まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

花の嵐 小説・小佐野賢治

2006年07月27日 | ブログ

以前のこの「本と雑誌」のカテゴリで、上質のわかる人・宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す」のことを書いた。あの後、最終の第6巻まで読み終えたが、結局は鳩摩羅汁などはどこかにぶっ飛んでしまって、上質のわかる人・宮本輝の旅行エッセイという感じだった。それにしても、暑いとか体調を崩すとか、治安が悪いとかどうやらこうやら、やはり上質のわかる人にとって過酷な旅行だったんだなということが前面に出ていたような気がする。まあ紀行作家ではないのだから、そういう率直な感想が述べられているのも面白い。

それはさておき、「ひとたびは~」と一緒に購入していたのが、「花の嵐 小説・小佐野賢治」。長編経済小説というサブタイトルがつく。清水一行著、光文社文庫版。

Bnk_hanaara1_1 小佐野賢治といえば、「政商」「ロッキード」「記憶にございません」というキーワードでくくられがちな人物。今でも国会で証人喚問が行われるとき、ニュースの時間に「証人喚問の歴史」みたいな形で振り返るとき、必ずと言っていいほどこの「記憶にございません」が出てくる。その容貌もあわさって、いかにも「悪役やの~」というイメージを膨らませることができる。

東京の北部から埼玉にかけて走る国際興業バスというのがある。これぞ小佐野賢治の「本業」である運輸・観光業の中核といっていいだろう。ただ、どうしても国際興業→小佐野賢治→ロッキード・・・と連想されるものだから、バスまでダーティに見えてくることがある。コクサイコウギョウ?いかにも山師的な名前やし・・・と連想は広がるばかり。

またなぜか、国際興業と聞くと、かつてプロ野球のライオンズを持っていた「太平洋クラブ」というのを連想する。この両社に何か関係があるわけでなく、ただ連想。

もちろん、国際興業はれっきとしたバス、観光産業の会社であり、運転手をはじめとして皆さん真面目に働いているのだから、そういう連想をするほうがどうかしているのだが・・・(沿線の皆さん、スミマセン)。

それはさておき。

この「花の嵐」では、戦後の混乱期を己の才覚と、人生のポイントでの人との「出会い」によって乗り越え、そして国際興業はじめ数多くの企業の経営を手がけ、また多くの「倒産寸前の企業」を復興させ、ハワイの観光振興にも大きな役割を果たした「事業者」としての小佐野賢治の半生を描いた作品である。やはり「機を逃さない」ということと、「人との出会いを大切にする」ことが、その後の成功につながるという事例である。まだ代議士になりたての田中角栄との出会いは、その後の小佐野自身にも大きな波となって生きたのだった。(もっとも、そのためにロッキード事件に連座したようなものだが)

Bnk_hanaara2 小佐野賢治も大いに株式市場での株の売買、あるいは株の保有、すなわち会社の保有をめぐって多くの修羅場をくぐってきており、本書ではその様子を小説らしく臨場感あふれる書体で書いているのだが、結構、現在の株式市場の様子と同じようなものが感じられる。昨今のホリエモン騒動や、村上ファンドによるあちこちの会社の株式支配、TOB、M&Aなんて言葉が飛び交ったこと・・・外来語こそ出てこないが、昔も同じようなことが行われていたということか。そしてもう一つ変わらないのが、今も昔も株式で儲けた輩に対しては冷たい視線を向ける、出る杭を打つというこの国の国民性。ただ、小佐野賢治の前では、ホリエモンや村上ファンドなんて、尻の青い書生上がりにしか見えなくなるだろうな・・・・。

そう読めば、結構今の若い世代にも面白く読める作品だと思う。また、ロッキード事件というのも後になっていろんな人がいろんなことを言っており、現在ではある勢力が田中角栄追い落としの謀略のために仕組んだワナに、田中角栄やら小佐野賢治やらがまんまとハメられた・・・という評価も強くなってきている。

「小説」ということで、登場人物のセリフやら行動やらには誇張やフィクションも混ぜられているのだろうが、戦後経済の歩みをある一面から見る上で内容の濃い作品と言えるだろう。

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