まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第6回九州西国霊場めぐり~第17番「永興寺」(8月豪雨を乗り越えて・・)

2021年12月25日 | 九州西国霊場

24日はクリスマスイブということで・・なぜか単身赴任のおっさん4人で勤務先最寄り駅近くにて忘年会。七面鳥、ローストチキンならぬ焼き鳥で一献。そうえば、広島に移ってから1年以上経つが、勤務先の人たちと私的に飲むのは初めてのこと・・。

さて、話は九州西国霊場の続き。みやま市の清水寺から、次に約3.5キロ離れた永興寺に向かうところ、「車両通行止」の看板が立つ。2021年8月の豪雨で道路が被災した模様だ。歩いてなら行けるのかもしれないが、そういう人はほぼいないだろう。

永興寺に続く道がここ1本しかないのならこれ以上は進めない。面倒だが、道路の復旧を待って再度訪ねることになるなと思いつつカーナビの地図を見ると、いったん県道に下りてまた別の坂道が表示される。距離にして合計7~8キロほどだからそれほどロスにはならないが、そもそもそのルートも通ることができるのか。ともかく、向かうことにする。

その入口には特に規制の看板もなく、何とか寺までたどり着けそうだ。急な坂が続き、周りは木々や竹藪に囲まれているが、走れないところではない。後で知ったところでは、豪雨の後しばらくはこのルートも通行止めとなり、永興寺への参拝も停止されていたそうだが、とりあえずこのルートだけでも確保したというところだろうか。それにしても、九州西国霊場のアクセスも結構ハードな道のりが多いように思う。

細い道で離合困難の区間も多いが、幸い対向車の姿もなく、そのまま上がることができる。途中には家が一軒あっただけで、そのまま永興寺に到着。駐車場は案外広く取られている。「青龍白龍大権現」の幟が並ぶ。

永興寺は平安時代前期、比叡山から来た僧により開かれたとされ(名前は明らかではない)、本尊は千手観音である。江戸時代に中興し、立花氏が東証大権現を勧請して代々保護されたという。

寺そのものは小ぢんまりとしており、本堂が一つ建つだけである。周囲にはいくつかの石仏、石碑や、なぜか曽我兄弟の供養塔も建つ。何か関係があるのだろうか。

ともかく本堂でお勤めとする。ちょうど目の前には各種の朱印が納められた箱が置かれていて、九州西国霊場では初めてのセルフ式となった。そもそも納経帳がバインダー式なので特に驚くことではないが、日付をそなえつけのマジックで書き足す。

本堂の裏手に新しい納経所の建物があるが、窓とカーテンが閉まっており、不在の場合は箱から持ち出すようにとの案内があった。

さらにその奥には真新しい馬頭観音像が建つ。ペット用の合同墓が建立されており、火葬後にそのまま納骨することができるという。ペットの安らかな眠りを願う絵馬も掲げられている。そういえば、先ほど見た永興寺の看板に「筑後ペット火葬センター」の文字があった。駐車場が広いのも、九州西国霊場というよりはペット葬で訪ねる人たちのためのように思われる。

さて、箱から朱印をいただいたところで奥の建物から人が出てきた。作務衣姿で、若い様子だがこちらのご住職かな。まさか人がいるとは思っていなかったようで、驚いた表情。手にはタバコを持っていて、「あ・・・朱印?」とバツが悪そうだった。本堂横の手水場の脇に灰皿があり、どうやらタバコ休憩で出てきたようだ。まあ、箱にあるのをいただいたから、今更別に何も言わない。本堂横の文字のように「笑」いましょう。

ともかく、駆け足になったが大牟田、みやま両市の札所3ヶ所を回り、早いもので九州西国霊場も第17番まで終わり、数としては半分に到達した。この先久留米から佐賀、長崎両県を回り、福岡県に戻る後半戦となる。

この後、みやま市を抜け、大牟田に戻る。この後は大牟田近郊の世界遺産スポットをめぐる。ここまで思ったよりも時間がかかり、またまた昼食抜きの行程である・・・。

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