まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第18回四国八十八所めぐり~第68番「神恵院」、第69番「観音寺」

2018年07月24日 | 四国八十八ヶ所
今回の四国めぐりの記事の中で、「第68番の神恵院(じんねいん)と第69番の観音寺(かんおんじ)」とセットで書いているのにお気づきだろうか。これから訪ねるこの二つの札所は一ヶ所にまとまっており、一粒で二度おいしいではないが番号を一つ稼ぐことができる。

この二つの札所の由来は、琴弾山(七宝山)の山頂にある琴弾八幡宮にある。寺伝によると、703年に法相宗の日證上人がこの山で修行していた時に、宇佐八幡から八幡大菩薩が降臨し、海から神船が琴の音とともに現れた。それを引き上げて山上に八幡宮を祀り、神宮寺を建立した。その後、807年に弘法大師が琴弾山に来た時に八幡大菩薩のご託宣を受けて、薬師如来や聖観音菩薩などを彫って伽藍を建立し、観音寺とした。また琴弾八幡宮の別当寺として神恵院を当てた。

その後、四国八十八所が形成されるにあたり、琴弾八幡宮が68番、観音寺が69番となった。当時は神仏習合の思想が当たり前だったために、こうした並びとなった。しかし明治の神仏分離、廃仏毀釈により、琴弾八幡宮が切り離されることになった。そこで、八幡大菩薩の本地仏である阿弥陀如来を観音寺の西金堂に移し、別当寺の神恵院を68番に当てた。これが、一つの境内に二つの札所が並び立つことになった経緯である。

・・・と、それはよいとして9時前だがただただ暑い。仁王門をくぐり、石段を上がったところの日陰にどっかりと腰を下ろす。境内の中央にあるのは観音寺の大師堂で、無理にエリア分けするとすれば、右手が観音寺エリア、左手が神恵院エリアという感じ。本坊は新たに建て替えるとかで更地になっており、納経所は仮の建物にある。

ちょうどやって来た笈摺姿の女性二人が「えらい汗ですねえ」と声をかけてくる。本山寺から歩いて来たというとびっくりしていた。「クルマで回っていても暑いのにねえ・・」と。休んでいる間に先にお参りしていただく。

少し落ち着いたのでまずは神恵院の本堂に向かう。そこには寺とは思えないコンクリートの建物。市民会館を思わせる伊予小松の第61番の香園寺本堂の建物を思い出す。

ただ階段を上がると格子扉の建物が現れる。何とも不思議な空間だ。こちらは八幡大菩薩の本地仏として阿弥陀如来を本尊としており、コンクリートの外壁のところがちょうど日陰になっているのでそこでお勤めとする。2002年にできたこの本堂、もともとは観音寺エリアにある薬師堂が神恵院の本堂だったという。

本堂の隣が大師堂となっており、こちらでもお勤め。この大師堂は元々は単独であったものが台風で失われたため、閻魔大王を祀る十王堂の右半分を間借りした造りである。どうも神恵院エリアは移り変わりが激しいようだ。

通常ならば本堂と大師堂を回ると納経所で朱印をいただくのだが、こちらは二つの札所がセットになっている。ということは、観音寺エリアでも同じことをもう一度やらなければ納経所にたどり着くことができない。観音寺というだけあって本尊は聖観音菩薩。建物は16世紀中ごろのものだという。さすがにこちらは長宗我部元親の兵火で焼かれた・・・という歴史はないようだ。

そして正面の観音寺の大師堂にお参り。観音寺エリアは昔からの建物が並んで落ち着いた感じである。さすがに4回も続けて般若心経やらご真言を唱えると喉もカラカラになる。

ここでようやく納経所に向かう。何も言わなくても朱印は2ヶ所分いただける。ただし料金は300円×2ヶ所で600円となる。中には「片方だけでええから300円にしてえな」という人もいるのかな。

さてお参りをして10時前。これで今回の四国めぐりで訪ねるとした5ヶ所は終了。八十八所めぐりも70番まで終えて、第71番の弥谷寺からは次の善通寺シリーズで訪ねることになる。そして、帰りのバスは15時10分発だが、この後見物するところがあるといっても時間があり余りそうだ。それならばと、スマホを操作して帰りのバスをもう1本早い13時10分発に変更する。

今思えば、それだけの時間があったのなら、代行バスとなった区間も含めて帰りは鉄道を利用してもよかったと思うのだが、その時は乗り換えなし、バッグも担がなくて済むということでバス一択だった。

これで残り3時間ということになったが、後は駅に戻るまでの道のりなので十分だろう。ということで、観音寺のスポットとして有名なものを見に行くことに・・・。
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