まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

お城と海岸とおでんと・・・小田原散歩・その1

2010年05月29日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn9785 「お散歩だんらんの会」の小田原散歩。ここに集まったのは私のほか、会主の旅の侍さん、セージさん、さるのこさん。旅の侍さんとは何度かお会いしたことになるのが、残りのお二方とは初対面である。いつぞや「遠征を」と話をしたIgarashiさんが来られなかったのは非常に残念であったが・・・。いつもに比べれば参加者が少ないようで、東京から見れば近いような遠いような微妙な距離というのが参加見送りになった方もいるようだ。しかしまあ、その分小ぢんまりとしており、グループでの団体散歩とはまた違った機動性を発揮することができそうである。

Dscn9800 今回は小田原の市街地を回るというもの。ということでまずは小田原のシンボル・小田原城へ向かう。天守閣にはこれまで3~4度ほど訪れたことがあるが、かつて関東の名城として栄えた歴史を楽しむには何度訪れてもよいところ。もし秀吉の小田原征伐で屈した形ではあるが、上杉、武田の度重なる攻略を寄せ付けず、北条氏の関東制圧の本拠地となった小田原である。もし秀吉に早くから恭順の意を示し、小田原征伐で滅ぼされることなく家を保っておれば、秀吉亡き後の勢力図もいくらか変わっただろうか。そんな想像をするのも楽しい。

Dscn9809 天守閣の最上階に上がる。この日は天候もよく、箱根の山々、相模湾も見える。遠くに見るのは真鶴岬から伊豆半島か。こうして見ると小田原というのは山と海に守られた要害の地といえる。ただ戦国の世ではそれでよかったのだろうが、平和の世になれば江戸のような開けた土地を持ったところがより発展することになるのも地政学上そうなるのかなと。以後、小田原は箱根を控えた宿場町、小ぢんまりとした商業の町としての発展となる。

Dscn9813 そんな小田原にゆかりのある人物が二宮損得もとい二宮尊徳こと二宮金次郎。あの、薪を背負いながら本を読む、そんな本読みながら歩いたらすれ違う人とぶつかるやないか・・・ということは置いておくとして、そういう勤勉の姿はその昔小学校の校庭に像として飾られ、子どもたちに勤勉の徳を説いたものである。小田原城の横には報徳二宮神社があり、彼を祭っている。

Dscn9816 境内に金次郎と尊徳の両方の銅像があるのが面白い。勉強前と勉強後の姿である。ふと思うに、子どもの頃二宮金次郎の勤勉さを説いたとして、その金次郎がじゃあどうなったのかについては案外知られていないのではないだろうか。小田原藩の財政再建に力を尽くしたり、全国の農村を回っては実践思想で復興を果たしたり、上から視線ではなく実践者として人々の幸福を追求したというのだが・・・。

Dscn9817 その尊徳像に「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」との言葉・・・。二宮尊徳に「犯罪」と言われれば反論のしようがないな。

元々三の丸のあったところに建つ櫓風の建物。これは小学校だという。そしてその校庭には二宮金次郎の像が立つ。ただ子どもたちが校庭でサッカーに興じる中、ボールを当てられやしないか余計な心配をしてしまう。

ここまでで結構な時間が経ち、昼食をどうしようかという話になる。旅の侍さんによればお目当ての店があるということでそちらの方向に向けて歩くのだが、その前に出たのは海岸。明治天皇が行幸したことから「御幸の浜」と呼ばれている。当時は真鶴や伊豆を望む湘南の海を満喫できるところだったと想像できる。

Dscn9818 さて現在の海岸。ちょうど海岸沿いに西湘バイパスの高架橋が通っており、護岸工事もあれこれ行われているようでさすがに自然の海岸というわけにはいかなかった。それでもまあ、地元の人の憩いの場のようで海へりに腰掛けたり、突堤で釣り糸を垂らす人も。「これでも湘南の海なんですね」という声も聞こえる。

Dscn9821 それにしても現在の湘南の海らしいというのか、バイパスの壁にはさまざまな「アート」が。定番モノの相合傘やら、「東海大相模!」といった「○○参上!」もの、そしてこれに対抗したウケ狙いか本物か「東海大山形」などというものなど、明治天皇が100年後の御幸の浜を見たら何と思うやらという風景。しかしそのB級さが小田原らしいかな・・・。

Dscn9828 再び中心部に戻り、昔ながらの商店街のある一角を抜ける。旅の侍さんが携帯電話を片手に道を探りながらたどりついたのは、「小田原おでん本店」。B級グルメが全国的にブームな中、小田原はおでんで行こうということのようである。小田原といえば相模湾を背景とした魚介類が豊富。そしてそれを原料とした蒲鉾、竹輪などの練り物も土産物の定番。近在には蒲鉾の老舗が軒を連ねている。そんなところから「おでん」というものにたどり着いたのは無理がない。東京に住んでいた時、こちらの方面にやってきた折には帰りに蒲鉾を買って東海道線のグリーン車の中で一杯やっていたのだが、「おでん」とは気づかなかった。

どうしてもおでんというと屋台で腰掛けて・・・というイメージが強いのだが、その「小田原おでん本店」は一般の民家を改装した造りのようだが(だからなかなか見つからなかったのか)、オーナーの趣味なのか落ち着いたムードのところ。これならカップル連れでムード満点でおでんを味わえる。

Dscn9826 ランチメニューはおでんの茶飯や鯵の押し寿司などのご飯ものに、好きなおでんの具が5品つくというもの。さすが練り物の本場で、各店のオールスターが勢ぞろいしたといった感じ。ただ私はおでんといえば玉子と大根は欠かせない人なので、「練り物枠」は残り3つということになる。セージさんとともにランチグラスビールを注文し、疲れを癒すことに。

それぞれに主張する味わいがあるおでんの具材。だしは薄めの関西風。少し離れた「しぞーか(静岡)おでん」の黒さとは正反対。これには関東のお三方は「薄いかな」との感想。私も関西人であるが関東風の味を好むところがあり、これには同感である。でも、具材がしっかりしているだけ、小田原名物ということでPRしてもいいのではないだろうか。

さてお腹もできたところで、小田原の観光名所?である「街かど博物館」をめぐることに・・・。(続く)

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