ようやくこの旅行記も5月5日、最終日を迎えた。
ホテルのベッドもよいが、普段の睡眠がそうだからか和室の布団が寝心地がよかった。朝風呂に入り、朝食をとってゆっくりと過ごす。この日は午前中いっぱいまで人吉を散策することにしている。
チェックアウトしてまず向かったのは、前日もやってきた青井阿蘇神社。ちょうど地元の人たちが朝の清掃をしている頃合で、余計にすがすがしく感じる。改めて手を合わせ、旅の安全を願う。それにしても、前日見かけた鶏たちがこの朝も元気そうだったが、改めてなぜ青井阿蘇神社に鶏なのか、不思議な気がする。
さてせせらぎの球磨川を渡り、向かったのは永国寺。室町時代に開かれた曹洞宗の寺院である。この寺は別名「幽霊寺」というとか。
そのいわれはこう。その昔、近郷の武士に妾がいたのだが、本妻の嫉妬に悩み球磨川に身を投げて亡くなった。後に妾は幽霊となって本妻を苦しめる。困った本妻が永国寺に駆け込み助けを求めた。そして寺の和尚の前に現われた幽霊に対し、和尚が因果の道理を説く。すると幽霊はそれまでの行いを悔い、和尚の引導により成仏したという。
その幽霊の姿をこの和尚が書きとめたという掛け軸が残されている。乱れ髪、足がなく、そして手はこう下向きでという、正に絵に描いたような幽霊の姿。寺の宝ともいえる絵だが本堂内のガラスケースで展示されており、結構あっけらかんとしたものである。さて「幽霊の掛け軸」といえば、本物が掛け軸から飛び出す「応挙の幽霊」という落語のネタを思い浮かべる。どんな話かは話せば長くなるのでまた別の機会に・・・。
この永国寺からまっすぐに人吉城跡まで道が伸びる。かつてのメインストリートだろうか。人吉は西南戦争の時には田原坂で敗れた西郷軍が1ヶ月ほど本陣を構えていたところで、一時滞在した武家屋敷も見られる。ただ残念だが、受付の薬局で声をかけたが応答なく、中に入るのはあきらめた。
この通り沿いに焼酎蔵というのを見かける。人吉は米焼酎。その球磨焼酎のポピュラーな銘柄が「繊月」であるが、その製造元がある。「工場見学無料」とあったので受付で声をかけると、「今日はGWなんで製造は休んでいますが」と言われつつ案内していただく。
米を発酵させるタンク、蒸留した原酒が運ばれるパイプなどを製造工程を聞きながら見物。それにしても、途中の工程までは米を原料とした日本酒と同じなのだが、ここから醸造酒に向かわず蒸留酒に向かったのはどういういきさつなんだろうか。元々芋や麦などで焼酎をつくっていたということがあって、「ならば米でも」ということになったのか、九州の人の口には醸造酒が合わないのか、いくらでも考える余地はある。
さて酒関係の工場見学の後といえば・・・試飲。「繊月」のスタンダード版のほか、少し甘くしたバージョン、樫の樽で長く寝かせて香りをつけたもの・・・まだ午前10時前であるが、おちょこサイズのコップに氷を一かけら入れ、ロックで味わう。普段焼酎はチューハイくらいしか口をつけないのだが、こういう場面になるとロックでもいけてしまうのが旅の面白さ。ただつい居続けをするのも申し訳ないので、土産に小瓶のセットを購入。うん、休日でも工場を開けておれば、こうやって観光客が商品を買って帰る。繊月酒造もなかなか商売上手である。
人吉城跡へ。鎌倉時代から続く名家・相良氏の居城である。現在は石垣に櫓が残る程度であるが、かつての家老・相良清兵衛の屋敷跡に「人吉城歴史館」が新しく建てられている。こちらで、映像や史料によって相良氏と人吉の歴史を学ぶことができる。
この清兵衛というのは戦国から関が原の功により家名を守ったとされる人物なのだが、そのために次第に権勢を振るうようになり、それを良しとしない家臣たちが幕府に訴えるという事態になった。清兵衛は召喚され東北に追放となったが、その一族が反乱を起こし結局鎮圧され滅ぼされるという「お下の乱」という事件が起こった。現在歴史館のある場所の地下には大井戸があり、「なぜこのようなものを地下に掘ったのか?」というのが人吉の歴史上の謎とされており、現在でもその究明が待たれるとのことである。
その清兵衛屋敷から石垣の残る人吉城に登城する。球磨川の流れを守りとし、丘の上に建造された城。石垣に緑がよく映えている。
また石段を上ると、人吉の町並みが一望できる。こういう、小ぢんまりとした感じの城下町というのが実に落ち着いた、日本の町らしい町という様相があり、私の旅行の中で結構好きな眺めである。「人吉」という音が「人良し」という風に聞こえるのと合わさって実に風情を感じ、しばしゆったりとする。
さてテクテクと歩き、人吉駅に戻る。人吉駅は鉄道遺産の多く残る肥薩線の中心的な駅であり、駅の構内にも石造りの機関庫や転車台も残されている。線路端から結構近くに見ることができる。
この日は人吉発12時26分の八代行きで下ることにしている。そのつもりで駅に向かったのであるが、駅の放送で「12時13分、SL人吉号が到着します・・・」とあった。肥薩線にSLが走るというのはパンフレットか何かで見たのだが、まさかこの時間とは。別に乗るわけではないが、SLというのは見るのが面白い乗り物である。私は周遊きっぷの経路上なので普通にホームに出るが、SLだけ見物したいということで入場券を買い求める観光客らしい人の姿も見える。
12時13分、煙をたなびかせ、軽く警笛を鳴らして入線してきたSL人吉号。やはり「黒がね」という言葉が似合う。その姿をカメラに収めることに。
しばらく撮影タイムとなったが、私の乗る列車がやってきた。こちらはキハ40の単行。まあ、ローカル線の味わいを楽しむならこうした普通の列車のほうがいいかな・・・・。(もう少し続く)