まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第14回中国観音霊場めぐり~津和野に寄り道

2020年08月30日 | 中国観音霊場

8月16日、午後からは山口線に乗車する。まずは益田13時06分発の特急「スーパーおき3号」に乗る。山口線の益田側の鈍行の本数が少なく、津和野までは特急で移動する。「スーパーおき3号」は鳥取から新山口まで5時間以上かけて走る。在来線特急としては足の長い列車だ。

それに30分ほど乗車する。前日からの日本海とはうってかわって山村の景色となる。高津川をさかのぼるように走る。

途中、日原に停車した後、13時37分に津和野に到着。ここで途中下車して、次は15時45分発の「SLやまぐち号」に乗る。側線には「SLやまぐち号」用の客車が停まっていて、出番を待っていた。それまでの2時間ほどで津和野をぶらつくことにする。

とはいうものの、この暑さである。森鴎外の記念館や太鼓谷稲成神社はちょっと遠いので、殿町通りまで歩いて行くことにする。まずは駅前に展示されているSLに出会う。この日「SLやまぐち号」を牽引するC57 1号機は、津和野駅に入る手前の転車台で出番待ちだった。

少し歩くと、津和野日本遺産センターという建物に出会う。津和野町は、町並みや伝統行事、自然景観を守り伝えているとして、2015年に日本遺産に認定された。その元となった「津和野百景図」が紹介されている。

「津和野百景図」は、津和野の最後の藩主だった亀井茲監(これみ)に仕えた栗本里治の手による。津和野藩内を回り、殿様に仕えた当時の様子も思い出しながら、津和野の四季、自然、文化、食、祭事などを100枚の絵にした。その当時のいろいろなものが今も津和野の町に生きていることが、日本遺産たる所以である。見ていても、人々のいきいきした表情がうかがえるし、こういう津和野の楽しみ方もあるのだなと感心する。百景図の1枚1枚は日本遺産センターのウェブサイトでも見ることができるので、興味ある方は、ぜひ。

また、津和野に伝わる祭りの紹介コーナーもあり、まずここに来れば津和野のさまざまなことを知ることができるといっていいだろう。

酒蔵もある通りを抜けて、殿町通りの屋敷エリアに入る。

津和野といえばこの一角が有名である。水路に鯉が泳ぐ景色も涼しげ・・だが、その鯉のほうが暑苦しそうだ。何せ、どの鯉を見ても結構な体格だ。狭いエリアの中でずっと過ごし、観光客がひっきりなしに餌をやるので肥えるばかりである(体格のことを言われると私も心苦しいが)。津和野には鯉を食べる文化はないようだが、このくらいなら鯉の大トロ、中トロがあっても不思議ではない。やって来る観光客も、一言目は「大きいなあ」である。

殿町通りまで来たところで折り返し、駅前にある安野光雅美術館に入る。津和野出身のお歴々の一人に、画家の安野光雅氏がいる。その作品を紹介するスポットである。館内なら多少は涼しいだろうという思惑もあった。

展示室にはさまざまな作品が入れ替わり立ち替わり展示され、訪ねた時にまず出会ったのが「3びきのこぶた」。題名だけ聞けば童話の世界かなと思うが、これは算数、数学の本の絵である。3匹のコブタが、5軒ある家にどのように入ったかを、コブタを食べようというオオカミたちがあれこれ推測する話だが、結果として順列組み合わせ、確率論の入口の考え方を学ぶことができる。数学も身近な世界だというアピールに、安野光雅氏が一役買っている。

また、ユーモアの点では、続いての「イソップ物語」にも表れている。物語の場面を描いた絵に対して、たまたま「イソップ物語」の本を拾った無筆のキツネが息子にもっともらしいホラ話で講釈するのを描いた絵本である。その中身、落語のキャラクターにいそうだ。

他にもドイツを描いた原画もあり、図書室でも安野光雅氏が関わった書籍を見ることができる。あれこれ見るに、現代における「津和野百景図」て言ってもいいのではと思う。津和野に止まらず、世界に飛びだってはいるが。

こちらで多少涼むことができ、駅に戻る。駅舎内には「SLやまぐち号」の客がSLが来るのを暑さに耐えながら待ちわびている様子・・・。

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