まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第2番「太融寺」~新西国三十三所めくり・34(寺や神社の周りというのはそういうものなのかな)

2017年05月27日 | 新西国三十三所
新西国の観音霊場めぐりというのは33番まであり、そこに客番というのが5つあって合計38ヶ所あるのだが、その34番目にしてようやく2番、3番というところを訪れることになった。別に四国八十八所の逆打ちのような回り方をしているわけではなく、これらは全てくじ引きとサイコロによるものである。

これまでは、「その札所にどうやって行くか」ということも楽しみの一つであり、中にはそうした移動だけで一つの記事になったこともあるのだが、今回訪れる第2番の太融寺、そして第3番の鶴満寺は大阪市街のど真ん中にあるところである。駅から延々と歩くとか、山登りをするとかいうことはない。

さて、太融寺への最寄駅というのは、JR大阪駅、そして私鉄、地下鉄各線の梅田である。天王寺から四天王寺に行くのと変わらない感じである。久しぶりにこうした「都市の寺院」に行くことに。ただ、これから向かう太融寺、そして鶴満寺は初めて訪れるところである。まずは大阪駅に降り立ち、隣の阪急百貨店ビル、そして現在改修工事が進む阪神百貨店ビルを見る。ここが出発点というのも何だか複雑な気分である。太融寺町や、隣接する兎我野町というのは、その名を聞くとあるエリアとしてピンと来る方も結構いるのではないかと思う・・・。

阪急百貨店前から扇町通りを5分ほど東に歩くと、それまで飲食店などが建ち並ぶビルが続いていたのが急に寺の外塀となり、「太融寺」の石柱が現れる。その横には「一願不動明王」とあり、さらに、今回の目的である新西国霊場を初めとして、近畿三十六不動やおおさか十三仏霊場など、大阪にあって数々の札所めぐりの寺であることが示される。こう見ると、大阪にあっては結構メジャーな寺であることがうかがえる。

そして山門に出る。「源融公旧跡」の石碑もある。この太融寺は弘法大師が嵯峨天皇の勅願により開かれたとされているが、本尊に千手観音を迎え、本格的な伽藍にしたのは嵯峨天皇の皇子である源融(みなもとのとおる)である。寺の名前は源融から取られているそうだ。その後は大阪の地で広大な敷地を持ち、多くの参詣者で賑わったとある。江戸時代に大坂城落城の際に兵火で焼けたが復興。しかし太平洋戦争の大阪大空襲でまた焼け、現存する建物はいずれも戦後の再建のものである。

山門から入ると本堂の横に出て、改めて正面に向かう。本堂の中は自由に入れるようになっており、せっかくなので靴を脱いで上がり、畳の上に座ってお勤めとする。大阪の梅田にほど近いところで般若心経を唱えるというのも、何だか妙な感じである。ただそうする間にも本堂の外ではお賽銭をジャランと放り込む人の姿もあるし、ちょっとした都市部のオアシスなのかなとも思ったりする。

そして本堂を出て南門の方向を望むと・・・・こういう景色が広がる。お二人様専用ホテル、つまりはラブホテル街である。先ほど「あるエリア」と書いたのは、つまりはこういうことである。これはいらん妄想だが、たまたま本堂の前で手を合わせているカップルを見ると、この二人はこの後で近くのホテルにて「休憩」するのかな・・・?と、そっちの方にイメージしてしまう。大阪は寺社とラブホテルが何か関係があるのか、こうした太融寺町もそうだし、南へ行けば上本町の生国魂神社、さらには四天王寺と、すぐ近くがラブホテル街である。ラブホテルに一緒に行く相手がいないのでその辺りの探索はできないが・・。

そうしたラブホテル街も元々は太融寺の境内だったところだが、現在の寺はそうしたものなどに囲まれて小ぶりである。ただその中にさまざまなものが収められており、枯山水風の庭園もある。そこには国会期成同盟会がこの寺で開催されたことから「近代日本政党政治発祥の地」ということでの石碑があったり、現役中に亡くなった横綱玉の海の慰霊碑などもある。玉の海が大阪出身というわけではないが、大阪で後援会を結成していた当時の衆議院議員の手によるもののようだ。

こちらの塔の建物には、大師堂、護摩堂の他に不動明王を祀る不動堂がある。一願不動尊ということで、近畿三十六不動霊場の札所にもなっているところである。後ろでは意図のような滝が水を落としている。こちらは「一願」とあるように、願い事を一つ叶えてくれるというご利益があるそうだ。そこで手を合わせてした一願とは・・・・「オリックス・バファローズの勝利」。その願いがどうなったかについては、スポーツニュースをチェックしていただくとして(・・・結果は、信心が足りなかったということで)。

これらを回り、納経帳に朱印をいただく。墨書、そして朱印押印のそれぞれのたびに軽くドライヤを当てる丁寧な対応である。

改めて境内を見渡す。弘法大師の開創ということで弘法大師像がある。四国でもよく目にした修行姿ではなく法衣をまとった姿だが、その向こうにラブホテルの看板が入ってくるのが何だか笑えてくる。

他には大坂夏の陣で自害した淀殿の墓というのもある。元々は別の寺にあったものが明治時代に太融寺に移されたものだという。こうして見ると、梅田の地にあってさまざまな歴史が受け継がれてきた寺院であるなと改めて感心する。

さて次に向かうのは第3番の鶴満寺だが、最寄りの駅は天神橋筋六丁目。ただ、気候もよいし、そのくらいの距離なら歩こうということで、歩みを進める・・・。
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