの時間で駐車場横の土産物屋で商品を物色する。1時30分の出発のところ、5分前には全員が揃って発車することができた。さすがにこの時間となると皆さんお疲れの様子で、発車と同時にウトウトとしだす。私もその一人で、気づけば福井駅南側のロータリーに着いていた。列車も来ないこの時間に駅周辺にいる人はほとんどなく、静かな夜の佇まいである。ツアー参加の中には駅前のホテルに入る人もいた。こうした旅行者や、あるいは地元の人でも「クルマがない」、「渋滞や駐車場の混雑を避けたい」、「一杯飲みたい」という向きには格好のツアーだと思う。

そんな私もホテルの部屋に戻ったのは2時過ぎ。入口は開いていたが、こんな時間に入っていった私を見てフロント係はちょっと驚いていた。そのまま部屋に向かい、さすがにベッドに一直線。夜が明けたらどうするか・・・・。
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芦原温泉~福井投宿

2016年01月05日 | 旅行記D・東海北陸
この日二度目のあわら湯のまち駅下車。途中下車して、日帰り施設での入浴が目的である。

駅前には足湯や屋台村のある広場が整備されており、その一角に伝統的な建物と一組の像がある。藤野厳九郎博士と中国の作家・魯迅の若き日の像である。また建物は、三国にあった旧居を記念館として移築したものである。魯迅が若い頃医学を志して仙台に留学した時、仙台医専にて解剖学を担当したのが藤野博士。厳しい教授として勉強に不熱心な学生には嫌われていたが、魯迅のノートをきちんと添削するという面も持っていた。魯迅が留学した当時は日清・日露戦争を経て日本がアジアで台頭しつつあった頃で、日本人の中には中国(清国)人を見下す、差別する風潮があった。藤野博士はそうした○○人というのは関係なく、教育者として公平に接した(だから、ノートも厳しく添削した)ということで魯迅の中にも強く印象に残っており、この出会いを「藤野先生」という作品とした。

以前に初めて芦原温泉を訪ねた時にこの記念館を見つけ、「なぜ芦原温泉で魯迅?」と思ったのだが、記念館に入って納得した。藤野博士が三国出身であり、また医専を辞してからは故郷に戻って医者として地域の人たちに慕われたからである。残念ながら年末年始休館で今回は入れなかったが、中には二人の交流をうかがえる書簡なども展示されており、なかなか興味深いものである。

ここから徒歩でセントピアあわらに向かう。芦原温泉の日帰り入浴施設で、宿泊客以外も利用できる。大晦日のこの日は18時で閉館とあり、16時過ぎだとまだ間に合う。ただロッカーの数で人数が限られるため、しばし待つことになった。やはり年内最後ということで大勢訪れるのだろう。

ここは「天の湯」と「地の湯」の二種類の浴場があり、月ごとに男女が入れ替わる。前回は「天の湯」だったが今回は「地の湯」。5分ほどでロッカーの空きが出て中に入ることができたが、今度は洗い場で待つ。もっとも、その後に入った浴槽は広く、大勢の入浴客がいるといってもそうストレスは感じない。

風呂から上がってしばし休憩コーナーで憩う。思うに、ここが混雑の原因なのかなと思う。よくあるのが「入浴後はロッカーの鍵をフロントにお返しください」というものだが、ここはロッカーの鍵も下駄箱の鍵も共通となっている。鍵を返すとロビーで休憩もできないため、鍵を持ったままという客も多い。まあ普段はこれで足りることで、年末だから混んでいるというのが大きいのかな。

しばらく休憩して外に出ると日はすっかり暮れ、また大雨になっていた。慌てて折り畳み傘を取り出す。今夜はこのまま降り続けることになるのかな。えちぜん鉄道で福井に向かうが、まだ時刻は18時前というのに辺りは真っ暗である。沿線は大きな道路が近いわけでもなく、道路脇の店のネオンも見えない。

福井に到着。いつもの旅ならここから居酒屋探しとなるのだが、年末で休んでいる店もあるだろうし、その前に今夜は部屋でゆっくりしたいということで、食料だけ買い込んで今夜の宿である福井フェニックスホテルにチェックイン。フロントには大きく「鳳凰」の文字。部屋も机とは別にテーブルがあり、ゆったりしている。

大晦日ということでどのテレビを見るかというところだが、福井は民放のチャンネルが日本テレビ系の福井放送とフジテレビ系の福井テレビの2局しか ない。紅白を除けば、ダウンタウンか格闘技か。後はBSか。まあ、普段からあまりテレビを見ないこともあるが、ダウンタウンよりは格闘技のほうがまだいいか。一般の家庭ではテレビ環境をどう克服しているのだろうかと思う。ケーブルテレビに入っているのかな。

こういう「チャンネル格差」というのが今も存在するというのが、「地方創生」を謳うなら何らかの手をつけなければならない問題だと思う。これは勘ぐり過ぎだろうが、福井にあるテレビが日本テレビ(読売)系とフジテレビ(産経)系というのは、今の自民党政権にとってはまことに都合のいい配置ではあるな・・・・。

そんな中で夕食である。高級な越前ガニには手は出せないが、駅弁ならどうか。福井の駅弁で有名なのはかにめしであるが、今回駅で見つけたのは冬季限定の「越前ちゅんちゅんかにめし」。紐を引っ張って発熱させるというタイプ。これまで牛肉の弁当でこのタイプに出会ったことはあるが、カニは初めて。普通のかにめしも美味しいが、こうして温めるとカニの香ばしさがより漂ってくる。カニの釜飯、あれですな(ただ混雑する列車で食べるのは勇気がいるが)。

今回はもう一品、駅弁ではないが駅構内の土産物コーナーでのこちら。メスのズワイガニであるセコガニの内子、外子、脚をまるまる一杯分使ったちらし寿司。先のかにめしよりも贅沢な一品である。セコガニは漁の期間がオスより短いため、より希少価値がある。

後はアテとしてカニ味噌、そして福井の郷土料理に欠かせない鯖のへしこ。福井名物は他にもいろいろあるが、カニと鯖の両エースを押さえれば大満足である。

格闘技では把瑠都や曙といった相撲出身者の試合を見たが、今夜はこのまままったり年越し・・・とはいかない。どころか、これからの時間のために福井に宿泊したようなものである。22時を回ったところでホテルを出て、再びえちぜん鉄道の乗り場に向かう・・・。
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えちぜん鉄道~東尋坊 雨のち晴れ

2016年01月04日 | 旅行記D・東海北陸
福井駅に到着して、えちぜん鉄道に乗り換えるべく隣の建物に向かう。隣の高架は北陸新幹線の建設予定地であるが、「えちぜん鉄道福井駅」の看板がある。何でも昨年9月のダイヤ改正で、福井市街中心部の立体工事に入るため、新幹線の建設中の高架を一時「間借り」することになったのだとか。そのため高架下に窓口や待合室が移ったのだが、仮設のような感じである。新幹線の線路の間借りと聞いて思い出したのが阪急京都線であるが、こうして駅そのものを間借りするというのは聞いたことがない。

一日フリーきっぷ1000円を購入する。えちぜん鉄道で福井から三国港まで往復するだけでも元が取れる値打ちもの。この後で高架ホームに上がる。JRのホームを壁越しに見下ろす高さにあり、線路も途中で途切れているのがわかる。今はこのような形だが、完成時にはどのような形になるだろうか。

その高架をとことこやってきたのが三国港行。隣の新福井駅は高架ホームから見えるくらいの距離である。

さて出発だが、先ほどまで薄く雲が広がっていたところに、パラパラと雨が降ってきた。そして車内から見ても強くたたきつけるように降り始める。やはり冬の日本海側である。雪でないからそれだけ暖かいということだが、この後東尋坊に向かうのに雨はちょっと残念。雨足は強くなる一方だ。

福井口で高架から地平に下り(ちなみにここも高架化される予定)、新駅のまつもと町屋、福井鉄道との接続駅である田原町を過ぎる。田原町は駅の改装工事中で、完成後はえちぜん鉄道との乗り入れも行われるそうだ。今も両線共通の一日フリーきっぷを発売するなど提携を意識している両線だが、乗り入れでより利便性を図るようだ。ただ個人的には、それならいっそのこと統合したほうがいいのではないかと思うが・・・。

雨の中、昼間のこととて乗客の入れ替えがほとんどないまま走る。ラグビーの五郎丸選手をイメージさせる太郎丸という駅や、周辺の見どころとともに「春江の一番星」として紹介されていた越ノ龍という力士の写真パネルを見る。どこかで聞いたなあと検索してみると、現在三段目で関取経験もない力士であるが、36歳の今でも現役。武蔵川部屋から藤島部屋の独立に伴い移籍したが、ベテランとして若い力士の兄貴的存在として部屋でも頼りにされているのだとか。

あわら湯のまちに到着。東尋坊には終点の三国港からでも行けるのだが、いったんここで下車してバスに乗り換える。雨はまだ傘がいるくらいに降っている。

ただバスに乗って芦原の温泉街を抜ける頃に、空が晴れてきた。しばらく「天気雨」の状態だったが虹も出て来て、20分ほど走って海に出ると先ほどの雨が嘘のように晴れ渡った。結構変わりやすい天気だ。

そして東尋坊のバス停に着き、土産物屋や食堂の並ぶ通りを抜けると、とても冬の日本海とは思えない穏やかな光景が広がった。雨は先ほどまで降っていたようで岩場は濡れていたが、傘を差さずに岩場を歩けるのはうれしい。怖い怖いと言いながら写真を撮る人があちこちにいる。自撮り棒でスマホを崖の先に伸ばして撮影する人も。これは結構スリルありそうだ。

この時間は雨上がりの晴天の光景だったが、果たして当初の予定通りに昼前後に着いていたら、どのような天候だっただろうか。ひょっとしたら強烈な雨に見舞われていたかもしれない。そう思うと、今朝「やってもうた・・・」と寝坊したのも、逆によかったということになるのかもしれない。一年を締めくくる最後の景色ということで心に留める。

このように観光客で年中賑わっているし、手前ではイカやホタテを焼いたり、この時季ならではのカニ料理などでいい香りがする東尋坊。旅の前日のアルバイト仲間の忘年会で「東尋坊に行く」と話したら「思い詰めて飛び込まんといてくださいよ」とからかわれたが、観光客の賑わいだけを見れば自殺の名所とは思えない。ただこれはあくまで昼間、ましてや年末年始で観光客もいる時の景色だろう。店も閉まった夜、あるいは冬の大荒れの季節の東尋坊を見たことがないので何とも言えない。

今でもここで自殺を考える人がいるのだろう。公衆電話には警察の連絡先や、「あなたは一人じゃない」と励ますメッセージが貼られている。いのちの電話というが、そこまで思い詰めて、最後の最後に公衆電話の受話器を手にする人というのはどのくらいいるだろうか。受話器を手にする人はまだ「生きたい」という気持ちがほんのわずかでもあったわけで、これはこれで救ったことになる。ただ本当に死のうと思う人、あるいは本当に死んでしまった人は、こういうのも目に入らないのではないか。

帰りは荒磯の遊歩道を右手に海を見ながら歩く。三国港までは2キロくらいの距離で十分歩ける距離。東尋坊からだらだらと高度を下げ、九頭竜川の河口のある三国港に着く。先ほど東尋坊では快晴だったが、ここまで歩くうちに次の雲が海の方から広がってきて、太陽はそこに包まれる形になった。時刻はまだ16時前だが、もう今年最後の日暮れを迎えるようになった。

ここから福井行の電車に乗り、再びあわら湯のまちで下車する。今夜の宿泊は福井駅前であるが、いったん下車して温泉に入ることに・・・・。
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福井へ(・・・ただし寝坊)

2016年01月02日 | 旅行記D・東海北陸
「やってもうた・・・・」

31日の朝、目覚めて時計を見た時にそう思った。この時間なら湖西線に揺られているはずのところだが・・・・。

この年越しは福井に行く。別に乗り継いでその先遠くに行くわけではなく、福井を中心に定番ところを回るだけなので、寝坊したから大きなダメージになるわけではない。ただ、乗る予定にしていた列車からおよそ3時間は遅れるということで、その分滞在時間が短くなる。日の短い季節にこれは痛い。

原因は前の晩。忘年会ということで、大学時代のアルバイト仲間が集まっての飲み会。同級生とか、クラブ・サークルの先輩後輩の集まりではなく、アルバイト仲間が20年経っても集まるのはすごい。これも当時のアルバイトリーダーのMさんが今も幹事役として声がけをしているおかげで、特に今年は下の世代も含めて12名の大所帯。

翌日の早朝に出発するからその辺は調整しなければならないのだが、そこは会社の飲み会とは違って気が緩んだのだろう。本当の「忘年」会になってしまった。次に気づいたのが朝に目覚めた時ということで・・・これはいけない。

慌てて支度して出発。大阪駅まで来て、次に乗るのは9時15分発の新快速敦賀行。当初乗る予定だったのが大阪6時21分発の快速だったから、3時間近くの遅れである。ただ乗り換えなしで敦賀まで行けるのはまだ良しとする。穏やかな空模様で、琵琶湖も光って見える。

大阪を出た時は12両あった列車も近江今津で8両を切り離す。敦賀まで行くのは前の4両で、後ろの方から走って乗り継いで来る客も結構いる。

11時15分、敦賀到着。次の列車まで少し時間があるので一旦改札口を出る。前に来た時は駅前の工事が行われていたが、ロータリーも整備されたようである。

敦賀は大陸への玄関駅としての賑わいを見せた町であるが、最近では「人道の港」としてのPRも盛んである。先日映画にもなった杉原千畝が発給した「命のビザ」を持ったユダヤ人たちが上陸したのが敦賀である。シベリアからウラジオストクを経由すると、その先に行きつくのは国際航路も出ていた敦賀ということになる。今回は通過するだけだが、敦賀はJRの「関西1DAYパス」でも来ることができるので、他のスポットと合わせてまた歩いてみたいものである。

次の福井行は2両編成。立ち客も出るほどである。北陸トンネルを抜けて嶺北地方に入るが、雪の気配は全くない。たださすがに雲が立ち込めてきた。何とか持ってくれるといいのだが・・・。

12時47分、福井に到着。JR利用はここまでである。帰省客で賑わっており、帰ってきた人たちを出迎える家族の姿もあちこちで見られる。ともかく昼食ということで「今庄そば」のスタンドに向かうが、ここも行列である。丼を店の外に持ち出す人もいる。北陸に来たのだから昆布を食べようと、とろろそばを注文したが、出てきたのは昆布ではなく芋のほうのとろろ。昆布は別にトッピングとして小さく出ていたので私の勘違いだが、それでも美味しくいただく。

この後はどうするか。福井の名所ということで、えちぜん鉄道に乗って芦原温泉、東尋坊、三国港方面に向かうことにする。3時間前に来てもおそらく同じところを回る選択をしただろうが、滞在時間が違う。ということで、隣接するえちぜん鉄道の乗り場に向かうと・・・。
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