まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

鹿児島交通南薩線の足跡を行く

2010年05月14日 | 旅行記H・九州

宮脇俊三の初期の作品の一つに、『時刻表おくのほそ道』というのがある。文藝春秋の編集者と一緒に、地方の中小私鉄を訪れた紀行文をまとめたものである。国鉄だけではなく、「時刻表のおしまいのほうで」ひっそりと載っており、一日に数本の列車がトコトコ走る中小私鉄。この一冊に収められた路線の多くが今は廃線となっており、昭和50年代当時の風情というのはこのような紀行文でたどってみて初めてわかるというくらいのもの。

さて、5月3日の午後、枕崎から伊集院まで向かうバスに乗った私。実はこの区間というのはかつて1984年までは鹿児島交通の「南薩線」というので結ばれており、先端部が丸まった独特の形状をした気動車が走っていた。先の『時刻表おくのほそ道』には、1981年頃か、東京から寝台特急「はやぶさ」でやってきた宮脇俊三が伊集院から枕崎までたどった時の紀行文が収録されている。

バスは国道270号線を北上する。結構山の中をラジオの音とともに快走する。途中、津貫、内山田など、かつての南薩線の駅にもあった集落を過ぎる。

枕崎を出ておよそ50分、薩摩半島西部の中心的な町である加世田に到着。広々とした敷地、車庫を持つバスターミナルに到着する。

Dscn9433Dscn9431 そのロータリーにはえらくさびついたSLにディーゼル機関車が安置されている。ここが、南薩線の中心駅・加世田駅のあった場所なのだろう。ふとここで、一度下車する。

Dscn9434 安置された機関車が、かつてこの地を鉄道が走っていたことを物語ってくれる。そして、それを裏付けるかのように、バスの待合室の後ろにある石造りの建物が見える。ここが「南薩鉄道記念館」という建物。一応入館料は設定されているが、窓口に誰もいないのでそのまま中に入る。

Dscn9437 そこは往年の鉄道風情が収められている。駅名票、乗車券、その他備品などが飾られている。またDVDで往年の走行シーンを見ることもできる。

Dscn9439Dscn9440現在の水準から見れば決して快適とはいえないのだろうが、そこでは確かに、薩摩半島を代表する私鉄として地元の人たちの足となって活躍していた車両たちの走りを見ることができる。南の果ての小さな鉄道である。

Dscn9441 それにしても、DVDでの走行シーンや、記念館に展示されているパネル写真などを見るに、往年の鉄道風情がよく伝わってくる。できればもう10年か20年前に産まれて、当時の走りをナマで見たかったなと思わせる。

さて、加世田からは1本後のバスに乗車する。今度は典型的な路線バスタイプの車両で、車内にラジオはかかっていなかった。

時折、沿道にきちんと舗装整備されたサイクリングロードを見かける。実はこれが旧南薩線の線路跡という。現在はサイクリング、ウォーキングのルートとして客を呼んでいる。

Dscn9444 またこのサイクリングロードを中心にところどころ路盤の跡が見え、かつての路線の歴史が残されていることにうなるばかりである。結果的には旧南薩線の跡をたどるような形(完全ではないが)で薩摩半島の西半分を北上した。できるなれば、吹上浜のような有名な白砂の浜辺なども見たかったのだが・・・。

Dscn9447 西日本を代表する猛将・島津義弘の銅像が立つ伊集院から鹿児島中央行きに乗車する。

Dscn9450 車両は肥薩おれんじ鉄道から乗り入れてきたもの。実は「周遊きっぷ」の「鹿児島ゾーン」は、鹿児島中央から川内までの区間はフリーエリアに含まれておらず、結局別払いで乗ることに・・・。

17時を回り、鹿児島中央駅に到着。これで5月3日は、薩摩半島の鉄道プラス旧私鉄を継承した路線バスなどを乗り継いだ「半島一周」の行程となった。

さてこの日も鹿児島泊。前日に続いて鹿児島の名物の味を楽しむことにする・・・・。(続く)

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